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男は煙草を吸いながら刑事から貰った紙を見ている。見ていると言うよりは凝視に近い。この前みたSF映画だったら目からレーザー光線がでるキャラクターがいたが、そのキャラクターの視線よりも強く、本当にレーザー光線が出るほどの凝視だった。
朝が来たら忘れると思ったやり取りを一切忘れていない。それどころか何かを必死に思い出そうとしていた。そして間もなく何かを思い出すという実感があった。予知とかそういう大それたものでは無いが、必ず思い出すという実感だけがあった。
右手には煙草、左手には栄田刑事から渡された指名手配書。手配書には事細かに事件の内容が書かれてある。今思い返すと栄田刑事はこの事件内容をそのまま読み上げていたようだ。全く適当な奴だ。いや、そんなことはどうでもいい、今男は自分の中にある、今までの日常を覆す違和感を消し去りたかった。
手配書の中の男は相変わらず端正な顔立ちのまま虚ろな目をしている。6人を刺殺した連続殺人鬼と言われても何故か、この男に対して、恐怖や嫌悪感は抱かなかった。やはり自分は感情を失っているのか。いや、しかしこの目に見覚えがあるのだ。そう考える度に心臓が少しだけ強く血を巡らせているような気がしていた。
とりあえず出社の時間が迫っていたので顔を洗うことにする。安物の洗顔フォームで顔を洗い、髭を剃ろうとした時、写真の男への奇妙な見覚えの理由がわかった。鏡に映った自分の虚ろな目と瓜二つであるのだ。この世を好いてもおらず、嫌ってもいない。もはや何もかもが、有象無象への無関心が体現されたこの目と同じ目をしているのだ。それに気づいた瞬間、写真の男が愛おしく感じた。そうかあなたも。と、なんとなく優しい気持ちになった。世間では凶悪犯と認知されているというのに。
昨日までは一切湧くことの無かった人を慈しむ事を自嘲していた男だったが素直にその気持ちを嬉しいとさえ思った。
だがそれだけでなかった。それだけならよかった。もっとなにか、こう、どこかで。
誰だ。
目に、顔に、見覚えが確かにあるのだ。
焦燥感にも似た何かが男を包んでいた。
もう少しで、もう少しで、思い出せる、思い出せる、しかし、なにも思い出してはいけないような気がする。そんな気もしていたのだ。昨日までの男ならばありえない心の動きである。
見覚えがある。どこかで。必ずどこかで。
『あ、Aだ。』
声が漏れた。間抜けな声のボリュームで独り言を呟いてしまった。
まるで道端で知人を見つけたような、呆けた声が漏れた。
高校2年の春、他県から転入してきたAだ。
思い出した途端、それを後悔した。
自分は孤独の方がいい。そう強く思った。
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