続・すばらしきこのせかい

 五十年以上も生きていると、若い頃にあった牙のようなものがどんどん角が取れて丸くなっていくような感覚がある。道端で知らない通行人とうっかり肩がぶつかったりバスで一つだけ空いていた席を知らない誰かに取られても、もうなんとも思わなくなっている自分がいた。

 例えるなら、少しずつ心が死んでいく感覚。きっとこれが歳をとるということなのだろう。

 そんな老いさらばえていく私が人生で心残りにしていることといえば、仕事にかまけすぎたせいで結婚し忘れたことがまず挙げられる。通勤途中の道すがら元気に通学路を走っていく子供たちを見ていると、若かった頃にもう少し努力のペースを落として、遊びや交際に労力を割いておくべきだったと後悔するばかりだ。


【人類削減法】。

 優れた人間を優先的に生かし、そうでない人間には生きる権利を与えない。そんな、人権を無視した法律が施行されたのはいつだったろう。私の両親が生きていた時代は世の中に活気があって皆が世間で名をあげようと切磋琢磨していた時代だったと聞いているが、今のこの時代は切磋琢磨などという生易しい言葉で片づけられる時代ではない。弱肉強食。弱い人間が切り捨てられ、強い人間だけが生き残れる時代だ。

 想像してみてほしい。君は今学生だ。ある日、朝のホームルームで担任の先生から「今日からテストで赤点を取った人は死刑になります」なんて言われたらどう思うだろう?馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。私だってその当時はそうだった。でも、それは紛れもない現実で、成績不振の学生は次々とクラスから消えていった。どこかレベルの低い学校に転校したのかそれとも夜逃げでもしたのか、それは誰にも分らなかったけれど、一人また一人と消えていく教室で、私は必死に勉学に明け暮れた。この世界で生き残るために。

 社会人になって商社に勤め始めた私は、より長く生きていくために営業成績を伸ばそうと毎日必死になって足を棒にして働いた。自分がどうして頑張っているのかも分からなくなるくらい。他人を蹴落とすことに何ら良心の呵責を抱かなくなるくらい。給料の額面よりも延長される余命の数字が大事になるくらい。ただただ、生きていたいという“生”への執着心だけが私を突き動かしていた。

 そうして五十年以上生きてきて、ある日ふと自分の人生を振り返った時、自分の歩いてきた道には何もないことに気付いた。

 私は今まで、自分の意志で生きてきたと思っていた。でも違った。死にたくなかっただけだ。死ぬのが怖かっただけだ。自分ではない誰かに死を宣告されることを恐れていただけ。死なないための理由に【人類削減法】という語を都合よく当てはめただけ。

 それに気づいた時、私は会社を辞めた。退社時点での私の余命は七十歳。あと二十年弱は生きることが許されている。この歳になって恥ずかしい話だが、私は自分の生きる理由が未だ分かっていない。


 会社を辞めた私は、ただ漠然と生きている。会社員時代にろくに遊びにも飲みにもいかなかったことが幸いして貯金だけは並のサラリーマンよりは貯えがあるから、普通に余命を過ごす分には困らなかった。趣味らしい趣味もない。社員時代の休日にはよく接待ゴルフに行っていたものだが、上司や取引先の相手からも指摘されるほど私にはゴルフの才能がなかった。

 今日も私は朝の八時過ぎにのんびりと起床し、寝ぼけ眼で顔を洗い、くたびれたジーンズとポロシャツに着替えると、炬燵に入ってテレビの電源をつける。それだけ。一日中炬燵に包まってテレビを観て過ごすだけだ。会いたい相手も行きたい場所もない。会いたいと思えるような相手はそのほとんどが既に寿命で先立っている。両親も友人も。

 退屈だ。どうしようもなく。会社員だった頃はそれなりのポジションにいたこともあって毎日が慌ただしかったものだが、こうして仕事から離れてみると自分の人生がどれだけ空っぽだったかがよく分かる。


『今日の運勢一位はかに座のあなた!外に出てみると良いことがありそう。ラッキーアイテムは“たい焼き”です!』


 ふと、テレビのニュース番組の女性キャスターがそんなことを言っているのが聞こえた。

 たい焼き。そういえばもう随分と食べていないな。若い頃はよく学校帰りに買い食いしていたっけ。なんとなく懐かしくなってきた。


「……やめておけばよかったかもしれないな」


 占いにつられて久しぶりに外に出たはいいが、季節は冬。初老の自分には寒さが殊更に堪える。会社員時代から愛用していたコートとマフラーに身を包んでは来たが、やはり寒いものは寒い。降り積もった雪道を元気に走っていく学生達を見ていると、自分と彼らが別の生き物であるかのように感じられた。

 さっさとたい焼きだけ買って暖かい炬燵に戻ろう。そう考えて駅前の商店街を足早に歩いていると、私の数メートル先に車椅子に乗った少年とそれを押す少女の姿が見て取れた。


「ねぇお姉ちゃん、この後一緒に将棋しない?」

「えー、私将棋よりもチェスの方が得意なんだけど」

「じゃあ間を取って囲碁は?」

「どの辺の間を取ったのかよく分からないんだけど。というか私囲碁のルール知らないよ?」


 目の前の年の離れた姉弟と思われる男女の会話をなんとなく歩きながら聞いていると、ふと小さい頃の自分が棋士に憧れていたことを思い出した。まだ小学生だった頃、共働きの両親が家を空けていた夏休み。私はよく昼間に祖父母の家に預けられていて、そこで祖父と日が暮れるまで将棋に明け暮れていた。祖父が「お前はなかなか筋が良い」と褒めてくれたことを今でも覚えている。そういえば、あの時使っていた将棋の盤と駒は祖父が木を削って作ってくれたものだったっけ。きっと両親が死んで実家の整理をしたときにでも処分してしまったのだろうが、惜しいことをした。

 将棋か。久しぶりに指してみたくなってきたな。この町に将棋の教室とかクラブはあっただろうか。

 そんなことぼんやりと考えているうちに、目当てのたい焼き屋に着いていた。店の前には、先程まで将棋だとかチェスだとかの話で盛り上がっていた姉弟がまだいた。どうやら彼女たちもたい焼きを買いに来ていたらしい。


「たい焼き二つで二百八十円です」

「はい……ん、あれ?」

「どうしたのお姉ちゃん?」

「……財布、家に忘れてきちゃったかも」

「えぇ?もう何やってるのさ」

「ごめん、今度返すから払ってくれない?」

「仕方ないなぁ……あ」

「……もしかしてそっちも置いてきた?」

「…………当たり」


 目の前で繰り広げられる子供たちの微笑ましい姿に私は思わず笑ってしまった。もし私が結婚して子供がいたら、きっと毎日こんな光景を見ることができたのかもしれないなと思う。


「あの、良かったら私が払いましょうか?」

「え?いいのおじさん?」

「あ、いや、見ず知らずの人にそんなこと!」


 姉と思しき女性はブンブンと激しく手を振っている。


「いいんですよ、楽しいものを見せていただいた年寄りのお礼とでも思ってください」


 それと、これからの余生の過ごし方のヒントをくれたお礼も兼ねて。

 女性の方はしばらく遠慮していたが、長引くと弟の子が風邪をひいてしまうからと説き伏せたところ最終的には根負けしたようで、去り際に姉弟揃って何度も何度も頭を下げていた。


 ―——こんな世界だけど、どうか私みたいに悔いの残る人生を送らないようにね。


 名前も知らない子供たちの背中に、私は心の中でエールを送る。

 さて、これからどうしようか。

 とりあえず、暖かい家の炬燵でたい焼きを食べながら、将棋が指せるところを探してみよう。

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