25 『天性の呪い』
彼女は生まれたときから美しかった。
産声を上げる赤ん坊に大人が赤面し、あまつさえ別の親が我が子にしたいと金を積むほどだ。
トラブルの元でしかない常軌を逸した彼女を、優しい両親は大切に育ててくれた。
綺麗、可憐、淡麗、そのどれもが顔負けする容姿。そのせいで、彼女は子供の頃から様々な事件に巻き込まれた。
幼稚園の遠足での誘拐。
小学校で担任の教師からの盗撮。
中学校で告白してきた男子に刃物で襲いかかられた殺人未遂。
電車での痴漢は日常茶飯事。警察沙汰など年に数えきれないほど遭遇している。
幼いながらに危機感を覚え、彼女はまず知能を磨く。幼稚園を卒園する頃には、すでにかけ算や分数ができた。
小学校からは武道に励み、毎日別々の武術家に習い事として教わる。
家でも動画を見て護身術の基礎を学び、もっと実践的かつ効果的なものに独学で発展させていく。
中学生の頃には、柔道部や空手部の男子の先輩を軽々と倒せる術を身につけていた。中には黒帯もいたが、所詮はルールの枠に収まった実力でしかない。
イケメンな幼馴染がナンパ避けになってくれるので、学校でも外でも、家以外ではいつも一緒だった。
その頃の彼女は幼馴染以外の男は全て敵と思っており、男をゴミとして見る彼女を、女王やら氷の姫やらと呼ぶ者たちも現れる。
普通とは程遠いが、休日には両親と遊びに行くなどして、彼女なりに人生を楽しんでいた中学時代。
夏休みの家族旅行で、それは起きた。
大々的にニュースになり、平和ボケした世間を震撼させた大事件が──。
すれ違うだけで凝視してくるのはうっとおしいが、それを除けば普通に楽しい旅行を満喫した。
お土産屋さんで地元の名物を買い、幸せに満たされた心で帰路につく。
──その時、彼女は知った。思い知った。思い知らされた。
一日かけて積み上げた幸福は、一秒にも満たない刹那に壊されるほど脆いのだと。
鼓膜に響く破裂音。
この時は破裂音だと思っていたが、それは日本では聞き慣れない銃声だった。
「──オラァ!! そこの親子連れェ!!」
怒鳴り声が聞こえると同時に、繋いでいたはずの母の柔らかい手が離れる。
右隣でうずくまる母の服に赤い液体が滲み、肩を押さえても血は広がっていく。
「その娘を俺に寄越せェ! おとなしく従いやァてめぇらは見逃してやるぜェ?」
漫画でしか見たことのない斬り傷が目についていて、片手に銃を構える男は彼女を見て舌なめずりする。
体中を舐め回すような視線に不快感を覚えるが、まだ中学生の彼女は母親の出血量にショックを受けて思考がまとまらない。
「俺は気が短けぇんだ!! 渡すか死ぬかさっさと選べやッ!!」
男が二連射した銃弾の一発が、母の右脚のふくらはぎを撃ち抜く。
想像を絶する痛みに苦しむ母を目の当たりにし、憤激した父は丸腰で拳銃を持つ男へ駆け出す。
「なっ──!」
あまりに常識離れな行動を取った父に一瞬臆し、手がぶれた男の弾丸は外れる。再度の発砲が父の腹を撃ち抜き、三度目で右脚を貫いた。が、父はもう片方の足で最後の一歩。
動揺する男から拳銃を奪い、父が引いた引き金が男の心臓を止めた。
銃声で正気に戻った彼女は、混乱したまま震えた声で救急車を呼ぶ。
だが、もうなにもかも手遅れだった。
この事件は大々的に放送され、警察も本腰を入れた案件になる。
裏社会に精通する男に目をつけられ、彼女の両親は凶弾に斃れた。
男の死体から得た情報で組織を特定し、銃撃戦の末、ほぼ全員を射殺。数人を逮捕し、警察からも少なくない数の死者が出た。
彼女は今でも、世界が壊れた瞬間を、人が死ぬ光景を、鮮明に思い出せる。
父と母を中心に広がる赤い水たまり。
深い眠りから永遠に目覚めない両親。
彼女は呪った。呪いを呪った。自分の顔を呪った。自分という存在を呪った。世界の全てを呪った。
冷たくなった両親の手を握り、彼女の心も凍てつく。
心を許せるのは幼馴染だけ。
弟のような存在で、幼馴染とその家族が彼女にとって唯一の家族と言える。
あの事件以降、塞ぎ込んだ彼女は中学に行かず、幼馴染の両親に面倒を見てもらった。
一日中、部屋に引き籠もり、ご飯のときだけリビングにいき、一言も話さず食べ終え、部屋に戻って寝る。
幼馴染は母子家庭で、母親と姉との三人暮らし。二人とも昔から優しいため、彼女の心も少しずつ癒やされていった。
二年もすれば外に出られるほど回復し、幼馴染から高校に行かないかと誘われる。
最初は断固として拒絶していたが、幼馴染の母と姉からも応援され、いい機会だと高校入学を決意。
頭の良さは健在で、一度でも目を通した問題は全て覚えられる。どんな高校でも選び放題だった。
知り合いがいない方がいい。でもこの家から通いたかった彼女は、電車通学できる高校を選ぶ。
進路は特に決まってない幼馴染と同じ高校に入学し、極力人と関わらない学生生活を送ろうと決める。
これまで以上に護身術を磨き、どんな男に襲われても対処できるように己を鍛えた。
護身の枠に収まらず、厄介な相手なら殺そうと思い、人が死ぬ条件と実戦で使えそうな立ち回りも勉強する。
それでも、表から外れた本物の武道を渡ってきた男には勝てなかった。
母子家庭にあまり無理はかけられず、彼女は毎日バイトのシフトを入れていた。
自分は屈強な男にも負けないという自負もあり、自惚れて油断していたのだろう。
その二つが災いし、事件はバイト帰りの夜道で起こる。
体格のいい大男に襲われた。突然、音もなく背後から掴みかかられ、人気のない公園に連れ込まれる。
彼女が鍛えた術は、あくまで真っ向から襲われた場合にのみ有効。奇襲されることは想定になかった。
ただでさえ男という有利札を持つ相手が、女である彼女に奇襲を仕掛ける。そんなもの、抵抗できるはずができない。
世界が壊れる音がした。聞き覚えがある。あの日、銃声と共に鳴り響いた絶望の音。
──生まれなければ良かった。
自分がいるからみんな死んでいく。
生きているからこんなにも苦しむ。
生まれ持った体格に男から邪な視線が注がれ、生まれ持った容姿を身勝手に妬む女から嫌われ、自分を否定され続けた。
こんな人生、生きてる意味なんてない。
もう死のう。今からされることに耐えられない。一番楽なのは飛び降り自殺だろうか。
今日、学校の屋上から飛び降りる。
この容姿に、この呪いに、この世界に、この世界に生きる人間に、彼女は絶望した。
死より耐え難い苦しみから解放されたい。だから、楽に死ぬことを決断した彼女の耳に、その声は届く。
「──やめろッ!!」
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