9 『無事、王女様が壊れた日』

◁ ◀ △ ▲ ▽ ▼


 ──自分の国が獄炎に呑まれていく。


 魔獣討伐後、やっと休めるという気持ちで帰ってきた王都が炎の海。

 誰もが冷静さを欠く中、王女であるレスティまでもが錯乱するわけにはいかなかった。


「水、土、風系統の者は直ちに消火活動を始めなさい! 騎士団長と副団長は現場監督を! 私は聖獣の目で王都内の様子を確認、原因の究明と対処を行います!」


 この光景を前にして冷静な者がもう一人。


「私も<絶対零度>で火を止めるわ」


 タイプ相性では確実に弱いはずの氷系統で、凪は燃え盛る火の手を一瞬にして凍らせる。


「今回は冷静ですね」


「私が取り乱すのは私をものにしようとする死ぬべきゴミ共の発言だけよ。それが許されたのは……彼だけ」


 哀しげに気になることを言う凪だが、今はこんな話をしている場合ではない。


「ならば勇者の指揮はあなたがやりなさい」


「ええ」


 騎士団の敬礼を背にレスティは聖獣を放ち、消火された道を聖獣の背に乗って進む。

 肉眼と聖獣を通しての映像を脳内で捌き、この原因が凶悪化した魔獣であると突き止める。

 流れてくる複数の映像に痛む頭を押さえ、同時に聖獣たちへ命令を下す。


『避難していない民の救出を最優先に、遭遇した魔獣からはできるだけ距離を取って足止めを。私の命令に従って討伐を行いなさい』


 召喚した聖獣とは言葉を交わさずとも意思疎通が可能。念じれば思考が届き、聖獣は主に絶対服従のため裏切らない。

 レスティからすれば人間よりよっぽど賢く、自分の命令を素直に遂行する聖獣は肌に合う。


『ヴァニタス・コアは心臓部にあります。私の知る情報は伝えているはずですから、あとは速やかに対処しなさい』


 貴族、特に王族は魔獣と接する機会が限られる。目に映すことすら滅多にないため、普通なら魔獣の心臓の場所など知り得ない。

 だが、レスティは生まれた瞬間から王女であり、子供の頃から自我が強かった。


 自分の所有物は決して他人に渡さず、自分以外の全ては下等生物であり、頼れるのは自分だけ。

 父や母も自分より格下で、口論で負けたこともレスティが自分の意見を取り下げたことも一度もない。

 その自我の強さは疎まれる対象になったが、同時に王女として相応しい責任感をレスティに持たせた。


 平民という汚らしい者たち。それがこの国の民であり、この国は自分の所有物。即ち、視界に入れたくもない平民でも、自分のものである以上奪うことは許されない。

 それは王女である自分の役割で、次期に国を統治者すると決めているレスティが果たすべき務め。


「私の手が届く範囲では奪わせ」


 ──気付けば宙を舞っていた。


 リンクを全キャンセルし、レスティは新たに召喚した羊の聖獣のもふもふさで衝撃を殺す。


「くっ……なに……?」


 羊は戦闘向きじゃなく、プライベートで癒やされる用の聖獣なのですぐしまう。

 状況確認しながら狼を複数召喚。さっきまで自分が乗っていたライオンの死骸を目の当たりにし、動揺するレスティの背後から雄叫び。


 振り返ったときには盾になった狼たちの体が散らばり、咄嗟に飛び退いて振り下ろされた腕をかわす。


「そこか……!」


 すでに召喚済みの聖獣が集まり、レスティを守るように数体、ゴリラを襲うのに数体割く。

 ゴリラの心臓の位置はわかりやすい。聖獣たちに伝達し、的確な処置を行わせた。


「では、次に……?」


 ──頬に付着する水滴。否、赤い液体と濃い鉄の匂い。


「──ッ!」


 背後の気配に気付いたレスティは前へ飛ぶ。背中にチクリと痛みが走る。かすり傷だった。


「――――!」


 声が出ない。

 足が重い。

 身体が思った通りに動かない。

 風邪を引いたときのようにだるい。


 なんとか振り返る。

 レスティの瞳には大きなヘビが映った。


「まさ、か……麻痺毒……ですか」


 かすり傷で済んだのは不幸中の幸い。かすかだが声は出る。だるくて重いが体は動く。

 馬を召喚し、この場から離れる。が、馬は途中で倒れた。脚に小さな傷跡。あの距離なら噛みつくことはできる。

 これ以上は耐えられない。もう今日の召喚は打ち止めだ。

 頭に激痛。脳に負担をかけすぎた影響で、召喚に必要な詠唱を心で唱えることも叶わない。


「ぁ……くっ」


 なにも考えずひたすらに走る。

 痺れが抜けきらない身体では限界があり、次第に上がらなくなった足を石に引っ掛けて転ぶ。


 もう立ち上がれない。

 まぶたを閉じて楽になりたい。

 もう疲れた。もう眠い。


 薄れる意識の中でまぶたが閉じていき、口を開いた大蛇の毒牙でレスティは苦しみから解放される。


 ──そう思っていた。


 だが、いくら待っても迎えは来ない。

 なにをしているのかと目を開けると、マント姿の仮面の人物が大蛇の首を胴体から斬り離していた。

 仮面の人物は小石をレスティに向けて放つ。

 死んだと思って目を瞑ったが、小石は銃弾の如き速度でレスティの後ろにいたゴリラを撃ち抜く。


「え……?」


 当然現れて二体の魔獣を完璧に対処した仮面の人物は、周りを警戒し、


「もう心配ない。今のは相手が悪かったな」


 知的さを感じさせる低い声を発した。


「え、あ、あなたは……何者、ですか?」


 わけがわからない状況。それなのに、仮面の男の声を聞いてレスティは安堵する。


「早く立て。安全な場所まで移動する」


 身体が熱い。

 なんだろう。上から目線に命令されるのが妙に心地良くて、もっとこの人に指図されたい。

 自分でもよくわからない考えが浮かび、困惑しながらもレスティの口は勝手に動いた。


「お、お名前を教えてください」


 こんな怪しい人物の名前を、なぜこんなにも知りたいんだろうか。

 わからない。わからないけど、レスティは目の前の男とあっさり別れるのが嫌だった。


 レスティの質問に戸惑った様子で、仮面の男はなにか考え込んだあと、


「我が名は──シャドウパラディン」


 仮面を片手で押さえながら、そう呟いたのだ。


 耳を澄ませて聴いたレスティは、自分の脳裏で今しがた知った名前をリピートさせる。

 この国の王族や貴族にそんな名前はない。不当な金持ちから盗んだお宝を平民に分け与える謎の男、みたいな噂も特に聞かない。

 それが本名なのか、この人物が何者なのか、レスティの脳内を検索しても出てこない。

 ただ一つ、レスティは心の底から思った。


 ──なんて素敵なお名前……。


「シャドウパラディン様……」


「ぐはっ!」


 レスティが名を発した途端、シャドウパラディンはダメージを受けたようによろめく。


「大丈夫ですか! シャドウパラ」


「大丈夫だ! それより、お前はこの国の王女だろう。安全な場所へ避難しろ。近くに騎士団と勇者がいる」


 シャドウパラディン様が私の言葉に返事を、とたったそれだけでレスティは感慨にひたれる。

 だが今は、王女である自分が逃げ隠れている場合じゃない。


「い、いえ、民を守るために私も闘わなければ」


「魔獣への対抗手段も魔獣の知識もない。そんなものは使い物にならん。邪魔なだけの足手まといは消えろ」


「はうっ」


 ごもっともなことをはっきりと言われた。それがレスティは妙に嬉しくて、もっとシャドウパラディン様から罵りを受けたい、と感じる。


「自分でもわかっているんだろ? ならばお姫様はおとなしく騎士に守られていろ。俺はもう行く」


 なぜか、シャドウパラディンからは酷い扱いをされたくなったレスティだが、優しくされるのも嬉しかった。


「お、お姫様だなんて……そ、それでしたらシャドウパラディン様に一生守られたいなぁ、なんてってあれ? シャドウパラディン様?」


 今の短時間で、レスティにはシャドウパラディンとの将来まで見えていた。しかし、妄想が終わってまぶたを開けば、そこにシャドウパラディンの姿はなく……。


「はっ!」


 レスティはある結論に至る。


「そういうことですか。これが、これこそ、勇者たちが言っていた……放置プレイというやつですね!」


 どこかのギャルたちから悪影響を受けた王女様は、徐々に、だが確実に、普通の高校生たちの手(会話)で無事、精神を侵されていくのだった。

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