3 『子供は可愛い』

 イノシシが確実に死んだことが騎士団によって確認され、凪が<絶対零度>を解除した。

 騎士団がイノシシを慎重に解剖し、取り出したヴァニタス・コアは地下研究施設に送られる。

 心配になり、モブとしてアオイが「研究中に爆発が起こったらどうするんだ?」と呟いてみると、グルングルンが説明してくれた。


「地下研究施設は地上からかなり離れていてな、規模も大きいから心配はいらん。本当に街一つを吹き飛ばすエネルギーがあっても、何重にも張られている魔障壁と魔装甲が地上と地層への衝撃を防ぐ。そこは安心してくれていい」


 とのことで、グルングルンの言う通り安心する。

 逃げ出した者が大勢出たことで、あんなことがあったあとだが残り少ないならと試験は再開。

 いい感じにモブ感を出しつつ合格し、モブらしく戦闘シーンが描かれることなく、アオイは別室へと案内された。


 全員の試験が終わり、残ったのはたった四十人余り。その四十人と共に、今度は王宮殿の隣にある建物まで連れられる。

 そこは、言うなれば寮のような造りになっていた。

 数百もの部屋と広い食堂、平民では滅多にお目にかかれない銭湯(しかも日本で見たことある銭湯より広い)まで完備。王宮殿より一回り小さいが、平民にとってはまさに至れり尽くせりな施設だ。


「隣いいかい?」


 湯けむりの中でアオイがくつろいでいると、こっちの返事も聞かず隣に誰かが座ってきた。

 ここは温泉で間違いないが、アオイの隣に来た人は紛れもなく女の人だ。

 あらかじめ言っておくと、残念なことにこの世界では入浴中も服を着る。服と言っても水着のように耐水性のある物で、気分は温水プールに来たときに近い。

 こっちの世界ではお風呂に入る機会がなかったため、アオイも動揺して返答が遅れた。


「いいですよ……ってもう隣に来てますよね」


「はっはっ! 自分の意見は強引にでも通すたちでねぇ」


 軽快に笑う女の人を改めて見てみる。

 おそらく三十代後半ぐらい。洗って綺麗になった赤毛には艶があり、手足の筋肉や腹筋はボディビルダーも逃げ出しそうなほど。

 面積の少ないザ・水着姿のため、余計にその迫力ある筋肉に視線が吸い寄せられてしまう。


「おーい、あんたもこっち来なよ」


 赤毛マッチョさんが後ろを見て呼ぶと、湯けむりの向こうから小さな影が小走りで駆けてくる。

 シルエットから実物に変わってきたところで、呼ばれた子は足を滑らせた。


「危な──」


 アオイはすぐさま『脚』を4%『侵蝕』させ、床に頭をぶつける前に体を支える。


「い! ふぅー、間に合ったぁ」


 誰も反応できなかった中、アオイだけが動いて少女を助けたことで、周りから「おおぉー!」と歓声を浴びた。

 転びそうになった子は、ワンピースを着た小学校低学年ぐらいのちっちゃな少女。見かけにはまるで心当たりがないが、髪の毛の色には妙な既視感を覚える。


「お、おぉぉ、あんたやるねぇ」


「この子、知り合いですか? 親戚の子とか」


「違うよ。その子は」


「え? もしかして誘拐……」


「もっと違うわ! 娘だよ! む・す・め! 誘拐の前にその発想はなかったのかい!」


「……?」


『蒸す芽』なんて言葉は聞いたこともない。地球にはないこの世界オリジナル用語だろうか。

 意味がわからず首を傾げていると、


「はてな? じゃないわ! この子は私の娘! 私の子供!」


「やだなー、冗談キツイですよー。そんな可愛らしい子があなたの遺伝子持ってるわけないじゃないですかー。で? 本当はやっぱり親戚の子なんでしょ?」


「…………」


 赤毛マッチョさんはなにも答えない。

 ずっと真顔を維持している反応を見て、まさかっ、と思いつつもアオイは一応訊く。


「え? もしかして、娘、なわけないですよね?」


 ありえないことだなと自分で思い、鼻で笑いながら訊いたアオイの頭が鷲掴みにされる。


「なんで答えに辿り着くのが遅れたのかねぇ」


「痛い痛い痛い痛い! すみませんでしたァ! あまりに顔が似てないからその結論を潜在意識さんが排除してましたァ!」


 正直に白状すると手の力はますます強まり、再び全力で謝り続けてなんとか許してもらった。


「全く失礼だねぇ。この子は私が一人で育ててきた大切な一人娘なんだよ」


「一人で? 旦那さんはいないんですか?」


 まだ痛む頭をお湯に浸からせながら訊くと、赤毛マッチョさんの表情が曇る。


「あっ、やっぱ今の」


「旦那はね。この子が生まれる前に死んだよ。……魔獣さ。魔獣の群れに襲われてねぇ」


 影がかかる赤毛マッチョさんの横顔を見上げて、アオイはこっちの世界での凪と重ねていた。

 似ている。自意識過剰かもしれないけど、凪と海もアオイを親友と思ってくれているのかもしれない。


「すまないねぇ。湿っぽくなって」


「いや……こちらこそ、哀しい記憶を思い出させてしまって……ごめんなさい」


「いいんだよ。今はこの子がいるからねぇ」


 赤毛マッチョさんに頭を撫でられ、娘は嬉しそうな笑顔を浮かべた。その笑顔は天使のようで、見てるだけのアオイまで嬉しくなってくる。


「魔獣との闘いには信頼関係も必要だろう?」


「え? まぁ、そうですね」


「だから今のうちに顔合わせしとこうと思ってねぇ。初対面の奴とは全員話すつもりさ。ついでに娘を任せられる奴も探そうかと思ってたわけだよ」


「任せられるって……あなたが面倒見たらいいんじゃないですか? 討伐隊を辞めて」


「それはできないねぇ。私は魔獣を倒さなきゃならないのさ。強くて、信頼できる奴がいいと思ってたんだが、あんたは立候補してくれるかい?」


「い、いえ。子供の面倒とか見たことないんで遠慮しときます」


「……そうかい。そりゃ残念だ」


 断られるのがわかっていたかのように笑い、赤毛マッチョさんは右手を差し出してきた。


「まっ、これからよろしく頼むよ。私はウィルンっていうんだが、あんたはなんていうんだい?」


「僕はタクルです。ウィルンさん、よろしくお願いします」


 家名がある名前は平民の中で浮く。それに、本名を使えばクラスメイトに見バレしてしまう。

 仲間と一緒にやっていたときは本名を名乗っていたが、今日からアオイはタクルになる。


「タクルか。ちなみにこの子はドナテッラ。気が向いたらこの子の父親を引き受けてくれよ」


「ははは……まぁ、気が向いたら」


 ウィルンと握手し、


「おにいちゃん、よろしくおねがいします」


「うん。よろしくね」


 可愛い挨拶をするドナテッラとも手を繋ぐ。


「じゃあこれからも仲間としてな」


「お兄ちゃん、またねー」


「うん。また話そうねー」


 ドナテッラの可愛さに癒やされ、頭の痛みも引いたような気がする。いや、やっぱりまだ痛い。

 一人でお湯に浸かりながら、日本での日々を思い返していると、


「おー、こっちも広いんだなー」


「向こう行こうぜ!」


「ちょっとあんたたち! はしゃぎすぎんなよ!」


「わかってるってー」


 元クラスメイトたち、温泉に乱入。

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