第3章 わかれ道

第43話 予兆

 ノルドラント王国王都の近郊にある小さな村で発生した、災害級霊障である悪霊襲撃事件。だがそれは、この地にやってきた聖女の活躍により撃退され、村は奇跡的に壊滅を免れた。

 実際にはダリルとエリーの活躍によるものだったのだが、それを知る者は極僅かだ。


 経緯を知るそのごく僅かな一人であるノルドラント教区司教のノードは、聖女カチュアに実戦経験が圧倒的に少ない事を痛切に感じ、悪霊がやって来た経緯を調べる事を名目に、実戦経験を積ませることを決意する。


 本来であれば、ノルドラント教区司祭長であるポーラが指導に当たるのだが、現在フランティア聖王国に派遣されているため、ノードは西部教区の司教に聖女の実戦訓練を依頼し、同時により確実性を与えるためにベルガモート帝国に対しても打診した結果、二つ返事で了承が返ってきた。





 ダリルがフランティア聖王国へと向かった5日後、カチュアは単身ベルガモート帝国に入国した。

 入国初日、聖女カチュアの元に西部教区から彼女の指導者として派遣された司祭長と、ベルガモート帝国から派遣された者と合流する。


 西部教区司祭長ヘレナ。

 ベルガモート帝国宮廷魔導士アローシュ。


 この2人だ。


 司祭長ヘレナは、赤茶色の肩にかかるくらいの髪、右目の下にあるほくろがチャームポイントと思えるとても綺麗な女性だ。教会司祭が身に纏う純白のローブ姿であるが、その立ち姿は大人の女性の色香を放っている。

 一方、帝国宮廷魔導士アローシュは、短く整えられた灰色の髪に彫の深い顔立ちをしているが、相手を鋭く睨みつける様な三白眼が特徴的だ。金色の縁取りがされた黒のローブ姿で背は高く、非常に痩せている印象を受けるが、立ち姿は非常に姿勢がよく、魔導士でありながら非常に鍛えられている体形だと伺える。


 3人合流すると、ノルドラント王国とベルガモート帝国の国境の街クヴァラムで1泊し、翌日から悪霊アプグラントの発した瘴気の残滓を頼りに足跡の追跡を開始した。


 そして、追跡を行いながら北上した先で見かけた農村で、彼らは大量の魔霊の集団と遭遇する。


 村の住人は、突如として現れた魔霊の集団を恐れ、逃げ出そうとした者もいたのだが、教会司祭長と帝国宮廷魔導士の姿を確認すると、皆一様に安堵していた。


 ヘレナが村長らしき者に手短に家に避難するよう指示すると、慌てる様にして村長や数名の若者が各家に回って指示内容を伝達していく。


 全ての村人が家に避難したことを確認すると、カチュアに向けて小さく頷く。

 すると、それに応じるかのように頷き返し、彼女は手にした杖を空高く掲げ、迷うことなく魔法を唱えた。


極大浄化魔法陣マーキライニルング


 詠唱直後に杖の先から瞬く間に広がった光の粒子が農村を覆う。


 その光景を見て嘆息したのは、西部教区司祭長のヘレナだった。


「はぁぁ……凄いわねぇ……」

「ふん。別に大したことはない。見た目が派手なだけだ」


 ヘレナの隣に立ち、事も無げに吐き捨てる宮廷魔導士のアローシュ。

 そんな彼を一瞥したヘレナは、思わず吹き出しそうになる口をきゅっと締め、苦笑いに表情を変えて小さく首を振った。


「帝国の宮廷魔導士様は辛辣ね」

「事実を言ったまでだ」

「なるほどなるほど」


 そう頷きながらも、ヘレナは小さく頷く。


「まあ確かに、魔力の使い方に無駄を感じますね」

「ああ。広範囲に展開させる技能は確かに目を見張るものがある。だが、展開すべきは正面だけで、このままでは接近戦に持ち込まれたら魔力が枯渇する可能性も否めない。常に己の魔力を把握しながら戦う事は魔導士……いや、魔法を扱う者の責務だ」

「その点はのとおりですね。まあ、そこは後でしっかり教えてあげましょう。彼女が悪霊に対して戦えるようになれば、私たちも少しは楽になるのですから」

「まあ、それは間違いないな」


 魔霊が接近してこれない状況を生み出したのを把握した二人は、ゆっくりとカチュアの傍へと向かう。


 近づく二人を目にしたカチュアは、手にした杖を両手で持ち直して声をかける。


「魔霊の集団はこれで問題ないと思います」

「ええ。確かにこれだけしっかりした展開であれば問題ないですね。ですが、少し魔力を使いすぎている気がしますよ?」

「え?」


 ヘレナからの思わぬ話しに、カチュアは肩を僅かに震わせた。


「展開する際に、魔力を絞る意識をしてください。例えば、上空方面に展開すべき魔力を弱くし、地上部分の接敵部分に魔力を増強させるといった感じですね」

「は、はい」

「ですが、流石といったところですね。これだけの光魔法を広域に展開させるなんて凄い事です。なので、自分の身を護るためにも常に全体を把握し、必要に応じた対応が出来ればもう盤石です。一緒に頑張りましょうね!」


 笑顔で褒めてくるヘレナに、カチュアは思わず口元を緩めてしまう。


 だが、そんな時にアローシュが低く警告をしてきた。


「魔霊の数が多すぎる。防護魔法だけを展開しても根本解決にはならないかも知れん」

「元凶があると?」

「ああ。おそらくな」


 アローシュが頷きながら魔霊の手段へと目を向けると、二人が揃って同じ方に視線を向ける。


「あの森かな」


 ヘレナがぽつりと呟く。


「ああ。おそらくな」

「魔霊を除霊しながらになるわね」

「ああ。だが、聖女には丁度いい訓練になるだろう」


 そう言われてカチュアに視線を向けると、ヘレナは小さく頷く。


「そうね。少ない魔力を集中させて除霊させる訓練には丁度いいわ」

「滅却魔法は使えるのか?」

「私はね」

「聖女は?」


 アローシュがカチュアに視線を向けると、ヘレナはそれを察して声をかける。


「カチュアさん、滅却魔法は使えます?」

「え? あ、あの、封滅魔法なら使えますけど」


 カチュアの返答に頷き返したヘレナは、アローシュを見ることなく正面の魔霊の集団に視線を向ける。


「滅却魔法は私が。後はお願い」

「わかった」


 了承したアローシュの言葉を受け、ヘレナは視線を正面に向けたままカチュアに声をかける。


「カチュアさん、いいですか? これから滅却魔法を実演するので、よく見ておいてくださいね」

「は、はい!」

「……行くわよ」


 ヘレナがゆっくりと歩き出すと、アローシュとカチュアが後に続く。


 農村外苑に到達すると、光のカーテンによって遮られた向こう側に、多数の魔霊が接近できずにこちらの様子を伺っている。

 恐らく、防護魔法の壁から出た瞬間、攻撃を仕掛けてくるつもりなのだろう。


「カチュアさん、魔法の威力は感覚を研ぎ澄ませて操作する事で劇的に上がるの。なので私をよく見て、何となくイメージするようにしてね?」

「はい」


 ちらと一瞥してきたヘレナに力強く頷くカチュア。

 その様子に微笑みを浮かべて正面に向き直ると、腰を僅かに屈め、そして一気に走り出した。


 それに反応するかのように魔霊が動き出す。魔法を唱えるようだった。

 だが、それよりも早く防護障壁を越えたヘレナが両手を正面に翳した。


光破滅却リヒタシュロヌーク


 走りながら翳した手先に光が集約すると、一気に幾筋もの光の線が正面に集まる魔霊に向けて迸ると、数十本に及ぶ光線が魔霊を貫き、瞬く間に光の粒子に包まれて消え去っていく。


 消え去る魔霊を確認する事無く、再び両手を扇状に広げて詠唱する。


光破滅却リヒタシュロヌーク


 翳された手から紡ぎ出された幾筋もの光の線が、正面にうごめく数十体の魔霊を捕え、容赦なく貫き、瞬く間に光の粒子に包まれながら消え去っていく。


 だが、魔霊、特にレイスの様な魔法に長けた霊体が、突出してきたヘレナ目掛けて攻撃魔法を放つのが見えた。

 危機的状況だと感じたカチュアだったが、その思惑はものの見事に外れる。


 ヘレナの後方に着いていたアローシュが、放たれた魔法目掛けて相殺する様に同種の魔法をぶつけるように放ったのだ。


 火、水、土、風の属性魔法を正確にぶつけて相殺し、隙を突いては魔霊に向けて魔力を凝縮させた高威力の蒼焔を浴びせては文字通り灰へと変えていく。


「相変わらずの精度ね」

「お前もな」

「フフ……お互い様ね」


 事も無げに短く声を掛け合う二人。

 カチュアは、そんな二人の息の合った攻防一体の技に魅せられていた。


 気がつけば、瞬く間に正面に集まっていた魔霊は排除されていた。

 ヘレナとアローシュは互いに背を向け合う形で足を止めると、呼吸を整えながら周囲を一瞥する。

 

「これで終わりね」

「ああ。後は森だけだな」

「ええ。僅かだけど瘴気を感じるわ」


 そう言いながら、ヘレナは森へと向かって歩く。

 アローシュもカチュアもその後に続く。


 森の外苑部で一度立ち止まり、奥の様子をじっと見つめるヘレナに、カチュアが恐る恐る尋ねる。


「とても嫌な気配を感じます……」

「ええ。やはりこの森には何かあるわ」

「じっとしていても何も分かるまい。いくぞ」


 アローシュがゆっくりと森へと進みだすと、二人もそれに従い後を追う。


 鬱蒼と茂る森の中、次第に強くなっていく瘴気の残滓に警戒を強めながらも進んでいく。

 森の中では魔物も存在しているはずなのだが、3人の前にその姿を見せることはなかった。


 すると、森の中に小さく開けた場所にたどり着く。


 開けた場所の地面には焦げ跡の残る窪みがあり、その窪みから瘴気の残滓が感じ取れたことで、周囲を警戒しつつ近寄った。


「これは……」


 地面を見つめ、不意に声を出したアローシュがその場で屈む。


 焦げ跡の淵に突き刺さる一本の短剣。


 相当な高温で焼かれたのか、柄の部分は炭化し、鍔の部分がぐにゃりとへしゃげていた。


「この短剣に、瘴気がこびり付いているな」

「ええ。そのようですわね」

「だが、何のためにこんなものがここに?」

「誰かの遺品かしら?」

「遺品にしては、突き刺さり方が不自然だぞ?」


 アローシュとヘレナがそれぞれ話し合っている傍で、カチュアはどうしても気になる事があって窪みの中央部分へと向かう。


 すると、中央部分に埋もれる、土で隠れる白い物を目にする。


「あの、ここに白い物が埋もれているんですけど……」


 二人がカチュアの傍へと近づくと、確かに地面に埋もれる白い物が見えた。


「これは……」


 アローシュがその場にしゃがみ、腰から短剣を抜き出すと、白い物に触れないようにその周囲の土を軽く掘り起こす。

 土を軽く起こしただけだったが、その物が何かを突き止めるまで、そう時間はかからなかった。


「……服の切れ端」

「そのようね。でも、ただの服ではないわ。教会神官のローブの切れ端ね」

「神官服か」


 背後から様子を見ていたヘレナの言葉に、アローシュは小さく頷いた。


「そうか。神官服なのか……ならば、あの短剣は神官の?」

「おそらく。儀礼用の短剣だと思う」


 アローシュは立ち上がると、ヘレナに視線を向ける。


「行方不明になっている神官はいるのか?」

「ここ数日でのそういった報告は受けていないわ。でも、調べる必要はありそう」

「そうした方が良い」


 そう言いながら、窪地の淵へと戻る。


「瘴気の残滓はここで途絶えている。ここが発生源だと言いたいところだが、どうも奇妙だ」

「悪霊が発生するような具体的な証拠がどこにもないからよね?」

「ああ。その通りだ」


 ヘレナの言葉に同意する様に頷くアローシュ。

 そんな彼から、ふと尋ねられる。


「広範囲の霊視シュピルフィは出来るか?」

「え? 出来るけど、何故?」

「念のためだ」


 霊視は、亡くなった人の魂や魔力が強く残る場所に反応する光の魔法で、教会高位者が隠れた魔霊を探す際に用いている。だが、更に熟達すると、霊視によって魔力の流れが阻害されている箇所を見つけることが出来るため、治療時の応用で利用されたりしている。


 そんな霊視魔法を使うように言われて小さく首を傾げたが、すぐさま窪地で何が起こったかを確認する為と気がつき、納得する様に頷いた。


「……ああなるほど。なら、カチュアさん、霊視シュピルフィは出来る?」


 振られたカチュアは、小さく返事をしながら頷いた。


「ならば、練習のためにも広範囲に霊視シュピルフィを展開させてみてくれるかしら?」

「わかりました、やってみます」


 カチュアは頷くと、杖を目の前にかざし、目を閉じる。


「……霊視シュピルフィ


 光の粒子が杖に集約したかと思うと、瞬時にパッと拡散する。


 粒子が広範囲に渡って大気中をキラキラと輝かせるように舞う。


 だが……。


「………………え?」

「……想定外だ」

「ええ……」


 3人の目に映ったのは、窪地を中心とした開けた場所に現れた、夥しい数の怨嗟に塗れた人々の魂の欠片だった。


 しかもよく見ると、同じように光りに反応し、同じように夥しい人々の魂の欠片が漂う場所が他にも数か所発見した。

 窪地になっていないが、よく見ると明らかに不自然な土の盛られ方をしていた。


 確認できただけでも4か所ある。


「これだけの魂を喰らって悪霊化したということか?」

「それが事実なら、他にも3体いるという事になるわよ?」

「……一刻も早く騎士団に報告した方が良いわ」

「……お前も教会に報告すべきだな」


 呆然とするカチュアの傍で、アローシュとヘレナが言葉を交わして頷く。

 すると、ヘレナはカチュアの隣に並び立ち、肩をぽんと叩いて微笑む。


「さあ、まずは迷える魂を還してあげましょう。それが出来るのは、教会の神官である私たちだけよ?」

「は、はい」


 不安げに頷くカチュアだったが、ヘレナは何も言わずに柔らかく微笑みを浮かべると、彼女の背を優しく押して共に並び立ち、窪地に向かって手を合わせた。

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