第294話 ある少年の記録
――自分を自覚した時から、少年はひとりぼっちだった。
誰もいない広大な島。島の周囲に広がる大量の水。世界から隔絶された地でただ一人生きていた。
親の顔なんて知らない。自分が何者かすらわからない。言葉を知らず知識もない。
それでも生きていかなければならない。そんな気がしていた。
だから、島にいる動物たちを狩る。木の実やきのこに植物、食べられるものは全て食べた。
生きていく上で必要なことだと、本能的に理解していた。
ただ、生きるためだけの日々。目標もなく目的もない。
無為で無価値で無感動。自然の摂理に逆らうことなく、ただあるがまま。
そんな変わらぬ日々の中で、ちょっとした発見をした。
石で囲まれた他とは違う何か。それが建物だと後から知った。
その中心にぽつりとある階段。その先に行ったことはない。
自分の中で、得も言われぬ何かを感じた。少年は本能に従って進む。
特に何の変哲もない洞窟だった。
真っ暗で何も見えず、時折聞こえる水音が響いているだけ。
歩いていると少し広い部屋に辿り着いた。
するとそこには、上では見たことのないとても美しい生き物がいた。
少年より少し大きい体躯。四足歩行で翼の生えたトカゲ。少し透けていたのは良くわからない。
そして何より、その生き物は言葉を発した。
『我が墓所にやって来るとは、ならず者にやる宝などないぞ』
少年は言葉を知らない。
だから、そのトカゲが何を言っているのか理解できなかった。
『? お主、言葉を知らぬのか。それにその恰好は……良い。理解した。我は数千年を生きた古龍。この世全ての叡知を有しておる。主がここを発つその時まで、我が面倒を見ようぞ』
それから古龍は少年に様々なことを教えた。
言葉や魔法、島の外の世界について。少年は古龍の有するあらゆる叡知を習得した。
そして月日は流れ、少年は大きく成長した。
『お主もそろそろここを発つ頃だろう。実に有意義な日々であった』
少年は古龍に手を差し伸べた。共に行こうと。
『我は行けぬ。とうに滅びた身故な。我はここでこの魂果てるその時までこの結晶を守り抜くのだ』
初めて会った時から、古龍が大事に抱えていた大きな結晶。
それはかつて神を名乗る者から奪ったという。とても大事なものなのだそうだ。
それを古龍は死して尚、数百年に渡り守り続けていた。
少年は差し伸べた手を戻し、その場に座り込んだ。
『何? 自分も共に守ると? 馬鹿を言うな。お主にはこの先に輝かしい明日が待っているだろう。世界を見に行くと言っておったではないか』
少年は首を横に振る。
自分の夢を追うよりも、友と一緒に在ることが大事だと。
呵々大笑。
ただ一人、何も持っていなかった少年はかけがえのない友を得た。
たった一体、世界に反抗した代償として隔絶された島で空しく果てるつもりだった古龍は、最上の安らぎを得た。
そして少年と古龍は、人知れず結晶を守り続けていくと誓った。
そんな彼らの下へ、とある一行が訪れた。
最も印象的だったのは、炎を纏ったかのような紋様を体に刻んだ深紅の髪の大男。
彼は古龍の守る結晶を見ると、その偉業を褒め称えた。
『すげぇな、アンタら。誰も知らないこの地で、死して尚そのクリスタルを守り続けているのか。ほんとすげぇよ。誰にも真似できねぇな』
それから数日間、大男たちはその島に留まった。
大男と古龍が話し込んでいる中、彼と共に来た者たちは忙しなく動き回っている。
漏れ聞こえた単語から推測するに、彼らはこの結晶を複製しようとしているみたいだ。
そして数日かけて作られた結晶は、別の場所へ安置された。
彼らの内の一人、真っ白な体の女だけがこの島に残った。彼女はその時が来るまでこの結晶を守り続けるのだと。
『いつか、俺の後継者がここを訪れるだろう。その時までそのクリスタルを守り抜いてくれ。そいつが、必ず神を討ち果たしてくれることだろう』
大男はそう言い残し、島を去った。
残された女は僕を召喚し島の管理を任せ、自分は島を覆う結界を張り続けるそうだ。
結界の影響で、この島はさらに世界から秘匿される。
少年は奮起した。
これは男との約束である。初めてのことだ。
約束は守らなければならない。だから、少年は彼の後継者が現れるその時まで……とうに朽ち果てた身だが、彼はその魂尽きるまで約束を守り続ける。
◇◇◇
龍の遺骨に寄りかかるように朽ちた、人型の遺骨。
共に支え合い、彼らは約束を果たした。
後継者は現れた。その姿、まさにかの男の面影と重なる。
そして煉は静かに涙を流し、ぽつりと呟いた。
「……お疲れ様」
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