楽園喪失編

第271話 海神の怒り

「――ここは……?」


 目を覚ました時、イバラは見知らぬ砂浜に打ち上げられ空を見上げていた。

 ここがどこか、なぜこんなところにいるのか、現状把握よりも先にまずは仲間の安否が気になった。

 鈍い痛みを感じる体をどうにか起こし、辺りを見渡す。

 数メートル離れた場所に、自分と同じように砂浜で横たわる煉とアイトの姿を確認。

 二人とも特に外傷はなく、安堵からホッと息を吐いた。

 とにもかくにも二人を起こそうと、イバラは重い体を引きずり近づいていく。


「レンさん、アイトさん。起きてください。眠っている場合ではありませんよ」

「……――んぅ」


 体を揺すると、アイトが小さく声を漏らし、薄く目を開いた。


「良かった……」

「ああ……そうか。俺ぁ、死んだみたいだな……」

「……は?」

「どうやら、ここは天国みたいだな……。本物の天使が、俺を迎えに来ているみたいだし、角の生えた天使とかむしろ愛らしいじゃねぇか……角?」

「ここは天国ではないですし、私は天使ではありません! 早く正気に戻りなさーい!!」

「うわぁあああああああ!? ああ……イバラちゃんか。どうした? そんなプリプリして」


 アイトはバッと体を起こし、ようやくイバラを認識した。

 イバラが怒っている理由もわからず呑気な様子ではあるが。

 そしてアイトも周囲を見渡し、現状を確認する。

 燦燦と照り付ける太陽、太陽光で輝く真っ白な砂浜、見渡す限り視界に広がる青い海、背後には先の見えないジャングル。

 その中で最も目を引いたのは――。


「……大海原に浮かぶ巨大な門、とはな……」

「ここはやはり……」

「死界の一つ『絶海の楽園都市』で間違いないだろうけど、どう見たって都市って感じはしないな」

「ですね……」


 現状把握に努めようにも、理解できないことが多すぎて整理できずにいた。

 目を覚まさずにいる煉の体を揺すってはいるが、一向に目を開ける気配はない。


「レンが目を覚まさないことにはな……」

「ですが、ここにずっといるわけにはいきませんよ」

「それはそうなんだが。そう言えば、なんでこんなことになっているんだっけ?」

「それは――」


 そしてイバラは、それまでの記憶を辿り始めた。



 ◇◇◇



 ――三人が漂着する数時間前。


 漁に出る漁船の護衛と言う名目で船に乗り込んだ三人は、リヴァイアから遠く離れた沖に出ていた。

 特に強力な魔獣が出るわけでもなく、晴れ渡る空の下、海の真ん中でのんびりとしている煉。

 イバラやアイトもそれぞれ思い思いに自分の時間を過ごしていた。

 すると、恰幅のいい男が煉の下へ近づいてきた。

 その男は漁船の船長であり、三人の依頼主だった。


「いやぁ、Sランク冒険者に護衛してもらえるだなんて! これほど安全に漁ができることはないさ。それに依頼料もそれほど高くなかった。君たちは良かったのかい?」

「ただの漁でこんな離れた海まで出てもらってるんだ。それくらい融通するさ」

「それにしても、君たちはこんな場所まで何か目的でも?」

「ああ、ちょっと探し物をな」

「そうなのかい。見つかったのかな?」

「いや。特にそれらしいものはないな」

「それは残念。そろそろ漁も終わるし、街へ戻ろうと思うんだ。あまり長居はしたくないしね」

「もうか? 何か理由でも?」


 煉が訊ねると、船長は少し顔を青くした。

 まるで何かを恐れているように。

 そしてぽつぽつと語り始める。


「……この近海では、何の予兆もなく嵐が吹き始めるんだ。空に暗雲、大波に巨大な渦潮、雨や雷、突風も、何もが突然に。奇妙な自然現象だよ。だからリヴァイア周辺の船乗りたちはあまり街から離れて漁はしないんだ。なにせ――この現象に巻き込まれ生きて戻ったものはいないと言われている。数十年前に瀕死の状態で帰ってきた一人を除いてね」

「……へぇ。面白そうな話だな」

「僕たち船乗りにとっては恐怖でしかないけどね。そのたった一人の生還者の話では……嵐の最中、海に巨大な影を視たそうだ。数百メートルを超える蛇のような。まさしく怪物そのもの。それから、僕たちはその自然現象にこう名付けた。――『海神の怒り』ってね」


 額に脂汗を流しながら話す船長。本当に恐怖していることが窺える。

 船員たちから網の引き上げが完了したと告げられ船がリヴァイアへと方向転換したその時――突然景色が一変した。


「なっ!? これは――っ!?」


 空には真っ黒な雷雲が掛かり、青く澄んだ空を覆い隠す。

 突風に煽られ、横殴りの大雨に視界を遮られ、高波によって船がバランスを崩す。

 さらに船尾には、今までそこには何もなかったはずなのに、巨大な渦潮が発生していた。


「あ、ああ……ああああ……っ!」

「か、海神の怒りだ……」

「これが……確かにまずいな!」

「レンさん! それは!?」

「ん? うおっ、めっちゃ光ってる」


 煉の胸元が眩い光を放つ。

 数日前、リルから借り受けたアクアマリンのネックレスを首から下げていたのだが、どうやらそのアクアマリンが光を放っているようだ。

 煉が服の下からそれを取り出すと、光は徐々に収束していき渦潮の中心を指し示す。

 リルから聞いていた話と合致する。

 煉はニヤリと笑い、イバラとアイトを連れ船尾へと向かう。


「――君たち! 後ろは危ないぞ!」

「船長! 探し物が見つかった! あんたらが逃げられるようにはするから、俺たちは行くぞ!」

「行くって……それに僕たちはどうすれば!?」

「全員船にしがみついてろ! イバラ、頼むぞ」

「はぁ……船ごと転移って難しいんですからね。まったく人使い荒いんだから……」


 イバラは長杖を取り出し、転移魔法の準備を始めた。

 すると、イバラが詠唱する声の他に、奇妙な声を耳にした。


『……――選ばれし……者よ――……道……携えし……者よ……園へ……誘わん』


「――おい、レン! 下、下!」

「――っ!? こいつは……」


 アイトに促され、煉は船の下を覗く。

 船の下には、数百メートルを超える巨大な影がとぐろを巻いて海の中を漂っていた。

 生物としてはにわかに信じがたい巨体。

 嵐が起きたからそれが現れたのか、もしくはそれの出現によって嵐が起きたのか。

 声の主はその影であるということだけは理解できた。


「海神と言うより、海龍だな。リヴァイアサンってところか」

「暢気にそんなこと言ってる場合か! どうすんだよ、俺たちは!?」

「どうするも何も……この石が指し示す通り行くしかないだろ?」

「まさか……」

「そのまさか。イバラ、準備は?」

「いつでも。できれば早くしてほしいです」

「了解! それじゃ――行くぞ!」


 煉の声を合図にイバラは魔法を発動した。

 漁船は姿を消し、三人は突然宙に投げ出される。

 悲痛な表情で祈るアイトと呆れ顔でため息を吐くイバラの手を掴み、煉は光の指す渦潮の中心を目指して飛び込んだ。


 三人の姿は、流されるままに海の底へと沈んでいった――。





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