第258話 葛藤

 試合が終わったその日の夜、同室のアイトが熟睡していることを確認しお祭り騒ぎの宿の酒場から出た煉は、一人真っ暗な港に来ていた。

 月明かりに照らされた港は、静かな波の音だけが聞こえる穏やかな空間となっていた。

 そんな場所で煉は試合のことを思い起こし、右手に小さな黒い炎を灯す。


「……少しやりすぎた、かな」


 七神教の中枢にいるだろう、大聖司教の一人ミガリを倒した煉。

 神殺しという目的や「叛逆者」であることも勢いで話してしまった。

 おそらく神敵として教会に目を付けられただろう。

 闘技場だけでなく、宿に戻ってからもずっと視線を感じていた。

 誰かに監視されていると思った煉は、寝ているイバラとアイトを起こさないように一人になったのだ。


「正直、俺の都合で二人のことを振り回してはいるけど、狙われるのは俺一人で十分だよなぁ。そうだろ? ここまでずっとつけ回してきて、殺気駄々洩れだぞ」


 煉がそう言うと、建物の陰から派手な装飾が施された金鎧の男が姿を見せた。

 思っても見なかった人物に煉も少し吃驚していた。


「なんだ、負けた腹いせにでも来たのか? 三流剣士」

「……僕は納得していない。君の力も、君の実績も。神童と呼ばれた僕がAランクになるまでどれだけ時間がかかったと思っている。なのに……君は一年経たずにAランク? 死界攻略者? ふざけるな! 僕の努力は何だったんだ!?」


 激昂するギルの言葉を、煉は視線も向けずただ黙って聞いていた。

 そんな煉の態度にギルの怒りはさらにヒートアップしていく。


「君と僕とで何が違う! なぜ神は、君にそんな力を授けたと言うんだ! 僕はただ……神童であることが誇りで…… 『剣聖』に認められたかっただけなのに……」


 ギルの言葉に力が無くなっていく。

 煉の手によってギルは自信を喪失し、矜持が崩れ去ってしまった。

 悲し気な表情で煉を睨むギル。その目にはこれまでなかった葛藤が生まれていた。

 煉は徐に立ち上がり、真っ直ぐギルの目を見返す。

 一瞬たじろいだギルへ煉は無感情で淡々と告げた。


「俺とお前じゃ何もかもが違う。生まれた場所も、生きてきた世界も。お前がどういう人生を歩んできたかなんて知らない。”神童”だなんだと持て囃されて甘やかされてのうのうと生きてきたんだろ」


 煉の言葉に反論できず、ギルは黙り込んだ。


「親に殴られたことはあるか? お前なんか生まなければよかったと言われたことは? 大人たちに見て見ぬふりをされたことは? クラスメイトに裏切られたことは? 深い谷の底で独り、戦い続けたことは? ……たった一人、唯一の救いとなった女に殺されかけたことはあるか? 

 お前には無いだろ。神童だとか、神に与えられたとか、そんな安っぽい言葉で片付けんな。根本的に見てる世界が違うんだよ。

 ……とっとと失せろ。二度と俺の前に姿を見せるな」

「ひっ――!?」


 煉は魔力を放出して威圧した。

 体に刻み込まれた恐怖を思い出し、ギルは慌てて逃げるように去って行く。

 そして煉は大きなため息を吐いた。


「はぁ……柄にもなく熱くなっちまった。感情があるってのも面倒なもんだな。――盗み聞きは趣味が悪いぞ、おっさん」


 上を見上げ煉がそう言うと、近くの建物の屋根から気を失った暗殺者を三人ほど抱えたゲンシロウが飛び降りてきた。

 ゲンシロウはニヤニヤと面白そうに笑みを浮かべている。


「若者の邪魔をしないようにというおっさんの気遣いだ。お前の周りに無粋な輩がうろちょろしてたからな」

「そうじゃねぇよ。なんでここにいるんだよ」

「あぁ? 弟子が悩みを抱えてるみたいだからな。師匠としておっさんが相談に乗ってやろうと思ってな」

「余計なお世話だ」


 素っ気なくあしらわれるも、ゲンシロウは快活な笑い声をあげる。

 楽しそうな表情から一転、真面目な表情を浮かべゲンシロウは煉の頭に手を置いた。


「若い内は好きなだけ悩めばいい。その葛藤がお前を強くする。だが――迷いは捨てろ。道を見失って迷子にだけはなるな」

「は? 何言って」

「忘れるなよ。それから惚れた女は死ぬ気で守れ。後悔しないためにもな。さっき言ってたよな。救いとなった女が……」

「おい、おっさん。ぶっ殺すぞ」

「ガハハッ! 明日もあるんだ。ガキはとっとと寝ろ。こいつらは処理しといてやる」


 そう言って煉の背中を思い切り叩く。

 煉はゲンシロウを一目睨んだ後、渋々宿へと戻って行った。


「惚れた女は死ぬ気で守れ、か……。どの口が言ってんだ。……さて、面倒事はガイアスに押し付けるに限る。とっとと済ませて酒でも飲もうかねぇ」





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