第229話 王女の苦悩

 誰もが呆然と空へ舞い上がり海に沈んでいく船を眺めていた。

 静寂に包まれた甲板には、遠方から届く悲鳴が木霊している。

 そんな中ただ一人、悠然と海賊たちの前に歩いていく煉。

 煉の姿を確認した冒険者たちがざわつき、安堵と期待感に胸を躍らせた。


「おい、あれ……」

「『炎魔』だ……!」

「この船に乗っていたのか」


 冒険者たちの声に反応し、海を眺めていた海賊たちが振り返る。

 小太刀を手に近づいてくる煉を見て、船長の男はニヤリと笑った。


「……さっきのは、お前の仕業か?」

「いや、俺の仲間だ」

「そんなことはどうでもいい! なぁ、俺と手を組まねぇか?」

「はぁ?」

「俺とお前が組めば、何もかもが手に入る! 女も金も名誉も! 全てを略奪し、この世界で自由の象徴になれるんだ! どうだ!?」


 興奮気味で煉に取引を持ちかける。

 最高に魅力的な提案をしたと、自信満々な男は煉の顔を見て首を傾げた。


「……なんだ、その顔は?」

「いや、随分とつまらない提案だと思ってな。女を自由にしたいとは思わないし、正直金も名誉もすでに持ってる。そういうのは相手をよく見てから言えよな」

「あ? ガキが、調子に乗りやがって。おい、野郎ども。――殺せ」


「守護の指輪」を持っているからか、海賊たちはナイフを持ち無防備に煉へと近づいてくる。


「お前みたいなガキに何ができる! 俺たちにはこの指輪があるんだ! 何をしたって無駄「ぎゃぁぁぁぁ!!」――――は?」


 突然の悲鳴に船長の男の言葉が止まる。

 視線を向けると、煉の周囲にナイフを持っていた腕の手首から先が斬り落とされたし下っ端たちが、じたばたと床を転がっていた。

 男の心に初めて動揺が広がる。


「な、何をした!?」

「何って、斬っただけだ」

「ば、馬鹿なことを! 『守護の指輪』で守られた俺たちが斬られるわけ――」

「あんな薄い結界でよくそんな自信満々でいられるな。むしろ感心するわ」

「な、何を言って……」

「あんなもん、空中庭園の結界に比べたら紙同然だ。それより、あんたに聞きたいことがあるんだ。ちゃんと……答えてくれるよなぁ?」


 楽しげに笑う煉を見て、男はようやく相手を間違えたことに気が付く。

 海賊をやっていても世界中で話題になった情報は手に入るものだ。

 だからこそ、記憶の片隅にあった情報が頭を過る。

 男の胸中に広がるものは――恐怖。そして、絶望。


「その、深紅の髪……炎の刺青、少年のような顔立ち、刀を手にした冒険者。まさか……『炎魔』……」

「海賊にまで知られてるとはな。丁度いいや。俺の知りたいことを教えてくれるなら、命は許してやる。だが――腕の一本は覚悟しろよ」


 そうして、海賊たちの心に『炎魔』の恐怖が刻み込まれた。

 彼らはこの先、悪夢として煉の笑みが浮かびあがることだろう。




 ◇◇◇




 海賊を追い払った船は、航海を再開した。

 そして夜、乗客が寝静まった頃、王女は一人甲板にて夜の海を眺めていた。

 すると後ろから声を掛けられた。


「――気にしてんのか?」

「……アグニ様」


 煉は王女の横に立ち、空を見上げながらのんびりとした口調で訊ねた。


「あんたも、Sランク昇格試験を受けるんだってなぁ」

「……ご存じだったのですね」

「サイラスさんに聞いた。イザナミに留学中に突然帰国だなんておかしいからな」


 ネプテュナス神王国第一王女はイザナミに留学中。

 そんな話を小耳に挟んだ煉は、突然の帰国に不自然さを感じた。

 留学してまだ半年も経っていないのに、帰国するのは何か理由があるのではと思い、サイラスに確認を取ったのだ。

 そしてサイラスの答えは、王女がSランク昇格試験を受験するということだった。


「……陛下からの御下命なのです。こう見えて私はAランクの冒険者。冒険者らしいことは特にしていませんが、魔眼と他魔法スキルによりAランクとして認められています」

「だからってSランク昇格試験を受ける必要はない。つまり王様……」

「ええ。アグニ様のご想像通りです。お父様は私に王位を譲るおつもりなのです。お兄様たちではなく、私に。

 民から愛されていることは知っています。国政も学んでおりますし、外交に出ることもあります。ですが……王になるつもりはありませんでした。

 此度のことは、おそらくお兄様たちの画策なのでしょう。王位を得るため、私を排除しようとした……。

 昔は仲の良かった普通の兄妹だったのに……いつからこうなってしまったのでしょうか……」


 王女の頬を流れ落ちる滴が波にさらわれていく。

 下を向き、涙を見せないようにする王女の頭に煉は優しく手を置いた。


「嫌なら嫌って言えばいい」

「それは……できません。私は、王女ですから」

「だから何だ? 王女だから我儘言っちゃダメなのか? つまんねぇ生き方してんじゃねぇよ。どんな人間だって、やりたいことをやるべきだ」

「ですが……もしも、私がやりたくないと言ったら、アグニ様がどうにかしてくれるのですか……?」

「いや、自分でどうにかしてみせろ。あんたにはその力があるんだからな。Sランクになってサイラスさんとナナキ連れて冒険にでも出ればいい。世界は広いぞ。一国の王なんかより楽しいことが待ってる」


 そして、煉は空に浮かぶ星に手を伸ばし、最後に笑ってみせた。


「どうせなら抗ってみせろ。王にも、兄貴たちにも、国民の望みにも。誰しも人は自由であるべきだ。その方が刺激的で楽しい。俺はそうしてる。あとは、あんたの意志次第だ」


 言いたいことだけ告げ、煉はその場を離れていく。

 王女は、ただその背中をじっと見つめていた――――――。







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