第206話 馬鹿にするな
「――はっ!!」
イバラの小さな拳が天使の顔面に突き刺さる。
直撃した天使はそのまま糸が切れたように地面に倒れ伏す。
同じような姿の天使が、イバラの周囲に数十体も転がっていた。
「……あと三分」
数十の天使を倒したイバラだが、動きは荒く息も絶え絶えの状態だった。
いくら人口天使と言えど、大天使ほどの力を宿している。
冒険者ランクで言うとC級上位もしくはB級クラスの力と同等。
そんな力を持つ数百の天使をたった一人で数分間相手にしているのだ。
ラファエルも驚愕の表情を浮かべていた。
「……驚きましたわ。まさか、このような力を隠し持っていたなんて。しかし、それもあと数分と言ったところでしょうか。こちらはまだこれだけの天使が残っています。果たして、あなたはあとどれほど耐えられるのですかね」
そう言ってラファエルは、空中で高みの見物をしていた。
自らの手を下すつもりはない。
これだけの戦力差を覆す力など持っていないと、そう確信しているのだ。
自分はただ待つだけで良い。
そんな様子のラファエルを見上げたイバラは、悔し気に唇を噛みしめる。
今の力でも、ラファエルに手が届きそうにないと意識してしまった。
そして一瞬だけ集中を切らしてしまったイバラを、天使たちはここぞとばかりに攻め立てる。
さらに天使たちの攻撃は激化した。
「く……っ!」
槍の穂先がイバラの頬を掠める。
紙一重で回避しても、次々と襲い掛かる突きの雨に防戦一方を強いられてしまう。
心臓への突きを回避、前後に迫った二振りの槍の横薙ぎを屈んで回避、上から降ってくる六本の槍を転がるように回避。
態勢を立て直す間もなく、天使たちは攻撃の手をやめない。
彼らはただ忠実の命令を遂行するのみ。そこに意志も感情もない。
さすがのイバラも苦悶の声を漏らした。
「数が多い……! ああ、もうっ! うざいですね!!」
「ふふっ。心の声が漏れてますわ。余程切羽詰まっているみたいですね。大人しくしていただければ、痛い目を見なくてすむと申しましたのに。……あと二分、ですかね」
タイムリミットは刻々と迫っていた。
イバラは焦る心を隠し切れず、表情もより険しくなってきている。
何より〈鬼血励起〉の反動で、しばらくの間体を動かすことができなくなってしまう。
薄まった鬼の血を無理矢理覚醒させているが故の副作用だった。
「……だから、嫌なんですよ。どうせ血を引き継いでいるのなら、こんな中途半端にしないでほしかったです、ねっ!」
イバラの蹴りで、天使の槍が数本砕け散った。
天使が怯んだ瞬間を狙い、イバラはさらに数体の天使を叩き壊す。
動かない天使の人形が、いくら地に堕ちても未だ終わりは見えない。
そこへ、さらなる絶望がイバラに襲い掛かる。
「――んだよ、ラーフ。まだ終わってねぇのか?」
「あら、姉様。想定よりも時間がかかりましたね。さては、遊んでいらしてたのですか?」
「少しくらいいいだろうが。まあ、こいつ程度じゃ退屈しのぎにもなりはしねぇがな」
そう言ってウリエルが何かを放り投げた。
イバラの近くに転がったのは、体中から流血し気を失っているアイトだった。
「アイト……さん……?」
イバラの呼びかけにも返事はない。
慌てて駆け寄り、息があるかどうか確認する。
「……良かった」
辛うじて息はしているようで、イバラは安心した。
しかし、このまま放置していては出血多量で死んでしまう。
急いで治療しなければと思い、立ち上がろうとするイバラの脚から力が抜けた。
「あ、れ……?」
イバラの髪が黒に戻り、額の角も小さくなった。
〈鬼血励起〉の効果が切れてしまったようだ。
「どうし、て……まだ、時間は……」
傷だらけのアイトを見たショックと気を抜いた一瞬で魔法の維持が出来なくなったのだ。
そのため、時間よりも先に限界を迎えてしまった。
「どうやらここまでのようですね。ええ、あなたの奮闘は無駄ではありませんでした。その努力を称えましょう」
「殺しはしねぇ。てめぇらはエサだ。奴を呼ぶためのな。どうすりゃ来るかねぇ。もう少し痛めつけるか?」
「どうでしょうか。……もしや仲間を見捨てて逃げたのでは?」
「ははっ! そりゃとんだ腰抜けだなっ!」
ウリエルが大きな笑い声を上げる。
その隣でラファエルも小さく笑う。
二人のそれにはたっぷりの嘲りも含まれていた。
「――そんなはずありません!」
血まみれのアイトを抱きかかえたイバラが、二人の笑い声を遮るように叫んだ。
「……レンさんが逃げる? 何を馬鹿なことを。彼は逃げませんよ。誰よりも強くて、勇敢で、意外と仲間想いなレンさんです。ましてや自分より弱い者から逃げる道理がありませんし。そんなことも知らないあなたたちが……私の仲間を、馬鹿にするな――!!」
その目は真っ直ぐに目の前の天使たちに向けられた。
力強い意志を宿した瞳は、一切逸らされることはなかった。
イバラを見る二人の天使の視線が鋭くなる。
「……へぇ。面白い事を言うじゃねぇか。誰が、誰より、弱いって?」
「ふぅ。初めてです。こうして面と向かって馬鹿と言われたのは。天使である私が、こんなに苛立ちを覚えるとは」
それぞれ剣を抜き、怒りに満ちた表情でイバラを見下ろす。
「楽に死ねると思うなよ」
「死ぬつもりはありません。私は、レンさんを信頼していますから。――絶対的に」
「はっ! 上等だ。その信頼をへし折って――っ!?」
ウリエルが大剣を振り上げた瞬間、死界に張り巡らされていた全ての結界が消失した。
それと同時に、周囲の温度が急激に上昇し始めた。
さらに、周辺の転がっていた天使が突然炎上した。
灰すら残さず消えた天使を見て、ウリエルたちの心に動揺が広がる。
対して周囲の光景を目にしたイバラは、安堵の表情を浮かべる。
――イバラとウリエルの間に突然魔法陣が浮かびあがった。
ウリエルは慌てて距離を取り、魔法陣へ剣を向けた。
その魔法陣から一人の男と、その肩に掴まる幽霊の少女が現れた。
「……どうやら、本命の登場みたいですね」
「いいねぇ……ゾクゾクしてきた」
魔法陣から出てきた男――煉は周囲を見渡し、傷だらけの二人の姿を視界に収めた。
イバラと目が合うと、安心させるように軽く笑う。
そして二人の天使へと傲岸不遜に言い放つ。
「伯爵の頼みもあるから、手加減してやる。とっととかかってこい」
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