第181話 消えない疑念

 ――あの日から、私の中の疑念は消えない。


 私は一体何者だったのか。

 彼の目に覚えがあるのはどうしてなのか。

 私の持つ記憶は間違いなのか。


 答えの出ない疑念が、私の心を蝕んでいる。


「――相変わらず、いえ、以前にも増して暗い顔をなさってどうしたのですか?」


 ふと私に声をかけてきたのは、私と同じ階級の熾天使ラファエル。

 知的な風貌で常に落ち着きがあり、正反対な性格の姉ウリエルと常に行動を共にしている。

 珍しいことに今日は一人のようだ。


「……今日はお一人なのですね」

「姉様は体を動かしてくると言ってどこかへ行ってしまいました。それゆえ、こうして暇を持て余しているというわけなのです」

「主より賜った使命はまだ果たしていないと聞いていますが?」

「そうですね。少々困ったことに、当の魔人の居場所が未だ不明なのです。下位の天使を放ってはいるのですが、見つけられてはいないようです。ですので、気長に待つことにしています」


 やれやれといった様子で肩を竦めるラファエル。

 しかし、表情はとても楽しそうである。


「それで? あなたはそう暗い顔をして、何をお考えなのですか?」

「……大したことではありません。気にしないでください」

「大したことない、という顔ではありませんわよ。特に――あの森から帰還して以降ずっと、そんな顔をしています。私でよければお話を聞くくらいはできます」

「……存外優しいのですね、あなたは」

「これでも貴方よりも熾天使としては先輩にあたります。後輩の面倒を見るのは先輩の役目でしょう?」


 そう言って、ラファエルは楽しそうに笑う。

 その言葉に嘘偽りがないことは、ミカエルがよくわかっていた。

 ラファエルは嘘を吐くことも吐かれることも嫌いなのだ。

 彼女の前で嘘を吐いた人間がどうなったのか、今でも鮮明に覚えている。

 彼女であれば、私の疑問にも明確な答えを出してくれるのではないか、心のどこかでそう期待している私が居た。


「……実は――」


 そうして私は、今まで自分の中に溜め込んでいた疑念を打ち明けた。

 ラファエルは表情一つ変えることなく、笑みを浮かべたまま黙って聞いていた。


「……貴方は考えたことありませんか? 私が天使ではなかったという記憶を持つ者と遭遇した場合、何が正しいのか」

「私は、ミカエルのような経験をしたわけではないので一概には言えませんが、己が信ずるものを軸にするというのはどうでしょう。そのためにも、まずは私たちの役目を改めて認識しましょう。私たち熾天使とは、何のために存在するのか」

「それは……主の使いとして、世界の平穏を保つためでしょう」

「その通りですが、少し足りません。我々天使は主の使いであり、世界の平穏を保つため――それを脅かす全ての存在を許しはしません。如何な理由があろうと、世界の秩序を乱す者は排除しなければなりません。それが主の望みであり、主に与えられた天使のお役目です」


 確かにそうだ。

 私たち天使は、主に与えられた役割を果たす存在。

 世界の平穏を保ち、秩序を乱す者に神の裁きを下す代行者。

 その役目に間違いはない。

 だが、そう思うほどに私の疑念は強く浮かび上がる。

 なぜ主の望みを叶えるのか。

 なぜ天使という存在を主は御造りになられたのか。

 頭の中で駆け巡る、「阿玖仁煉」「江瑠間美香」とは、一体誰なのか。

 この名を思い浮かべるだけで、フラッシュバックするは誰のものなのか。

 やはり答えは出ないままだ。


「それにしても、ミカエルもなぜそのようなことを。いえ……そう言えば、似たようなことをガブリエルも言っていたような……」

「ガブリエルが……?」


 ガブリエルは、私よりも少し早く誕生した熾天使である。

 少々変わった子で、天使であるのに槍を使わず、長剣を扱い、その上人間のように魔法の研究をしている。

 他の熾天使たちからも少し距離を置かれている天使だ。

 そんな彼女が私と同じようなことを言っていたと? 

 ……気になります。

 そんなことを考えていると、突然ラファエルが翼を広げどこかへと行こうとしていた。


「申し訳ありませんが、私は急用ができました。これにて失礼いたします」

「何処へ……いえ、見つかったのですね?」

「はい。件の魔人は――空中庭園の側にいるそうです。かので何をしようとしているのかわかりませんが、我々は主より賜った使命を果たすのみ。貴方もあまり難しいことを考えず、己が信ずるままに行動してみてはどうでしょう」


 ラファエルはそう言い残し、飛び去って行った。

 己が信ずるままに……。

 彼女の言葉を心の奥に仕舞い、私は天上世界にいるだろうの下へと向かった。







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