第151話 魔界
そこは、煉のいる世界の裏側。
荒廃した大地と死の気配が漂う魔境の地――魔界。
その身に魔を宿し、人々を恐怖に陥れる、魔族の巣くう世界。
そんな世界にも、秩序という概念は存在する。
徹底的な実力主義により、強き者が世界の頂点に君臨する。
――――魔王。
伝説に語り継がれる、神さえ恐れをなすと言われる悪の権化。
悪を象った禍々しい城の玉座にて、その男は退屈そうに座っていた。
その男の名は、アザゼル。
玉座に肘をつき、つまらなそうに部下の報告を聞いている。
「……結論から申しますと、此度の死界探索では大した成果を得ることができなかったそうでございます。かの大賢者の遺産、その手掛かりすら置かれていなかったと」
「――たわけ」
静かな、それでいて高圧的な声が玉座の間を支配する。
その声に、報告を上げていた部下は身を震わし、恐怖を感じつつも次の言葉を待つ。
「くだらないことで俺の時間を無為にするな。次はない。疾く失せよ」
「ひっ!?」
部下の男は一目散に玉座の間から飛び出していった。
そして魔王の極寒の視線が、扉の側に立っていた男に向けられる。
「よもや、その程度、ということはなかろうな? ――――勇者よ」
「まさか。たまたま見つけられなかっただけです。それに、無能な人材を派遣した魔王様にも原因はあるのでは?」
勇者、綺羅阪天馬。
魔界では珍しい、くすんだ金髪に、勇者の証である黄金の鎧を纏った、煉の元クラスメイトにして、煉を陥れた張本人。
人族の勇者として呼ばれたはずの天馬は、魔界にて魔王と共にいた。
「戯言を。無能も使い方次第だ。貴様の力量などたかが知れている。役に立たぬなら、貴様を切り捨てるのもやぶさかではない」
「ちっ……」
天馬は悔し気に歯を食いしばる。
勇者と言えど、魔王に逆らえるほどの力を持ち合わせていないのだ。
剣呑な雰囲気が漂う中、突如、玉座の前に黒い霧が発生した。
周囲に配置されていた魔族の兵士たちが一斉に警戒し武器を手に取る。
しかし、魔王が手を上げたことで、何事もなかったかのように元の位置の戻った。
霧が晴れると、そこには左肩から先を失くし、かなり衰弱した様子のパイモンの姿があった。
「魔王様……魔将軍の、一角、パイモン、ただいま……帰還、いたしまし、た……」
「ほう? パイモンよ、貴様がそれほど負傷しているとはな。何があったか、申してみよ」
パイモンの姿を見た、兵士たちが即座に治療スキルを持つ魔族兵を呼んだ。
魔族にも、希少な回復魔法の使い手が存在する。
パイモンは、治療を受けながらも、一部始終を報告した。
「はっ。此度の任にて、我はサタン様の御力を宿した人間と争いました」
「何? 悪魔の力を宿した人間だと? かの大罪人がまだ生きていると言うのか」
「いえ、おそらくは代替わりでしょう。若い少年でございました」
「ほう。それは興味深い。その小僧に、貴様がそこまでやられるとはな」
「不覚を取りました。ですが、次相見えた際には必ずやこの借りを返します」
「良かろう。だが、二度の敗北は許さんぞ」
「心得ております」
パイモンは膝をつき、深々と頭を下げた。
魔王の態度から、魔将軍である彼には信を置いていることがわかる。
パイモンを下した相手に興味を示した魔王は、その相手について訊ねた。
「して、その大罪人の名は?」
「はっ。その者の仲間と思しき者たちからは、レン、と呼ばれておりました」
「――――レン、だと?」
反応を示したのは、勇者だった。
レンという名には、聞き覚えどころではないほどの想いを持っている。
もし奴が生きているなら、と勇者の脳裏には過去の苦々しい記憶が蘇る。
それは自分の欲しい女が手に入らなかったこと、その女の側にいた邪魔者の事。
その記憶が、勇者の心に影を落とす。
「どんな男だ……? そのレンという男はどんな男だった!?」
「深紅の髪に、炎のような紋章をその身に刻んだ男だ。膨大な魔力を緻密に制御し、戦いを楽しむかのように、戦闘中は常に笑みを浮かべていた」
パイモンの言う男の特徴と、勇者の思い浮かべる煉のイメージはかけ離れていた。
そのため、その男が本当に煉なのか、勇者には確信が持てなかった。
――突然、魔王の笑い声が響いた。
「久方ぶりに、人間に興味を持った。もし、貴様が二度敗れるようなら、この俺の前に姿を見せるかもしれんな」
「そのような事、させませぬ。いかに魔王様が興味を持とうとも、奴は我の手で殺します」
「ふむ。では、奴が来るのを期待して待つとしよう」
そして、魔王の高らかな笑い声が玉座の間に響き渡る。
そんな中、勇者は静かに部屋を出た。
その表情は暗く、狂気を宿していた。
「もし、生きているのなら、次こそは必ず俺の手で。ああ……そうだな。あの女の前で、無残に――――殺してやる」
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