第136話 ”天災”

 深い霧に包まれた森の中、結界の内側で座り込んでいたアイトは突如響いた激しい轟音と地鳴りに驚き、ビクッと体が飛び跳ねた。

 反射的に剣を構え、周囲を窺う。

 そして、音の方角から煉のいる辺りだと思い至り、安心したように息を吐いた。


「…………なんだ、レンか。相変わらずド派手な奴だな。少しやりすぎな気もするが……」

「…………んんっ」


 地鳴りによって、地面に横たわって眠っていたイバラが目を覚ました。

 顔色はさほど変わらず悪いままである。


「おっと、起きちまったか。今のはレンが暴れたせいだ。たぶんすぐに戻ってくると思うけど、もう少し眠ってて大丈夫だぜ」

「そうですか……」


 納得したようにそう呟くが、イバラは体を起こし、ある一点を見つめていた。

 その視線の先は煉のいる場所とは正反対の方角で、アイトも視線を向けるが濃霧により何も見えない。


「イバラちゃん?」

「えっ……あ、いや、今何かがこちらの様子を窺っていたような……気のせいかも」

「こんな霧の中で何か見えるわけないさ。だけど、一応警戒はしておくさ。ほら、寝なって」


 アイトはイバラを無理矢理にでも寝かせようとする。

 イバラも起きているのが辛く、疲労がピークを迎えていた。

 そのまま横になり目を閉じると、再び深い眠りに落ちていった。

 アイトはイバラが眠ったのを確認し、腰を落ち着けた瞬間、何かの気配を感じ取りふと顔を上げた。

 すると、いつの間にか視認できる数メートル先の樹の枝に、三メートルほどの大きなゴリラの姿。

 アイトの体は硬直し、ゴリラから視線を逸らすことができなかった。

 幸い一体のみ。勇気を振り絞って結界を出ようとした時、ゴリラが自分の胸を叩き大きな音を発し始めた。


「これは……あいつもしかして、ジャイアントフロックエイプか!?」


 ジャイアントフロックエイプは危険度Sランクのゴリラの魔獣である。

 二メートルから大きいもので五メートルほどの巨体になり、かなりの剛力を誇る。

 その上、彼らは群れで行動する。

 多くて五十を超えるゴリラの大群となると、討伐するのに一国の軍隊が必要になるほどだ。

 おそらく、今目の前でドラミングをしているエイプは斥候の役割を担っているのだろう。その大きな音で仲間を呼んでいる。

 次第に足音とゴリラの鳴き声が大きくなり近づいてきていた。


「数は……三十は越えてるか。ははっ、これはやばいな……」


 思わず笑ってしまうほど、アイトの心に余裕はなかった。

 今、アイトの心を占めているのは何としてでもイバラを守り抜くこと。

 そして、煉が戻ってくるまでの時間を稼ぐことだけだった。


「手持ちの魔道具で太刀打ちできる数じゃない。未だにこの剣も使いこなせていないし……まずい、詰んだ……」

「…………何もせずに、諦めないでください……」


 アイトが声に振り返ると、イバラが杖を持ち立ち上がろうとしていた。

 顔色は最悪のはずだが、その目は真っ直ぐにアイトを射抜いている。

 その目を見て、アイトは覚悟を決め一人結界の外に飛び出した。


「アイトさん……?」

「そこで大人しくしてな。煉が戻ってくるくらいの時間は稼いで見せるさ」

「…………足震えてますよ」

「そういうことは言わないでほしいな!!」


 震える体を押さえつけ、アイトは毅然と前を向いた。

 もうすでにジャイアントフロックエイプは十数体集まっている。

 いつの間にか結界を中心に囲まれてもいる。

 しかし、アイトは怖気づくことなく叫んだ。


「かかってこいや、ゴリラ共! 俺が蹴散らしてやるぜ!!」


 それと同時に、アイトの叫びをかき消すほどの猛獣の吼声が聞こえた。

 その場の全ての生き物が硬直し、恐怖に支配された。

 そして一迅の風が吹き、一時的に霧が晴れる。

 先ほど、イバラが視線を向けていた方角から、まさしく恐怖の象徴のような巨狼がゆっくりとした足取りで近づいてきていた。

 禍々しい気配を身に纏い、ダークグレーの綺麗な毛並みをした狼の魔獣。

 瞳は蒼く、口元から飛び出た大きな牙と鋭利な爪がより恐怖を感じさせる。

 そんな巨狼の視線は一直線にイバラへと注がれていた。


「おいおい、冗談だろ……」

「あれは……本に描かれていたものと特徴が一致します。危険度SSSランク、”天災”と謳われた神話の獣――――スコル」


 そして巨狼スコルは再び恐怖の吼声を上げた。








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