第126話 アイトの記憶

 ――――夢を見た。


 懐かしい夢だ。幼い頃の、小さな城の中を駆けまわっていた頃の夢。

 どうして今さらこんな夢を見るのか分からない。

 頭の中で夢だと理解している。

 なのに、どうしても俺はこの夢から醒めたいと思えない。

 これは決別した過去であり、自らの手で捨てた想い出の欠片だろう。

 そう思っているのに、俺は手を伸ばし続けてしまう――。



 ◇◇◇



 俺が生まれたのは帝国や王国とは比べ物にならないくらいに小さな国の城の中。

 一年を通して穏やかな気候で国民皆が平和に過ごし笑顔の多い国だったと思う。

 そんな国で、双子の兄として俺は生を授かった。

 アイトレウス・ウル・ペンドラゴン。俺の名前だ。

 誰もが俺たちを祝福した。

 それは俺たちが綺麗な金の髪を持って生まれたからだ。

 この国では金の髪は初代の王である騎士王の生まれ変わりとされるほど神聖なものだ。

 国を興した騎士王は聖剣を携え、数多の脅威を退けたらしい。

 今なお聖剣の加護によって国は守られている。

 故に、その金の髪を受け継いだ俺たちは周囲から注目され、期待されていた。


 俺と弟は対照的だった。

 部屋に籠り魔導書を漁る俺と外で駆け回りはしゃぐ弟のアルフォンス。

 弟はいつも騎士たちの訓練場に言っては剣を振り回していたらしい。

 騎士王のこともあり、国では剣をより扱えるものほど評価される。

 部屋に籠る俺とは違い、周囲は弟の方が優秀だと褒める。

 直接言われることはないが、俺は「引きこもり王子」と嘲笑される。

 しかし、そんなこと気にしたことはなかった。

 俺にとって魔法はとても魅力的だった。剣を振るうことよりも魔道具を弄るほうが楽しかった。


 だが、十三になった頃、増長した弟は俺の楽しみを奪った。

 部屋に押しかけては俺を引きずり出し、訓練場まで連れていく。

 部屋に籠っている俺の運動不足を心配したと言うが、本心は違う。

 下等な兄と直接比べられ、いい気分になりたいだけだろう。

 弟は俺に木剣を投げてきた。初めて握る木剣は少し重かったように感じた。

 困惑した様子で木剣を見つめる俺に、弟は言った。


『本ばかり読んでいる兄上が心配でして、たまにはこういう風に体を動かすのも悪くないと思いますよ。さあ、構えて。僕が剣術を教えて差し上げますよ』


 弟はニヤリと口元を歪めて木剣を構えた。

 周囲で見物している騎士たちからクスクスと笑い声が聞こえてくる。

 完全にバカにされている。まあ、仕方ないのだが居心地が悪い。

 早々に負けを認めて部屋に戻ろう。別にいくら笑われようが俺は気にしない。

 魔導書が読めればそれでいいのだから。

 とりあえず見よう見まねで俺は木剣を構えた。

 初めてのはずなのにどこかしっくりくるのは不思議な感覚だった。


 審判役の騎士の合図で俺と弟の模擬戦が始まった。

 弟は何の躊躇もなく突っ込んでくる。

 木剣を上段に構え俺の頭の上から振り下ろした。

 普通ならこれで終わりだろうと思っていた。

 しかし、弟の動きがとても緩やかでいつまで経っても木剣が降りてこない。

 こんなに遅いのに何もせずただ受けるのは癪だと思い、俺は木剣の間合いより一歩後ろに下がり避けることにした。

 ようやく振り下ろした弟がなぜか驚愕の表情を浮かべ俺を見る。

 すぐに表情を戻し、バカにしたような視線を向け木剣を振るう。

 横薙ぎ、突き、振り下ろし、振り上げ、上下左右振り回すが、俺にあたることはなかった。全部見えていたからだ。

 そのまま数分間弟の木剣を避け続け、少し疲れた顔をした弟の背後に回り首元に木剣んを当てた。


 すると訓練場はシーンと静寂が訪れ、誰も声を発さなかった。

 俺はそれで終わったと思い、木剣を投げ捨て部屋へと戻った。

 背後から弟の喚く声が耳に届いたが、俺には関係ないことだ。



 ◇◇◇



 あの模擬戦から弟はさらに俺の邪魔をするようになった。

 部屋にいては弟と鉢合わせてしまうので、城内を歩き回り弟の来ないであろう場所で本を読むようにした。

 城内を歩き回るだけで笑われる。落ち着ける場所はやはり部屋の中なのだが、全部弟のせいにした。

 城壁のすぐ側に生えている茂みの奥、そこに小さな切り株がある。

 そこで本を読むようになった。意外と日当たりもいい。

 ここなら誰の目にもつかない。落ち着けるいい場所だ。

 彼女が来るまではそう思っていた。


『――――こんなところで何してるの?』


 灰銀の長い髪が太陽の光を反射し、キラキラと輝いていた。

 真っ直ぐ見つめてくる青い瞳が印象的な可愛らしい女の子。

 弟が婚約者にしたいと騒ぎ立てている噂の子だとすぐわかった。

 アリス・ユーフェイン伯爵令嬢。

 どうしてこの場所にいるのか知らないが、お帰りいただこう。


『別に、本を読んでいるだけ』

『とっても難しそうな本ね。魔導書? 魔法を使えるようになるのかしら』

『俺は静かに本を読んでいたいだけだ。どっかに行ってくれ』

『嫌よ。人に言われて何かをするなんて嫌。私は私の意志でここにいるわ』

『勝手な女だな』

『ええ、そうよ。うるさくしないから一緒にいるわ』


 そう言って座り込んだ。

 令嬢のくせに地べたに座り込むなんて、変な女だと思った。

 ただ、何もせず俺が本を読んでいるのを眺めているだけ。

 何時間も、ずっと。

 しばらくして騎士たちが探しに来たことで帰りはしたが、最後にまた来ると言い残していった。


 それから俺の定位置にアリスが来るようになった。

 いつしか彼女がいることが当たり前のようになり、少し会話をするようにもなった。

 魔法が使えたらどうしたいか、好きな魔道具、いつも魔法ことしか話さないのにアリスは楽しそうに聞いていた。

 それが無性に居心地が良くて、悪くないと思った。


 そしてある日の事。

 俺の人生最大の分岐点。

 俺たち兄弟に婚約者が決まった。

 王である父に呼び出され、向かった部屋には王と宰相、そして婚約者であろう少女が二人、その父親がいた。

 二人のうち一人はアリスだった。

 もう一人は確か公爵家の娘だったか。名前はもう覚えていない。


『お前たちももう十三歳だ。王族としての役目としてここに婚約を結ぶ。いいな?』


 拒否権などある筈もない。

 俺はただ黙って頷き、弟は興奮した様子でアリスを見ていた。

 父は弟を落ち着かせようとする。

 本ばかり読んでいる俺より弟を可愛がっているのだ。

 おそらく弟の要望を叶えようとするだろう。


『アル、お前の婚約者はアリス嬢だ。アイトレウス、お前はこちらの……嬢との婚約である。せめて王族としての責務を全うせよ』


 俺にだけ厳しい視線を送り、王はそう言った。

 露骨に差別する必要などないだろうに、ストレス発散のための八つ当たりをする。

 家族からも嫌われている俺に居場所はない。

 もう少ししたら城を出ようと思っていたのだが、婚約者という枷を付けられてしまった。

 少し残念に思っていると、弟の手を払いのけたアリスが声を上げた。


『陛下、お父様。私をアイトレウス殿下の婚約者にしてください』


 なぜそこまで俺のことを……?

 ただの魔法好きで魔道具いじりが趣味の男なんぞ面白くもなんともないだろうに。

 弟が憎悪に染まった目で俺を睨みつけ喚きだした。


『なぜだ!? なぜ僕より無能な兄を選ぶ!?』

『そういうところですよ、アルフォンス殿下。私はあなたよりアイトの方が良いです。私の婚約者は私の意志で決めます。お父様にも許可はいただいておりますので』

『伯爵令嬢ごときが調子に乗りやがってぇ……!』


 そして腰に下げた剣に手をかけた。

 しかし、それは父に止められそのまま外に待機していた近衛騎士に自室へと連れ戻された。

 頭を冷やせということなのだろう。


『アリス嬢。勝手は許さん。これは王としての勅命であるぞ』

『でしたら、私は国を出ます。アイトレウス殿下も国を出ようとしております。邪魔者が二人もいなくなれば清々するでしょう?』


 アリスは毅然とした態度でそう言った。

 父は渋い顔をし、少し悩んだ。

 そして俺に視線を送る。

 意図はおそらく説得せよとかそういうことだろう。

 だが、俺が言うことを聞くと思ったら大間違いだ。


『父上。俺は国を出ます』

『貴様……っ』

『アイト、私も一緒に』

『ですが――――俺一人で、です』


 そう言うと、皆一様に固まる。


『どうして……?』

『アリス。君がこの国を離れる必要はない。俺とは違って皆に愛されているだろう。邪魔なのは俺だけだ』

『そんなことない! 私も一緒に』

『ダメだ』


 俺は拒絶した。

 そのまま部屋を出て、自室に向かう。

 荷物をまとめその日のうちに城を出ることにした。

 先延ばしにする必要もなくなったからだ。

 アリスのあの表情を思い浮かべると少し胸が痛んだ。

 だが、俺の事情に彼女を巻き込む必要はない。

 それでも未練がましく、城を出る前にいつもの場所に立ち寄った。

 するとそこには――――。


『アリス……』

『あなたが何を考えているかは想像つくわ。でも、私がそれを許すと思って?』

『それでもだ。俺の事情に巻き込むわけにはいかない。俺が決めたことだ』

『一人で生きていけると思っているの?』

『やってみなければ分からない。だが……もし、誰かが俺の後を追いかけてついてきてしまったのなら、それは仕方のないことだ』

『それって……』

『まあ、俺に追いつけたらの話だがな』

『わかった。すぐに追いついてみせるから、待ってな』


 アリスの姿が忽然と消えた。

 一体何が起きたのか分からない。

 周囲を見渡してみてもアリスの姿はない。

 アリスがこのようないたずらをするとは思えない。

 だが、目の前でこうして姿が消えたのだ。

 何か良からぬことが起こっているに違いない。

 ふと視線を下に向けるとアリスの立っていた地面に文字が書かれていた。


〈神に選ばれし者、天上の世界へと誘わん〉


 意味が分からなかった。

 わけもわからず、俺は城を飛び出し、アリスを探し回った。

 どれだけ走ってもアリスの姿は見つからない。

 しばらく呆然と立ち尽くし、空に向かって彼女の名を叫んだ。

 慟哭が暗闇の空に響き渡った。 

 そして、俺は旅の目的を定めた。


 ――――アリスを見つけること。


 そのためにはまず天上の世界と神について知る必要がある。

 この時俺は決意した。

 必ずアリスを見つけるまで、俺は立ち止まらないと。

 そうして国を出た瞬間、俺は気を失った。


 そして次に起きたとき、全ての記憶を忘れていた。

 ただ、覚えているのは自分の名前と「アリス」という名前。

 それに魔法と魔道具が好きだということだけだった。



 ◇◇◇



「――――よお、目が覚めたか?」


 気づけばそこは見渡す限り色鮮やかに咲き誇った花畑だった。










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