第123話 死界の上空にて
煉たちが死界へと入ったころ。
その様子を遥か上空より眺めていた天使の姿があった。
「おいおい。どうすんだよ。あいつら入っちまったぜ」
燃えるような赤い短髪で粗野な話し方をする天使――ウリエル。
背に大きな天使の翼を広げ空中で胡坐をかいて座っている。
「姉様、もう少し淑女として……はぁ。それにしても、わざわざこのような場所に足を運ぶとは。意外と無謀な方なのですね」
ウリエルとは対照的に落ち着きがあり、女性的な雰囲気を纏う金髪の天使――ラファエル。
彼女らは主の命を受け、煉の排除に赴いたのだが様子見の段階で煉が死界へと足を踏み入れたことで、頭を悩ませていた。
「世界に七つ存在すると言われている死界。そこは神でさえ手を付けることができないとされています。事実かどうかはわたくしには判断できませんが、確かにあの結界は厄介ですね」
「あんなもん、あたしの力でぶっ壊せばいいだろ! あたしに破壊できないものはねぇ!」
「ダメですわ。仮に結界を破壊できたとして、その後始末がとても面倒ですもの」
「ああ? 後始末だぁ?」
「ええ……。あの結界はただ死界を覆っているわけではありません。死界から発せられる濃密な魔力、それを抑える役割も担っているのです。もし、結界が無くなってしまえば、それは瞬く間に世界中に広まることでしょう。そうなると、世界中で人の手に余る強大な魔獣が大量に発生し、食物なども侵食されることでしょう。その上、魔力の少ない人間から汚染され死に至る可能性もございます」
大賢者の結界は世界を守るための重要な役目を担っていると言っても過言ではない。
死界が生み出す魔力は、普通の魔力とは異なり瘴気を内包している。
他にも瘴気を生み出すものは存在するのだが、死界で生み出される瘴気とは比べ物にならないくらい微々たるものだ。
そして瘴気は魔獣を生み出す原因とされている。
つまり濃密な瘴気を発生させる死界では強力な魔獣が多数産み出されているのである。
さらに瘴気は人間にとって害となるものだ。
瘴気を体に浴びると「魔瘴病」を発症する。
「魔瘴病」とは、発症してから最初体に黒い斑点が現れ徐々に体の感覚が無くなり、最後には指一本動かせず死に至る。
恐ろしいのは発症してから三~四日ほどで死に至ることだ。
「魔瘴病」を治すためには、体から瘴気を取り除く必要があるのだが、そのような道具は存在せず、高度な神聖魔法を受けるしかない。
高度な神聖魔法を使えるのは、世界でも極僅か。故に、「魔瘴病」は発症する頻度はかなり低いのだが、世界中で恐れられているのである。
「魔瘴病は文献にも記されています。姉様も一緒に読みましたよね」
「そんな難しいことは忘れたさ」
「もう……。とにかく、死界を覆う結界を破壊してしまえば、世界中で魔瘴病が発症し、多くの人間が死に至ります。そうなると世界の崩壊です。それは主の望む結末ではないでしょう。それにあの結界は神に属する全ての者が干渉できないようになっています。わたくしたちでは何とも……」
「そう言われちゃなにも出来ねぇじゃん。どうするってんだよ?」
「それは…………――おや、これはこれは」
何かを感じ取ったラファエルが上を見上げた。
それにつられウリエルも同じように顔を上げる。
空から一人の天使が翼を広げ降りてきた。
長い蒼髪をはためかせ、無表情なその顔はいつにもまして暗い。
同じ熾天使である二人でも感情を掴めないのだが、今はなぜかその感情を読み取ることができた。
「ミカエル、あなたは天上世界にて待機のはずでは?」
「そうだぜ。今回はあたしらが命を受けたんだ。邪魔するんじゃねぇぞ」
「…………そんなつもりはありません。少し確認したいことがあって」
そう言ってミカエルは死界へと目を向けた。
そして表情はひどく険しいものへと変化する。
「かの魔人は……あの中ですか」
「ええ、そうですね。自らの足であの中へと入って行きました。ですから、わたくしたちも少々困っているのです」
「そうですか……」
「あっ、一体何を」
ミカエルはそのまま入り口付近まで降りていき、広げていた翼を消した。
入口に手を翳し結界を確認。そのまま中へと足を踏み入れた。
本来、神に属する存在の侵入を拒むはずの結界をいともたやすくすり抜けた。
その様子を見ていた二人の天使は驚愕の表情を浮かべ、ただ呆然としていた。
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