第116話 煉のこだわり

「良かったんですか? 珍しく簡単に引き下がりましたけど」


 ギルドから宿に戻り、イバラが煉へと問いかける。

 太陽は沈み、窓から覗く景色は暗く染められていた。

 ギルド直営の高級宿屋は部屋にキッチンや風呂までついている。

 冒険者が最大限休息を取れるようにと、ふかふかのベッドを完備。

 さすが冒険者の街、と煉は感心していた。


「これから攻略するのは死界。少し慎重なくらいが丁度いいだろ。……おい、アイト。寝るなよ。飯も食ってないし寝るなら風呂に入ってからにしろ」

「あ~。御者って結構疲れるんだぞ~。それに、今日は変なのにも絡まれたし精神的な疲労が~」

「知るか。そんな汚い格好のままベッドで寝ることは俺が許さん」


 煉は今にも眠りかけているアイトの首根っこを掴み、ソファに放り投げた。

 ぐはぁ、と声を上げアイトは煉を睨みつける。


「最近、俺の扱いが雑じゃないか? 一日くらい風呂入らなくたっていいだろ」

「ダメだ。せっかく風呂付きの高級宿なんだ。風呂は入れ。清潔感て大事なんだぞ」


 煉は日本人としての心を捨てておらず、風呂にこだわっていた。

 どの街でも必ず風呂がある宿を取るようにしていた。

 やむを得ず風呂付の宿を取れないときは、大衆浴場に通うくらいである。

 煉にとって風呂とはそれほど重要なのであった。


「…………変なところでこだわり強いよなぁ」

「まあまあ。私は嬉しいですけどね。冒険者をしているとあまりそういう機会に恵まれないことが多いですから。お風呂なんて高価ですし」

「確かにそうだけど。それなら飯とか、他にもっと使い道と思うんだけど」

「そんなことより。しばらくはこの街で少し依頼をこなすことにする。それでSランクに上がれるわけじゃないけど、何もしないのも暇だからな」

「Sランク認定は本部の査定次第ですからね。時間がかかると思います」

「ああ。だから俺たちの力を証明する。Sランクに匹敵するってことを分からせてから交渉に移るぞ」

「それでも許可されなかったら?」


 アイトの疑問に煉はニヤリと笑みを浮かべた。


「その時は――――」



 ◇◇◇



「サブマスター。またこんな報告が」


 二階にある執務室に、ギルド員がひっきりなしにやってくる。

 積み上げられていく書類を見て、ジルスは頬を引き攣らせ苦笑した。

 そして今届けられた報告書に目を通す。


「……………またですか。Cランク冒険者パーティーが行方不明。彼は確か……死界入口周辺に生息するミストブルの討伐、でしたか。死界に入ったわけでもないというのになぜ」

「原因はわかりませんが、これに関しては有力な目撃者がいました」

「ほう。この手の事件で目撃者がいるのは初ですね。なんと言っていましたか?」

「はい。ミストブルの討伐後、街とは反対側に歩いて行ったと」

「街とは反対側……つまり」

「ええ。死界に入って行ったと思われます」

「これは……どういうことなのでしょうか」

「まだ続きがあります。死界に入っていく冒険者たちは皆焦点の合わない目で何かつぶやいていたと」

「呟いていた? なんと?」

「断片的ですが、この先に新しい世界がある、と。それと、もう一度あいつに会える、とも」

「ふむ……」


 不可解な事件の連続に、ジルスは眉間を抑え天を仰いだ。

 新しい情報は有益なようで未だ何も見えてこない。

 ジルスの心労は溜まる一方だった。





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