第111話 ミカエル

 ――――天上界。


 ここは神に選ばれし者のみが立ち入ることを許された天上の世界。

 存在する全てに神の加護が授けられ、世界中の何よりも神聖な地である。


 その地の神聖教会、祭壇の前にて祈りを捧げていた私の心は、落ち着きなく鼓動を繰り返す。

 先ほど主より告げられた言の葉が、頭の中を駆け巡っている。

 たったそれだけ。それだけのことが私の心を揺する。


 ほんの数時間前のことだ。

 再び主の御前へと参上する機会を賜った。

 こんなにも主の下へと参ることができるなんて、と浮かれていた私を誰か罰してほしい。

 我が主より告げられた事実は、私の心を大きく動揺させる。


『――ミカ。先日のことだ。大天使の一人『恐怖』を司るイロウエルが消滅したことは知っているね?』

「もちろんでございます。何があったのか存じませんが、とても残念なことだと思います」

『うん、そうだね。この世に生きる全ての天使は我が子も同然。殺されてしまうだなんて非常に悲しい。神と言えど、僕にだって感情というものはあるのだから』


 それは知り得なかった事実だ。

 神である主にも感情というものが宿っていただなんて。

 それに私たち天使のことを神の子と呼んでいただけるなど、この上なく光栄なことだ。

 緩む顔を抑え、私は告げる。


「主のお気持ち、お察しするに余りあります。御命じいただけるのならば、イロウエルを倒したものを私の手で」

『ああ。それには及ばないよ。もうすでにラファエルとウリエルに頼んでいるからね』

「……そうでしたか。では、なぜ私をお呼びになられたのでしょうか?」

『今日の本題だね。君も覚えているかな? 少し前に紅い髪の魔人の排除をお願いしたよね。僕の友人がとても気にしているようだから』

「記憶しております」


 一度も忘れたことはない。

 なぜなら今でも思い出すのだ。かの魔人のことを。

 私の知らない、取るに足らない一人の人間のはずなのに、なぜか私の心から離れていかない。

 どうしても忘れることができなかった。

 時々、目が覚めると涙を流していることすらある。

 あの日から、私はおかしくなってしまった。

 全ての原因は、あの紅い髪の魔人だ。


「それがいかがしたのでしょうか……?」

『――――イロウエルを殺したのは、その魔人だ』

「なっ!!? い、生きている、というのですか……!?」

『そうだね。僕もまさかと思ったんだけど、君の天聖魔法を受けて生存したようだ。ちなみにあの場にいた全ての人間が生きている』


 驚きすぎて声が出ない。

 どうして……?

 私の最大の、天使として最強の魔法を使ったというのに。

 あれで生きていられるなどありえるはずもない。

 それ以上に……私が、主の御下命を、失敗……?

 そ、そんなこと、が……。


『ああ。僕の頼みを遂行できなかったことは気にしなくていい。僕も不思議でしょうがないのだから。でも――――ミカ、君には期待していただけに、少し残念だよ』


 それからの記憶が曖昧だ。

 気づけば、私はこうして教会で祈り続けていた。

 数時間がもう何日も経っているかのように感じる。

 私はこれからどうすれば……。

 主の言から推測するに、彼女らはかの魔人の下へと向かったのだろう。


 そう思い立った時、私は下界に向け飛び立っていた。





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