第59話 とある神話
煉は今、一人で広い図書館の中を歩き回っていた。
なかなかお目当ての本を見つけられないでいる。
イバラは、鬼族の歴史と魔法について勉強すると言って、煉とは別行動中だ。
「神について書かれている本なんて結構あると思ってたんだが、案外ないもんだなぁ」
そんなことをひとり呟きながら、のん気な様子の煉。
神について調べるならと、史書や教本などを中心に探していたが、煉が興味を持つような本はなかった。
仕方ないとため息を吐き、適当に歩き回りながら面白そうな本を探していた。
「……大体歴史書か魔導書がメインか。娯楽として本を読むような人なんていないみたいだな。他にあるとしたら、図鑑か料理本か絵本とか。まあそんなもんか」
大図書館と言っても世界が違ったらこんなもんか、と煉は残念そうにしていた。
そんなとき、たまたま通りかかった本棚のジャンルに目を引かれた。
「お? これって…………神話か?」
煉が手に取ったのはボロボロの装丁で、ギリギリ読めるくらいに字が薄くなった本。
タイトルから神話であることがわかった。
「……武神に挑んだ炎の魔王の話、ねぇ。どっかで聞いたようなもんだが、暇つぶしに読んでみるか」
煉は近くに立てかけてあった脚立に腰掛け、本を開いた。
◇◇◇
『炎魔王武神大戦』
私はただ一人の語り手として、かの大戦についてここに書き記そう。
後の世で、彼のことを知る者が現れることを祈って。
ある国に、何の力も持たない平凡以下の青年がいた。
何かを為すことのできない彼に、周囲の人間は関心すら抱かなかった。
彼を生んだ親でさえ、彼に一切期待することはなかった。
そんな彼は何もないが故に努力のできる人間だった。
しかし、その努力が実ることはない。
彼は何かを得ることすら許されなかった。
ある日、彼は一時期忽然と姿を消した。
一体どこに消えてしまったのか、誰も気にすることはなかった。
親も兄弟も幼馴染の女の子でさえも、誰も彼の存在に気付かない。
私はこの時、彼のことを哀れだと思った。
誰からも認められず、誰にも認識されない。
それならせめて、私だけは覚えておこう。
彼がそこに居た記憶を。
だが、私のその決意は意味のないものだった。
数年経ったころ、消えたはずの彼がまた姿を現した。
かつての面影などなく、誰よりも綺麗な紅蓮の髪、右半身には燃え盛る炎のような紋様を纏って。
そこにかつての彼はいなかった。
彼を馬鹿にしていた兄弟も幼馴染も、誰も彼に勝利することはできなかった。
彼はそれほどの力を得て、帰ってきたのだ。
彼は私にだけ、目的を告げた。
壮大で無謀で無価値。
どうしてそんなことをする必要があるのだろうか、と疑問を抱いたものだ。
私が何を言ったところで、彼の意志が変わることはなかった。
彼は――――神を殺しに行くと宣言した。
誰もが彼を嗤った。
不滅の神に死などある筈もないと。
お前如きが不遜だと。
そして彼はひとり、旅立っていった。
私はそのあとをこっそりとついていった。
決戦の日はすぐだった。
とある荒野にて、彼はかの有名な武神ジャクラと対峙していた。
勝てるはずがないとわかっていながらも、私は目が離せなかった。
数十キロ離れた場所で見ていたのに、余波に巻き込まれそうになった。
凄絶な戦いだった。
まるで天変地異そのものだった。
彼の炎は地を裂き、天の光すら届かないほどの深い谷を生み出した。
ジャクラの雷は天を割り、空に浮かぶ星を落としてみせた。
二人の炎雷によって、その谷は何者も寄せ付けないほど濃い魔瘴気に包まれた。
彼らの戦いは三日三晩続き、力尽きた彼は深い谷へと落ちていった。
だが、そんな彼の炎はジャクラの半身を焼き切った。
深手を負ったジャクラは憎々し気に谷底を睨み、天へと昇って行った。
こうして、彼の生は幕を閉じた。
突然できた深い谷に人々は驚愕した。
誰もが口をそろえて神の御業と呼んだ。
しかし、一部始終を見ていた私はそれを否定した。
そんな私を皆は異教徒と呼んだ。
些細な意趣返しとして、この谷に『サタナエル・バレー』と名前を付けた。
未来ではどんな風に呼ばれているかなど想像できない。
私の些細ないたずらが、後世まで続いていることを祈ろう。
これを読んでいる未来の君、最後に一つだけ、私が知り得た事実を記そう。
信じるも信じないも君次第だ。
――――天上世界は存在する。しかし、神は存在しない。
この言葉、君ならどう捉えるだろうか。
その時代に私がいないことが残念でならない。
さあ、お別れだ。君の解答に期待する。
さようなら――。
◇◇◇
「……わかりにくい文章だったな。感情のままに記したって感じだ。だが、結構面白かったよ。なあ、サタンの友人――ダンテ」
そうつぶやいた煉の表情は、何かを懐かしんでいるかのようだった。
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