第9話 谷の底で
(魔法は……使えるな)
魔法が使えることを確認した煉は、まず火魔法で明かりを点けた。
なぜか初級しか使えない火魔法だが使えてよかったと煉は思った。
「それにしても、暗すぎだろ。これじゃ時間分からねぇな」
日常的に腕時計は付けているのだが、世界が違うせいかあまり機能していなかった。
故に自分がどれほどの時間気を失っていたかもわからない。
そして暗闇の中に一人きりという状況が、煉の不安を駆り立てる。
「さすがに感情を抑え込むのは得策じゃないか。意外と役に立つ特技だったんだが、もうあまり意味はないな」
煉は感情をコントロールすることに長けていた。
と言うよりもそうしなければならなかった。
煉は幼い頃、酷い虐待を受けていた。
煉の母親は男に捨てられた悲しみや怒りを幼い煉にぶつけることで発散していた。
そして煉はいつの日か、煉が感情を露わにすることで暴力が酷くなることを理解し、いつからか感情を抑え込むことを身に着けた。
そんな煉が唯一気を許していた相手が美香だった。
「正直勇者の嫉妬に気づかなかったのは俺の落ち度だな。せめて最後くらい美香に何か言ってやりたかったが……あいつどこに行ったんだ?」
気を紛らわせるために、煉は独り言をつぶやきながら慎重に歩を進める。
煉は「サタナエル・バレー」に生息する魔獣たちについて調べていた。
知識としては頭に入っているが、実際に遭遇するとなると生きていられるとは思っていない。
そんな煉の感情が歩みを重くしている。
「皇帝もなぁ。冤罪だってわかっているくせに、国のためだとか。それにしたってこれは重すぎるだろ。大方、勇者がなんか吹き込んだんだろうが。これで生き残れたら奇跡だな」
段々と煉の独り言は愚痴が多くなっていく。
どうにか誤魔化そうとしているが、生きるか死ぬかの緊張感を隠すことは、今の煉にはできなかった。
「おっ。洞窟発見。どこにつながっているのや……」
ふと、悪寒を感じ、張り詰めるような気配を察知した。
それは生存本能による咄嗟の行動だった。
真横に転がるように回避行動をとった。
――――ヒュッ。
気の抜けるような音のすぐあと、爆発したような衝撃を受け煉はさらに吹き飛んだ。
「がはっ!」
いきなりの衝撃で受け身すら取ることができなかった。
ただでさえ酷い怪我を負っているのにそこへまさかの追い打ち。
状況確認のために少し明かりを大きくした。
すると先ほど煉の立っていた場所には。
「熊? いや、でかすぎるだろ! ってことはあれまさか!?」
煉は宮殿の書庫で見た魔物図鑑を思い出した。
その本にはこれまで確認された魔獣について情報が載っていた。
そして今まさに煉の目の前にいる魔獣のページがあった。
「……エンペラーベアー。五メートルを超える熊の魔獣。危険度SS。腕を振り下ろすだけで地割れを起こすことができる怪力。過去の討伐記録では百人以上の冒険者たちが犠牲になった、か」
いつか冒険者になるために付けた知識がこんなところで役に立つとは、煉も思っていなかった。
それと同時に死の気配を濃厚に感じ取った。
「運が悪いにもほどがある。こんな状態じゃなくても勝てないってのにっ。どうにかして逃げないと――」
考えている暇はなかった。
エンペラーベア―は煉に狙いを定めていた。
「エンペラーがいるってことは他の魔獣は近くにいないってことだ。逃げられる可能性はある。あるが……」
今の体では走ることもままならない。
「だから、一度だけだ。タイミングを間違えれば終わり……。いきなり絶対絶命とか、笑えねぇ」
そう言う煉だが、その口角は少し上がっていた。
初めて感じる死の恐怖。生死を賭けた戦い。
初めての経験に煉は少し高揚していた。
――――エンペラーベア―が腕を振り上げた。
(今っ!)
「〈ファイアーボール〉」
エンペラーベア―の顔をめがけて自分に出せる最大の〈ファイアーボール〉を放つ。
「〈ファイアウォール〉」
今度は自分の前に最大の〈ファイアウォール〉を出現させる。
二段構えで相手の視界から自分の姿を隠す。
そして――。
「〈アクセル〉!」
身体強化スキルによる加速で洞窟に駆け込む。
人一人入れるくらいの大きさだと確認はしたため、洞窟に入ることができれば逃げ切れると予測した。
――のだが。
煉はまたしても本能が何かを感じ取り、咄嗟にスキルを使用した。
「〈カウンター・ガード〉!」
格闘術と身体強化を合わせたオリジナル。
本来であればダメージを受けたことで発動するカウンターを、防御強化と併用することで限りなくダメージを減らし、相手にカウンターをすることができるようにした。
これは、美香や模擬戦をした騎士たちも驚かせた。
「ぐぁっ!!」
エンペラーベア―の攻撃を跳ね返すことはできなかった。
煉はピンポン玉のように跳ね飛ばされた。
防御したおかげか、かろうじて即死を免れた。
そして、洞窟に入ったことでエンペラーベア―は煉を見失った。
「……はぁ……はぁ……どう、だ。に、げき、ったぞ……」
そう言い残して煉の意識は闇に沈んでいく。
完全に気を失う直前、煉は視界に人影があったことに気が付かなかった。
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