第2話 彼女と僕 ①

仰げば尊し。何回歌っても実感のわかない卒業の歌。

自分たちが主役になって歌うまでに6年もかかった今日、僕たちはあのランドセルと短いズボンから解放された。

毎年3月に歌っていたこの歌の、積む白雪がどんなものかわからないまま僕らはこの学び舎を卒業した。


先生が最後のお別れを、もう立ち入ることのない教室で告げる。

いい歳をした大人が、折角の化粧を落としてまで流す涙は一体なぜなのだろうか。

そんなことを思っているだろう僕らも、なぜ泣いているのだろう。


離れ離れになるからなのか。

通常の小学校の卒業であればきっとそうだろう。でも、僕らは違う。

小さな小学校、30人に満たない卒業生は誰一人欠けることなく、同じ地元の中学校に進級する。

友との別れの涙と言えば筋違いだろう。

お世話になった先生との別れ、とも違うような気がする。

恐らく僕らはよくわからない感情の高ぶりが伝染したのだろう。


皮肉にもその涙はランドセルを背負い校門を通り過ぎたころには止んでいて、中学校の入学式までの間、何をして遊ぶかということしか考えていなかった。


帰り道はお葬式のようではなく、見た目以外はいつも通りだった。

みんなで書いた卒業文集をネタにして笑いながら歩く。先ほどまで泣いていたなんて誰が思うだろうか。

いや、泣きはらした目ですぐにわかってしまう。


お世話になった担任へのメッセージ、中学校に進んだ時の抱負、将来の夢など、たくさん詰め込んだ文集は、雑誌の漫画より面白かった。

帰る方向が同じ4人で笑い続ける。


「山崎くーん、山崎翔太くーん」


担任の口調とイントネーションを真似して友人の一人が、僕の隣を歩く男の子に声をかける。

いじられていないのは僕と、山崎翔太と呼ばれた彼だけだった。

俺の番かよ!っと悶絶しながら、文集に書いた将来の夢を読み上げられる。


「僕の将来の夢は、体育の先生になることです!なぜなら・・・」


もう一人の友人が、山崎の真似をしながら将来の夢を発表する。

担任が体が弱かったこともあり、僕らの体育の先生は小学校にしては珍しく担任とは別だった。

その先生に憧れているからだ、と理由もしっかり述べられている。


「なんだよ!悪いかよ!」


悪意のない茶化しに拗ねながらも笑う山崎の夢を、僕らは本当に馬鹿にしたりはしていない。

熱血感が溢れながらも、優しい体育の先生は僕らだって憧れていた。

クラスの中心ではないものの、みんなに好かれ『ヤマ』という愛称で呼ばれる彼が本当に叶えたなら、それは素敵なことだと思う。


しかし、子供の僕らは素直にそれを口に出すことができない。

友人だからこそ、本気で応援しても言葉にするのは照れくさいのだ。


恐らく、次のターゲットは僕の番だろうが、できることならこのままヤマの将来の夢を最後にして、みんな解散してほしい。

間違いなく僕の将来の夢はすでに笑っているみんなの腹筋を崩壊させるだろうから。


「じゃあ、最後に春水くん!将来の夢!を教えて!」


担任の真似が下手ならまだしも、似ているところが今は腹が立つ。

先ほど笑われたヤマは僕を逃がさないように、ランドセルをがっちり掴んだ。

はい!っと僕の真似をする友人に軽い殺意を抱きつつも、彼は止まらない。


「僕の将来の夢は・・・ありません!ただ、僕には無限の可能性があると思うので、野球選手でも芸能人でも総理大臣でもいろんなものになれると思います!」


一瞬の沈黙は僕の顔が真っ赤になり切る前に破られた。


「ははは!ハルなんだよこれ!」


反対車線を歩く人が振り返るほど笑う彼らに、僕は恥ずかしさを隠しながら抵抗する。


「う、うるさいな!だってそうだろう!みんなだってなれるんだよ、自分のなりたいものに!1つに決める必要なんてないだろ!」


確かに、という友人もいれば、ただただ笑い続ける者もいる。

大取を飾った僕の将来の夢は、解散するまでネタにされ続けた。


住宅街が続く道路が開け、海が見える交差点を合図に友人二人と別れた。

明日の遊びの約束を忘れないようにと忠告し、僕はヤマと二人っきりになった。


今日が会える最後の日というわけではないのに、話したりない僕らは浜辺に置いてある錆びたベンチに腰掛け続きを始めた。

会話の内容はいたって普通の小学生の会話。

明日は釣りにみんなで行く、という話から流行りのカードゲームの話、最新のソフトが出たテレビゲームの話など、大切なものは何一つない、いつもの会話だった。


おやつの時間前くらいに学校を出た僕らは、陽が海に入ろうとするまで話し続けた。

ようやくヤマと別れたころ、太陽は海に沈み始め、あんなに青かった空はいつの間にやらオレンジ色になりつつある。


海沿いの道を一人で歩きながら、健康のため散歩するおばあさんに挨拶をした。

挨拶をするといつも飴玉をくれるおばあさんは、僕が卒業式だったことを知っていたようで、いつもより多めに飴玉をくれた。

この飴は僕が幼いせいなのか、おいしいさを全く感じられない。むしろまずい。

そうだとしても顔を濁らせず、しっかり感謝する僕に満足して散歩を再開するおばあさんが見えなくなってから、一つだけ舐めることにした。やはりおいしくない。


僕が住んでいる町はとても小さい。

さっきのおばあさんも僕が名前を知らずとも僕の名前を知っていて、挨拶をするいい子だと買い物で会った母に伝えたりする。

その話は町中を回り、知らない人に対してもしっかり挨拶ができる良い子、という評価がついている。


南の島特有の慣れ親しみやすさと、プライバシーすらないこの密着度は好みがわかれるだろう。

プライバシーの重要性を小学生の僕が理解するのは難しくても、いたずらをしたときに、どこどこの誰々の息子とすぐに伝わり、直接家に来て怒られるということが、当たり前じゃないことぐらいはわかっている。

田舎特有なのだろう。隣人だけでなく住民とうまく付き合うことができなければ、村八分なんて一瞬だ。


特におばさん、おばあさんたちの井戸端会議は首脳会議に匹敵するのだろう。

島で安全に過ごすために、己の家族を守るために、ただの噂好きのおばさま方にも全力を尽くさなければならないのだから。

生憎母一人、子一人の僕はおばさま方の格好の標的だったが、発言権の強いおばあさんに助けられていたと知ったのは、僕が大人になってからのことだった。

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