第5話5 人類そのものが皆バグってる

 ――そして、時刻は気づけばもう夜の七時。こんなに長い時間、服も下着も着用せずに過ごしたのは人生初めてかもしれない。


 正人は一糸まとわぬ姿で、翠華の部屋のベッドの中で仰向けになっていた。その傍らには同じく一糸まとわぬ翠華が、こちらにくっつくようにして小さく寝息を立てている。


(はぁ……。初めて学校をズル休みしたな)


 昼過ぎにはちゃんと学校へ行こうとは一応思ってはいたのだ。しかし翠華が放してくれなくて、結局この時間になってしまった。


 そう、正人と翠華はついさっきまで、ずっと〝交わって〟いたのだ。もちろん、性的な意味で。


(って、翠華を言い訳の材料にしちゃダメだな)


 恐らく学校から家に連絡がいっていることだろう。正人は心配をかけないように家にいる母親には、一応チャットアプリで〝翠華と一緒だ〟とだけ伝えておいた。すると〝優しくしてあげなさい〟とだけ返信。それ以降は特に学校に行けなどといったお叱りも飛んでくることなく、またこちらの家に訪ねてくる様子もなかった。当然、家の場所は知っている。


(理解のある親に感謝だな……)


 元々翠華に対して同情心があるからか、何かあったと察してくれたのだと思う。


 正人は隣で眠る恋人の顔に目を向けた。とても安心しきった穏やかな寝顔だ。思わず愛らしくなって、そっと頬を撫でるように触れてみる。


「う……ん……。正くん……?」


「あ、起こしちゃったか、ごめん」


 眠りが浅かったのか、翠華は目覚めてしまった。


「ううん、いい。また正くんとお喋りできるから」


 まだ眠そうに開きかけの目をこすりながら、えへへと微笑んだ。


「ふっ、そうか。体は……その、大丈夫か?」


「体?」


「あー、えっと、血……出てたから」


「うん、大丈夫。まだ〝入ってる〟感じはするけど……」


 そう言って、さっきまでの〝交わり〟を思い出したのか、恥ずかしそうに頬を朱に染めた。


「ちょっと、乱暴にしてしまったかもな。俺も初めてだったから……」


 しかしその〝乱暴さ〟は他でもない彼女に求められたものでもあったが。


「ううん、いい。すごく嬉しい〝痛み〟だったから。正くんの存在を感じられて、幸せだった」


「……満足したか?」


「うん……。でも、今さらだけど、本当に私でよかった?」


 それは恋人として自身を選んだことに対する再確認だった。正人の恋人になったことへの現実味がまだないのだ。きっと自分への自信のなさ、世の中の人たちに対する劣等感のせいだろう。そういうのはそうそう簡単にはなくならない。


「友だちはいないし、勉強も運動もダメ。引きこもりで、みんなが当たり前にできることができなくて……本当にこんな〝普通〟じゃない私でいいの?」


「別に友だちがいないといけないわけじゃないし、勉強や運動ができないといけないわけじゃない。引きこもりで全然問題ないし、当たり前にできることができなくてもいい」


 正人は翠華の頭を撫でてやり、


「別にさ、がんばってもがんばってもできなかったなら、それはそれでいいと思う」


「できなくても……いい?」


「ああ。放り投げてしまえばいいんだ。世の中、どれだけ努力しても、人並みの〝普通〟ができない人なんて結構いるもんだと思うぞ」


「私みたいに?」


「……まあな。確かに諦めることなく努力し、何度倒れても起き上がって、常に前向きで逆境を跳ね除ける――そんな物語の主人公やヒロインのようにできれば、すごいことだろうと思う」


 しかしこれは〝やればできる人〟〝できるまでがんばれる人〟の理論なのである。元から〝持っている人〟だけが実行できるものでしかない。


「でも誰もがそんなふうに強くはなれないし、強くあろうと思えるほど強くはないんだ」


 そうした〝持っている人〟たちは――世の中は、根本的に〝普通〟ができない〝持っていない人〟たちを理解できない。いや、そもそもその存在に本質的には気づいていない。

 強い人ほど、いわゆる弱い人が見えないのだ。


 自分基準で、がんばってもできない理由を、努力が足りないからなどで片付け、さも逃げることを悪であるかのように説く。反省を要求し、改善を無理やり頭ごなしに押し付ける。


 努力した? 反省した? でもできない?

 そうか、それはまだ足りていないだけだ!

 もっと努力し、反省し、続けなさい!


 きっとずっと永遠にその呪文を繰り返すのだろう。


 それが今の世の中の正義である。


 世の中は〝持っていない人〟たちに、タイヤのない車で道路を走るかのような要求をしている事実に気づかないのだ。そして〝持っていない人〟たちは社会の悪とならないよう、たとえ自身がタイヤのない車だとわかっていても、走ることを目指し続けなければいけない。


 しかし世の中は、それだけ無責任に努力を強要しておきながら、力尽きた者たちの責任を誰も取らないのだ。視界にすら入っていない。逃げは悪と脅し、無理ゲーを強要しておいて、ゲームオーバーすれば自己責任。


 もっと〝持っていない人〟に、気づいてあげてもいいのではないかと思う。〝できないこと〟を認めてあげてもいいのではないかと、正人は思うのだ。


「逃げ道もまた道ってな。だから、そもそもお前が負い目を抱く必要なんてないし、俺は付き合う上での障害だとか一切思わないよ」


 そもそもどれだけその目指すべき〝普通〟に価値があるというのか。いや、ひょっとすると、実は誰もその〝普通〟に価値なんて見出していないのかもしれない。単に〝苦労し、我慢し、疲れ果てる〟ことが美しいからという馬鹿げた価値観に酔って、〝普通〟という言い訳を強要しているだけなのかもしれない。


「今のままでいい、できなくてもいい、無理しなくていい、逃げてもいいんだ、翠華。そんでもって今までがんばった自分をいっぱい褒めてあげて、これ以上がんばれない自分をもう許してあげよう」


 どこの誰が、こんな難易度ハードな世の中なんか望んだのか。〝デベロッパー〟だろうか。いや、違う。


(人類にバグってるヤツがいるんじゃない……人類そのものが皆バグってるんだ)


 そう、今の地獄を創り出したのは、間違いなく自分たち人類――人間という生き物なのだ。


「できないならできないなりに、今やれることを見つけてやっていこう。できなければすぐやめればいいし、逃げたきゃ逃げればいい。それでまたちょっと何かやってみる気になればやってみればいい」


 そして――。


「何をするにしても、俺がそばについてるから」


「正くん……」


 二人は、また口づけを交わす。もう何度目かなんて覚えていない。しかし回数を重ねても、その繋がりから感じる温もりが一切薄まることはなかった。

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