エピローグ

「ごめん、キミとは付き合えない」


 夕日のオレンジが足元のコンクリートに二つの影を作る。今年高校二年になる少年、赤土正人はクラスメイトの来栖という名の少女を、振っていた。

 昼休みには賑わうこの屋上も、放課後の今は二人を除いて誰もいない。だからこそ、正人はここにこの時間、彼女を呼び出したのだ。

 先日の愛の告白の返事を、ようやくすることができた。


「そっ、か……」


 来栖はそれだけを返した。だがたったそれだけの言葉に、どれだけの想いがこもっていたか、その表情を見ていればわかる。今にも泣き出しそうなのを、必死に堪えている。


「別に来栖のことが嫌いとか不満があるとか、そういうことじゃないんだ。ただその……俺にはすでに付き合ってる人がいて……そいつが一番好きだからさ」


「……うん」


 来栖は込み上げる感情をなんとか抑えきったのか、ふぅと小さくため息をついて落ち着いた表情を見せた。


「じゃあ、まだ好きでいてもいいってことだね」


「へ?」


 初めて告白を振る正人にとって、予想していなかった言葉が飛んできた。


「振られたからって、諦めていい理由にはならないと思うの。きっと寝取る隙はあると思うから」


「ね、寝取る……?」


「私、あなたとその子のこと、応援してる。でもそれとは別に、隙あらばって気持ちもあるみたい。意外と諦めが悪いのかも」


「来栖……」


「というわけで、また明日っ!」


 言うだけ言って、正人に返答をさせないまま走り去る。階段に繋がるドアを開けると、一度も振り返らずその向こうに消えていった。


「マ、マジか……」


 ぽかんとしながら、正人はその背中を見送った。

 むしろ告白を断ったことで、焚き付けてしまったのだろうか。とはいえ、断る理由がはっきりしている今、ちゃんと返事しないわけにもいかなかった。


「もったいねーなー。あんなカワイイ子振るなんてよー」


「……?」


 ふと声のしたほうに視線をやると、屋上ドアの上に設置されている貯水タンクに一人の少女が座っていた。

 否、少女のような見た目をした我が担任教師、紙鳴ミカが、だ。


(いつの間に……)


 彼女はそのままピョンと、何の苦もなく何メートルも下の屋上のコンクリートに降り立った。さすが神様の元ネタ。謎の身体能力である。


「覗き見なんて、趣味悪いぞ」


 そう苦情を入れる正人に、紙鳴先生は悪びれもせず、


「覗き見? ちげーな。ここから堂々とガン見してたぜ!」


「余計タチわりーよ!」


 呆れて、思わずため息が漏れる。


「……で、何の用だ?」


 改めて用件を尋ねた。


「ああ、ちょっと訊きたいことがあってよ。赤土、てめぇ……〝使わなかった〟な?」


 〝何を〟の部分がなかったが、正人は彼女の言いたいことを把握していた。


「……ああ、使わなかったよ、〝直してミカちゃん〟」


 そう、正人は翠華に〝直してミカちゃん〟を使わなかった。つまり、バグを修正しなかったのである。翠華は再びバグを行使して人類を戻しただけで、彼女のバグ自体はそのままなのだ。


「やっぱりな……。どうしてだ?」


「必要ないと思った。翠華はもう二度と使わないって約束してくれたからな。だったら、わざわざ無理に〝仕様通り〟――〝普通〟にこだわることもないと思ったんだ」


 皆元にはすでに修正を施してしまったが、本来は彼女に対しても別段使う必要はなかったのではと思っている。


「なるほど」


「……怒らないのか?」


「結局のところ、問題なのはバグが〝どんどん改変を起こす〟ことだ。逆にいえば、その心配がないなら、こちらとしては別に構わんのさ」


「そ、そんなものなのか……。つまり〝実験〟とやらは、成功でいいのか?」


「ああ、上はそう判断した。おめでとう、とでも言っておくぜ。もち、特に報酬とかはねーから、期待しても無駄だぞ」


「別にそのあたりは最初から期待してない」


 とはいえ、勝手に巻き込まれたのに成功したという実感も何もなく、あるとすれば先生からのやる気のない〝おめでとう〟という称賛のみなのはあんまりじゃないかとは思う。


「あ、でも、今回直してないバグが再び改変をもたらすようなら、そのときは即オレたちが修正に動くからな。その意味、言わなくてもわかるよな?」


「ああ……」


 つまり翠華が再びバグを使って世界中から人類を消すようなことがあれば、バグだけ修正されて人々は戻らず、本当に創世神話をやらなきゃいけなくなる。


「気をつけるよ」


「そうしてくれ」


 それから正人は気になっていたことを先生に尋ねた。次に会ったときにずっと訊こうと思っていたことだ。


「……それと先生」


「なんだ?」


「実は知っていたんじゃないか、最初から」


「何の話だ?」


 恐らく紙鳴先生はこちらの訊きたいことに気づいている。しかしわざとらしくとぼけてみせた。自分からは〝答え〟を言うつもりはないらしい。なんとも教師らしきことか。


「〝バグ持ち〟が実は二人いること……いや、それどころか正体すら知ってただろ」


「ほほう? どうしてそう思う?」


「ほとんど勘だけど、バグを修正できる〝直してミカちゃん〟や、バグによって消えた人をリスト化したり全人類の位置情報がわかる〝教えてミカちゃん〟を用意できるのに、〝バグ持ち〟の特定だけはできない……そんなことあるのかって」


 そう言うと、紙鳴先生は腹を抱えて笑い出した。


「ハハハッ、それもそうだな! いい理解――というより、いい解釈だぜ! そのとおり、オレたちは全部最初から知っていたさ」


「やっぱり。実験のためか?」


「ああ、そのとおりだ。黙ってて悪かったな」


「第二の〝バグ持ち〟――翠華がバグを使ったとき電話に出なかったのも、結局は実験のためにわざとってことか」


「えっ? あ、あーあれは……」


 そこで意外にも口ごもってしまう先生であった。


「赤土正人。それは、紙鳴ミカが任務をサボっていたからです」


 そのとき、突如第三の声が聞こえた。

 ふと声のしたほうに正人が視線を向けると、屋上のフェンスの前に大友さん――ではなく、冷たい雰囲気をまとった大友ミカが立っていた。


「げっ、大友ミカ」


 と、紙鳴先生。

 それにしても彼女たち〝デベロッパー〟は、いつも気配もなく唐突に現れる。そういうノルマでもあるのだろうか。


「〝サボっていた〟って、どういうことだ?」


「単純に、テレビゲームに熱中していて、赤土正人からの連絡を無視しただけです」


「おい、この不良教師」


 正人は先生に呆れた目を向ける。


「し、仕方ねーだろ! ストーリーのムービーがすげえ気になる展開で、目が離せなかったんだから!」


「〝バグ持ち〟が改変起こしたときぐらい、ゲームから頭切り替えろよ……」


「私も赤土正人に同意です」


「なんだよ、てめぇら二人して! ……って、まさか大友ミカがここに来たのって」


「イエス。その件で、上から〝お話〟があるそうです」


「うげ……」


 と、大友ミカの言葉を聞いて、表情をどんよりさせる。


「自業自得です」


 そういう大友ミカに、正人も横で頷いた。


「……ちっ、しゃーねーな。ま、どうせ、もう慣れてるし」


「いや、慣れていいことじゃないだろ……」


 恐らく彼女にとって上からのお叱りは、〝ゲーム用に確保してあるプライベート時間が減って嫌だなあ〟程度の認識なのだろう。

 それから正人はポケットからスマートフォンを取り出し、画面に目をやった。


「お、もうこんな時間か。それじゃ、俺はもう行くよ」


 いつものように、これから正人は翠華のもとへ向かう予定だ。


「恋人のとこか? ヒューヒュー」


 紙鳴先生がそう囃し立てる。一応こんなのでも、学校にいる今は〝教師〟なのだが、一切そうには見えない。


「おっさんかよ……。それじゃ、大友さんも、これで」


「イエス、また機会があれば」


 正人は二人に軽く別れの手を振ると、背を向けて歩き出した。

 歩きながら、再びスマートフォンのロック画面を見つめて、ふと安堵の表情を浮かべる。今度視線を定めたのは、時計ではなくそこに設定している画像のほうだった。そこには〝直してミカちゃん〟ではない、ただのカメラアプリで撮影した翠華が写っている。昨日の朝、二度目のキスのあとに撮ったものだ。


 はっきり言って恋人になったといっても、例えば引きこもりじゃなくなったとか特に翠華に大きな変化はない。相変わらず外に出る気はなく部屋のカーテンはずっと締め切っているし、恋人になったことでむしろ正人への依存度はさらに増したようにすら思う。創作物語にありがちな成長要素なんて皆無だった。

 でもまあ、それでもいいじゃないか、と正人は思う。


「笑顔は普通どころか、世界一だな」


 彼女は画像の中で、いつしか遊園地でマスコットキャラクターと並んで撮ったときのように、こちらにピースサインを向けながら晴ればれとした可憐な笑顔を浮かべていた。


(了)

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依存的な引きこもり幼馴染は、俺以外のセカイを知りたがらない。 ~身近な人が存在ごと消えていった結果~ 須山ぶじん @buzin_1989

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