第5話2 〝したいこと〟

「今の声……」


 正人が振り返った先には――、


「ちゃんと、上手く〝使えた〟みたい、〝力〟」


 優しくこちらに微笑みを向ける、翠華が立っていた。


「翠……華……?」


 まるで化け物でも見るように正人は驚愕を顔に貼り付けて、翠華を見据えたまま硬直していた。

 しかし彼女は化け物なんかではない。幼馴染の少女、伊武翠華である。

 いや、だからこその驚愕だ。


「どうして……」


 正人の中には様々な驚きが蠢いていた。

 なぜ、ずっと引きこもっていた彼女が、平然と外を出歩いているのか。

 なぜ、世界から人類が消えたというのに、彼女は目の前に存在しているのか。

 なぜ、皆元のように〝力を使えた〟なんて言葉を口にしているのか。

 否、問う必要はないだろう。答えは明らかだ。しかしあの翠華にそんなこと――人類を消すなんてこと、できるはずがない――そんな否定の気持ちが大きく動いて、受け入れられなかった。


「捜したのに、結局ここにいた。もしかして正くんも、私を捜しにきてくれた? だとしたら……嬉しい」


 そう言って、嬉しそうに頬を朱に染める彼女。とても可憐で守ってあげたくなる笑顔だ。

 こんな異常事態でなければ。


(なんで翠華は、ああも落ち着いている? 人類が皆消えた状況だってのに……)


 誰もが異常であると言えるこの状況で、彼女は平然と、まるで作った料理を褒められたときのような微笑みを浮かべている。ある意味、一番異常なように見えた。


「ねえ、どう? 世界中から、人々を消してみた」


「えっ……?」


 あっさりと、何の言い逃れもせず、ためらいもなく自白した。


「だから、外にも出られた」


「う、嘘だ……」


 しかし正人は信じない。


「どうして?」


「だって……。いや、そもそも……お前は、伊武翠華なのか?」


 次の質問。それは目の前にいる少女を、そもそも本人ではないのかもしれないと疑ったものだ。

 信じないのではない。きっと信じたくなかったのだ。

 目の前に翠華が現れたことを? そうじゃない。

 この〝人類消失現象〟を引き起こしたことを? そうじゃない。

 正人が信じたくなかったのは――、

 まるでこの状況を望んでいたと言わんばかりに、微塵も後悔や罪悪感を窺わせず嬉しそうに彼女が微笑んでいることだった。


「正くん、どうしたの? 私は私。翠華だけど……」


 見ればわかる。この自分が見間違うはずも、別人ならそうだと気づかないはずもない。いつもこの目で見ているのだから。


「ああ……だよな……」


 そう、目の前の少女は、自分の知っていて知らない伊武翠華だ。

 彼女が、もう一人の〝バグ持ち〟だった。

 まさかこんな近くにもう一人もいたとは、なんて思う余裕はなかった。


「いつから、その〝力〟を使えたんだ……?」


「え? えっと……少し前。はっきり覚えてないけど、気づいたら自分の中に、〝たくさんの人を、全部一気に消す〟力があった。使い方とか、使ったらどうなるかとか、全部知ってた」


 皆元の言っていたことと似ている。彼女も突然バグが使えるようになったと言っていた。


「それでどんなのかって、そのとき一回だけ使ってみた」


 そのとき初めて、少し表情に罪悪感が灯った。


「一回だけ……」


 それはきっと、初めて〝人類消失現象〟に遭遇したあのときのことだろう。


「でも、使って、すぐにやっぱやめた」


 そう、あのとき突如消えた人類は、そう時間も経たないうちにすぐに元に戻った。

 しかしその理由が気になる。


「どうして、すぐにやめたんだ?」


「それは……正くんが、〝やって〟とも〝いいよ〟とも言ってなかったから……」


「俺が……?」


 少しだけ宿った罪悪感の理由がわかった。それは単純明快。正人が言いつけても許してもいないことを、勝手にやってしまったからだ。


(罪悪感を覚える基準が、そこなのか……?)


 しかしそれだと疑問が残る。


「じゃあ、なんで、また今日使ったんだ? 人々を、消したんだ?」


「それは……」


「俺は、人を消せなんて一言も言ってないぞ」


「うん……言ってない。だから私……正くんが言ってないこと……できたよ」


「え……?」


 彼女の返答の意味が、読み取れなかった。


「……このままじゃ、ダメだと思った。正くんの言葉を待ってるだけじゃ……いちいち何か言われないと何もしない私じゃ、正くんに気に入ってもらえない」


「何言ってんだ、翠華……」


 今はバグを使った理由を訊いている、と少なくとも正人は認識している。しかし返ってきた言葉は、予想もつかないキーワードばかりが並んでいた。

 〝言ってないこと……できたよ〟とか〝このままじゃ、ダメ〟とか〝気に入ってもらえない〟とか。

 何の話をしているのだ、彼女は。


「だから、正くんに言われなくても、自分がしたいこと、やってみた。結構悩んだ。正くんが〝やって〟とも〝いい〟とも言ってないのに、やってもいいのかって。でも、今日の朝、やっとやるって決意できた」


 そう言って、まるでがんばったと親に報告する子供のように満面の笑顔を浮かべた。


「〝したいこと〟って、何なんだ……?」


 根本的に何かがズレている、と正人は感じた。


「〝したいこと〟? それは――」


 彼女は正人の投げかけた問いに、真っ直ぐで曇り一つない澄んだ瞳でこう答える。


「一緒に、二人のための……新しい世界を創りたい」


 と。

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