第4話5 ずっとこの世界に来るの、楽しみにしてたんだぜ

 店をあとにして、正人と先生は駅までの道を歩いていた。


「うぷっ。しばらく何も食わなくても、良さそうだ……」


 腹にありったけのナンを詰め込んだ正人の足取りは、まるで生まれたての子鹿のようにおぼつかない。


「にしし、オツカレ! いい完食だったぜ!」


「ほとんど最後は、〝食う〟というより〝流し込む〟って感じだったけどな……」


 そう正人は、なんとあのラスボスに打ち勝ったのだ。満身創痍だが。


「いやあ、食事代浮いてよかったぜ~」


 冷静に考えれば、美味しいナンを食べることができたのはよかったが、特に奢ってもらってないのでは――なんて、そんなツッコミすら、もはややる気が起こらない。


「よく頑張りました、だな」


 少し背伸びすると、彼女はいい子いい子と正人の頭を撫でた。気恥ずかしくなって、正人は目を逸らす。


「それで……成功して手に入れたのは、チャレンジ分の料理代金無料と、この写真か」


 ポケットから取り出したのは、一枚のチャレンジ成功記念写真だ。デジタルカメラで撮影し、その場でプリントアウトしたものを、自分と先生とでそれぞれ一枚ずつもらっている。完食直後で死にそうな顔の正人と、まるで自分が主役であるかのようにその腕に抱きついて笑顔のピースを放っている先生が写っていた。


(なんか先生のほうが〝やってやりました!〟って顔してるのがムカつくな……)


 それから正人と先生は、駅前広場に戻ってきた。そのまま駅のほうに向かいながら、


「いやあ、大食い面白かったな。またやろうぜ!」


「〝面白かった〟って、やったのは俺だし、先生は途中からずっとスマホ見てたじゃねーか。またやるにしても、少なくとも大食いチャレンジはNGだ」


「えーっ。……じゃあ、こういうのはどうだ?」


 そう言って、スマートフォンの画面を見せてきた。そこには『キミはどこまで食べられる!? 爬虫類から虫まで! ゲテモノチャレンジ! 食用ゴキブリもあるよ!』と書かれている。

 食材がアレなのと満腹なのもあり、うっぷ、と正人は想像しただけで一瞬吐きそうになった。


「やめろ、画面を向けないでくれ……。つか、さっきからスマホばっか見てたのは、次行くところ探してたからか?」


「おうよ! せっかく遊び仲間を得たからな! たくさんあちこち行きてーんだ。これは大食いってわけでもなさそうだし、オレもチャレンジャーだぜ!」


 ゲームを愛するこの世界の創造主その一は、まだまだこの日常を満喫する気のようだ。


「にしても、このチョイスは……さすが、ぼっちだな」


「ぼっちゆーな! これのどこがぼっちなんだよ!? つか、もうてめぇという心の友がいるし!」


「まあ、あれだ。また付き合うのはいいけど、チョイスは変えてくれ。さすがにこのジャンルは、俺には大食いよりハードルが高い……」


 最初は単に奢ってもらうだけの話だったのに、友人となり、今では次に遊びに行く場所の話をしている。だが、それを悪くない、と思っている自分がいた。


 実際、さっきの巨大ナン・チャレンジも、本音を言えば楽しくなかったわけでもない。さすがに再戦する気は起きないが、変な催しでも見つけてこない限り、また先生に付き合うのも悪くないと思った。それは食事に限らなくても。


「むーっ、そっか。面白そうと思ったんだけどな、てめぇが言うならしゃーねえ。逆に今度行くなら、どんなのがいいよ? なんか面白そうなのはあるか? 別に食べ物に絞らなくてもいいよな……」


 なんて悩むような表情で、スマートフォンの画面に人差し指を滑らせている。


「……なあ、先生」


「ん? なんだ?」


 画面から顔を上げて、正人に向いた。


「さっき先生は他の〝デベロッパー〟は仕事としてこの世界に来てるだけだから、楽しんだりしないって言ってたけど、逆に先生は遊んでばっかで大丈夫なのか?」


「遊んでばっかとは失礼なヤツだぜ。一応やることやってるからな。特に文句は言われねーよ」


 ゲームばかりしている印象が強いのだが、それは彼女の上司的には問題ないらしい。


「ほんと、他のヤツらも楽しめばいいのにって思うぜ。ゲームに限らず、この日常には面白そうなのがいっぱい詰まってる。せっかくなんだから満喫しねーと損だろーによ」


 そう言いながら、彼女は駅前の風景を遠い目で眺めた。その視界には今、スマートフォンを弄りながら誰かを待つ男性、友だち同士で笑いながら歩く中高生くらいの女子グループ、ベビーカーを連れた家族、ベンチで話す老夫婦、休日なのにスーツ姿で駅に入っていく一人の女性、点滅する青信号に慌てて横断歩道を渡る若いカップル――この世界に生きる様々な人々が映っているようだ。


「……オレなんかよ、ずっとこの世界に来るの、楽しみにしてたんだぜ」


 その瞳はまるで憧れの遊園地にようやく来ることができた、小さな子供のようだった。一方で期待に溢れつつも、どこか寂しさも帯びて揺れている。


「先生の元いた世界って、どんなところだったんだ?」


 遠くて縁がなくて実感がなくて、あまり関心の及ばなかった〝上位〟の世界。しかし先生とこうして交流を重ねて、彼女を知りたいという気持ちの上にその関心が芽生えた。


 しかし――。


「それはヒミツだ。さすがにそこまで明かしていい権限はないからな」


 教えてはくれなかった。


「……でもま、一つだけ言うなら、つまんねえとこさ。こんな別世界を創っちまうほどにな」


 その瞳は今、元いた世界を映しているのだろう。さっきとは打って変わって、人形のように乾いた感情の薄いものになっていた。


「……そうか」


 彼女のいた世界について深く知ることはできなかったが、そこにいた彼女の心情をなんとなく察した正人は、それだけ返して言及をやめた。


「なあ、これからまだ時間あるか? 今度と言わず、これからどっか映画でもいかね? 面白そうなSFモノやってるみたいだぜ!」


「映画か……」


 このあと何もなければそのまま翠華の家に行こうと思っていたが、別に構わないだろう。平日はたいてい毎日同じ時間に訪れているが、休日は〝一緒に夕飯を過ごす〟ことが決まっているだけで訪問時間は日によって違う。朝からいることがあれば、用事があって夕飯だけを食べに行くことだってある。このあたりはすでに翠華とも認識を合わせているので、正人側の都合優先で問題なかった。


 ただ、一日も訪れない、という選択だけはあってはならないが。


「奢ってくれるのか?」


「バカ言え。奢りは今回限りだ。教師の薄給舐めんな」


「そんなの、貯金MAXとかチートできるだろ?」


「んなことしたら、つまんねえじゃん」


 どうやら彼女のゲーマー精神は、この日常生活でも適用されるらしい。もっとも、彼女にはこの世界もゲームみたいなものなのかもしれないが。


「つーわけで、映画館へゴー!」


 と、紙鳴先生が歩き出したときだ。


「ノー。それは許可できません、紙鳴ミカ」


 突如二人の背後から、彼女の意思を否定するような女性の声が聞こえた。一瞬他人の会話が漏れ聞こえたのかと思ったが、自分の隣にいる女性の名をフルネームで呼んでいたので、その可能性もないだろう。


 明確に、先生に向けられて放たれた言葉だ。


 そして、その声はどこか聞き覚えがあって――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます