第3話8 俺には他に好きな子がいる。
「ほんと、それが恋愛感情じゃなかったら、なんだって言うのよ」
皆元は呆れた様子でそう言った。
「客観的に見れば、確かにそのとおりだな……」
と、正人は小さくため息をつく。
まさか皆元に気付かされるなんて思いもしなかった。そもそもこんな話になるなんて誰が予想できようか。
そしてそこまで来て、はっと正人は思い出す。
「それで、お前、〝振って〟って……」
ようやくさっきの皆元の〝お願い〟の意味に気づく。彼女は肯定するかのようにただ寂しげな微笑みをこちらに向けていた。
「お願い……できる?」
彼女は最初から失恋を悟っていたのだ。すべてわかっていて、でもそれでもわずかな希望を抱いて足掻いた。
「いいのか? その……言葉にしてしまって」
逆にこちらが聞き返す。なぜなら何となく察しているだけなのと、完全に言葉にしてしまうのとではやはり受けてしまう傷が全然違うように思うのだ。それだけ言葉というのは、人に与えるものが大きい。
しかし井出は言っていた。〝はっきりと答える〟ことは、〝勇気を出して告白してくれた人への礼儀〟だと。
「きっぱり言われないと、ずっと引きずりそう。突然朝起きたら隣に裸の私がいて〝既成事実〟ができあがってたりして」
「ストーカーかよ……」
「半分冗談よ」
「半分かよっ!」
「だから……改めてはっきりと振ってください。あんたを好きだとまっすぐ告げた人と、あんたが好きだと心から想う人を消してしまった……こんなバカなあたしをさ」
そこまで言われれば、もうこちらが躊躇う理由はない。
「……わかった」
彼女の瞳には失恋の覚悟が宿っていた。しかし一方で完全に揺らぎを隠すことはできていなくて、きっと痩せ我慢もあるのだろうと見て取れる。
「ごめん、皆元。俺はお前とは付き合えない。俺には他に好きな子がいる。伊武翠華という女の子が」
「うん……」
ふう、と小さく息を吐いて、自身を落ち着かせようとしていた。思ったより彼女にとって衝撃が大きかったからか、少し吐息が震えているようにも思える。
「でもこれからも友だちであることには変わりないからな」
「……つまり、ずっと友だち止まりでいるしかない、生殺し状態を味わえと言うのね?」
「う……」
「冗談よ。むしろあたしはあんたの好きな子を存在ごと消した。なのに、友だちでいてくれるって言うんだから、それ以上の贅沢は望まないわ」
そして頭を下げると、
「本当に……ごめんなさい」
その声は、涙声に震えていた。
「……いいよ。惚れた相手が自分以外の誰かと、恋人になるのを嫌に思う気持ちは今の俺ならよくわかる」
もし自分が彼女の立場だったら、ひょっとすると同じようにバグを行使して恋敵を消していたかもしれない。そう思うと、棚に上げて責め立てることもできなかった。
それから手の甲で目元を拭ったかと思うと、そこにはいつもの〝友人〟である皆元ドーラが戻っていた。
「それじゃ、さっき言ったとおり、今来栖さんと翠華ちゃんの二人を元に戻すわね」
「ああ、頼む」
皆元は目を閉じ、祈るように両手を合わせて握った。
それから数秒、じっとしたかと思うと、その後皆元はそっと目を開けた。
「終わったわ」
「……え、今のがそうなのか?」
実感としては何も変化はない。単に皆元が祈るようなポーズをしただけである。もっと世界が一瞬真っ白に染まったり、上空に大きな魔法陣が浮かんだり、視覚的に現象として何かしら起こるものかと思ったが――。
「本当に元に戻ったのか、よくわからんな……」
「でも、戻ってるわ、ちゃんと」
そう言った彼女の目に、嘘は宿っていない。きっとバグの行使は、目に見てわかるものではないのだろう。確かに人が消えた瞬間も、認識できるような出来事があったかと言われればそんなことはなかった。
そう、今のがきっと〝バグを行使して世界に干渉した〟ということなのだろう。
正人ははっとしてスマートフォンを取り出し、写真アプリを起動する。
そして、恐る恐る画像データの一覧をスクロールして、どんどん過去の分に遡っていった。目指すはかつて翠華と遊園地に行ったとき撮った二年前の画像だ。
「……!」
そこには、遊園地のマスコットキャラクターの着ぐるみと並んで、こちらにピースサインを向けている翠華の姿が――あった。
彼女の存在が、世界に戻っていた。
「翠華……」
ほっと安堵が心に灯る。たった一日だけだが、彼女の存在が消えていたこの時間はとても長く感じられた。
「画像だけじゃなく、ちゃんと本人も戻ってるから。信じてもらえるかはわからないけど……」
「信じるよ。きっと今頃ベッドで布団を被ってる頃だろうな」
まだ本人を見たわけじゃないが、バグを行使した張本人である皆元がそういうなら本当だろう。来栖と翠華、そして一時的には世界中の人間の存在を消すなんてことをやってのけたが、正人は彼女に不信感も怒りも抱いていなかった。むしろ〝バグ持ち〟の正体が、皆元で良かったとさえ思っている。もし赤の他人だったら、バグによる改変を元に戻してほしいという要望も簡単には通らなかったかもしれない。
「なあ、最後にいいか?」
「何?」
「俺には今、お前が持ってるようなその力を、消す力もあるんだ」
そう言ってスマートフォンを取り出し、正人は〝直してミカちゃん〟のアプリを起動した。
「俺がこのカメラでお前を撮ると、お前は力を失う」
「へえ、そんなので……。まあ、どのみち、もう使うことはないだろうし、さっさとやっちゃって」
「……わかった」
これで彼女は〝普通〟に戻るのだ。
(〝普通〟に戻る……か)
そもそも本人が〝もう使うことはない〟と言っているなら、わざわざ元に戻す必要はあるのだろうかと正人はふと思った。なんでもかんでも、仕様通りに――〝普通〟にしてしまわないといけないのだろうか。
(って、何余計なこと考えてんだ……)
あまりこんなところで深く考えて時間を無駄にすることはない。あとは撮れば万事解決なのだから、粛々とやればいい。
正人は〝直してミカちゃん〟で皆元を撮影した。少し緊張した面持ちの彼女の画像が、写真アプリに保存される。
「えっと……どうだ?」
正直見た目的には何も変化が起こっていない。さっき皆元がバグを行使したときと同じように。
しかし確実に変化はあったようで、彼女はそれを認識していた。
「あ……ない」
「え?」
「あの力の使い方とか、使ったらどうなるとか……そもそもあたしってそんなことできたんだって知識や感覚が、全部消えてなくなってる……」
どうやら成功したと見ていいようだ。
「なんか不思議な感じ……。そっか、もう使えないのね」
「未練……あるか?」
「ううん、ないよ。ただ事実を再確認したってだけ。元々なかったものでもあるしね。……あ、でも、あんたにはやっぱまだ少し未練あるかも」
「お、おう……」
最後の一言、どう返せばいいか迷ったが、恐らくわざと困らせようとしたのだろう。
「そうだ。忘れるところだった。最後に一つ訊きたいことがあるんだ」
「ん、何?」
「人類すべてを消したのはどうしてなんだ? 翠華や来栖だけじゃなく、一度全人類を消したことあっただろ?」
最後にまだ訊けていなかった質問を正人は投げかける。
来栖と翠華を消した理由については聞けたが、まだ人類全体を消した理由についてはわからなかったからだ。
しかし、皆元から返ってきた答えは――、
「え、全人類? 何言ってんの……? さすがにあたし、そこまではできないけど……」
その目に嘘偽りはなく、さっきのような動揺は微塵もなかった。
「何? それって……どういうことだ?」
「〝どういうこと〟って言われても……ごめん、それに関してはマジで〝よくわかんない〟」
最後の最後で、何やら噛み合わなかった。
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