第3話7 〝やりたいこと〟

「友だちじゃなく、一人の男の子としてあんたを見てるの。ほんとはこんな状況で言うつもりはなかったけどね」


 思いも寄らぬ皆元の愛の告白に、正人は言葉が出なかった。それは答えに迷っているからではない。ずっと友人のように付き合ってきた人物から、実は恋愛対象として見られていたという事実に実感が追いついていないのだ。


「前にね、赤土くんが来栖さんに告白されてたの……見ちゃったんだ」


 そう皆元は言う。


「え……?」


 どうやらあの屋上での告白シーンを、見ていたらしい。


「屋上のドアの向こうから、少しだけ開けてね。放課後……部活の休憩中、忘れ物を教室に取りに戻ったの。そのときあんたがあの子と二人で、階段上っていくのを見かけて……それで少し気になって追いかけた。来栖さんがすごく覚悟を決めた表情してて……女の勘っていうの? 〝まさか〟って思ったわ」


「……そして、その〝まさか〟だったわけか」


「返事は保留にしたみたいだけど、あたしは気が気じゃなかった」


「そのときにはもう力があったのか?」


「まだ一度も使ったことがなかったけどね。使いたい相手もいなかったし。でも、そのとき初めて使いたい相手ができた。あんたが他の人に取られるのが怖くて……焦ってた。告白そのものをなかったことにしたかった」


「皆元……」


「なのに翌日、食堂でまさかあんたから、その話を聞くとは思わなかったわ。名前は出してなかったけど、これって来栖さんのことなのかもって思った。本来は覚えてるはずなかったのに……すごく焦ったわ」


「どうしてその時点で、元に戻さなかったんだ? 力の効き目がなかった、ってわかったんだろ?」


「それは……まだ力の効果が現れてないだけって思ったのよ。来栖さん本人はすぐに消せたけど、周りの人たちの記憶から消えるには時間がかかるんだって。だからあの時点で来栖さんを元に戻すのはまだやめておこうって思ったの」


「でもそのときの会話で俺言ったと思うぞ。断るつもりだったって。どのみち力を使い続ける意味はなかったんじゃないか?」


「断るつもりって言ってても、気が変わる可能性もあると思うと安心できないじゃない……」


 そう語る彼女の頬は朱色に染まっている。いつもの友人として接する彼女との雰囲気の違いに、正人は皆元を改めて〝女性〟として捉えたのだった。友人という枠として塗りつぶされることなく。


「せめて結果がどうであれ、まずはあたしから告白して先に答えをもらってから、元に戻そうって思ったの」


「……その告白、いつするつもりだったんだ?」


「……」


 どうやら〝いつ〟かまでは決めていなかったようだ。きっと勇気が出ず、先送りにしてしまっていたのだろう。結果、こうしてなし崩し的な状況でないと、気持ちを口に出すことができなかった。


「その力って本人を苦しませることもないし、周囲の人間も存在した事実すら消えてなくなるから悲しむこともない。でもお前が何もしない限り、ずっと消えたままなんだぞ」


「……うん」


「身勝手だし、ずるいやり方だと思う」


「うん……」


 頷く皆元。想い人からの厳しい、しかし真っ当な指摘に、辛そうにうつむく。彼女自身そのとおりだとわかっているのだろう、何も反論はなかった。


「……あたしは個人的な嫉妬と情けなさから逃げるために、二人の存在を奪った」


「だからこそ、わからない。来栖はわかるけど、どうして翠華もだったんだ?」


「やっぱり、気づいてないんだ……」


「何が?」


 ふぅ、と小さくため息をつく皆元。それはどこか呆れのようなものが混じっていた。


「最初に言ったとおり、あたしは嫉妬したの。あんたの心があたし以外の女の子に向いてるのが、すごく嫌だった」


「でも、翠華は幼馴染だ。恋人じゃないってはっきり一度否定したと思うぞ」


「……世話がないことに、本人が一番無自覚だったのよね」


「無自覚……?」


 皆元の言葉の意味が読み取れず、正人は首を傾げる。そんな彼を見て皆元は、


「……これが、罰なのかな」


 そう小さくこぼし、自嘲気味に笑った。


「あんたが、画像のあの子を見てるときの目、どこからどう見ても惚れた相手に向けてるものだった」


「……は? えっと、俺が? 翠華に?」


「自分の気持ちには、すごく鈍感だよね……あんたって」


 なぜ皆元も、紙鳴先生や大友さんのようなことを言うのだろうか。


「あのときの目を見てわかったの。あたしには勝ち目なんかないって。でも最初からいなかったことにすれば、まだチャンスがあるって思った。来栖さんと同じように、せめて自分が告って答えをもらうまでは、一時的にいないことになってもらおうって思ったの」


「ま、待ってくれ。翠華は何度も言うが、俺の幼馴染で……」


「本当にそれだけ? その子のこと、本当にそれ以上に想ってないの?」


「そ、それは……」


 なぜか〝思っていない〟と即座に返せなかった。言葉は浮かんでいたのに、それを口にすることがなぜか納得できなかったからだ。

 自分以外の第三者――紙鳴先生に大友さん、そして皆元の三人からの指摘を、跳ね除けたつもりでいてその実そうではなかったのだと正人は自覚した。


「女の子として、恋愛対象として、見たことないの? どうしてあたしのことを捕まえようと躍起になったの? 来栖さんというより、翠華って子のためじゃないの?」


「俺は……」


「好きなんでしょ、あの幼馴染の女の子」


「いやでも……あいつは……」


 幼馴染。ずっとそう思って接してきた。彼女は守らないといけない妹のような存在。かつていじめられていることに気づけなかった自分が、今度こそは守らないといけない相手。


「んじゃ、あの子が他の男の子とイチャイチャしててもいいんだ?」


「え?」


「確かに今は引きこもってるんだっけ……? でもこれからもそうだとは限らない。何かをきっかけに社会復帰して、その先であんたじゃない、あんたのまったく知らない男と出会って恋をするかもしれない」


「それは……」


 今まで考えたことのない〝翠華が自分以外の誰かと過ごす未来〟。そんなことはありえるのだろうか、と思いつつも、ありえないと否定しきれない。皆元の言うとおりになる可能性だって十分にある。そして恋人でもない自分に、それを阻止する権利はまったくないのだ。

 途端、心の奥底で吐き気にも似た不快さを覚えた。


(あいつが、俺以外の男と……?)


 それを許していいのか? という疑問が芽生える。否、正しくは許したくないのではないか? というものだ。


「想像してみて。その子は身も心も全部、あんたの知らない男に許すの。そのときあんたのことなんて微塵も考えてない。過去に少し関わった、ただの〝幼馴染の異性〟ってだけ」


 そうだ。今の自分と翠華の関係は、〝幼馴染〟という何でもない繋がり。ただ昔からそれなりに時間を一緒に過ごしたというだけの関係性でしかない。

 それだけの関係でしかないものは、いずれそれ以上の関係に上書きされる。

 それを、そのまま見逃してしまっていいのだろうか。

 翠華が、自分以外と結ばれてしまうのを。


「彼女は目の前のその男にもう夢中で、身も心もその人のものになりたくて仕方ない」


 否、そんなやつのものになんかさせたくない。

 強くそう思った。


「些細なあんたとの過去なんて、好きな人の前ではなかったのと同じ。全部その人に染められてしまうのよ」


 そんなこと、許せるはずがない。


「それで、あんたにも見せたことのない顔をその男に――」


「……もうやめてくれ」


 気づけば、強い口調で皆元の紡ぐ言葉を遮っていた。


「……やっと、わかった?」


 正人ははっと冷静に戻り、手で目元を覆う。自分は妄想上の翠華の想い人に、強く嫉妬していたのだ。


「ああ……」


 さすがに、正人は気づいた。


「……こんな強く嫉妬したのは、多分初めてだ」


 自分が翠華に恋心を抱いていた、という事実に。

 翠華を自分だけの女にしておきたいという独占欲が、実は心の奥底で渦巻いていたのだ。

 まさか他の男に取られる想像をしただけで、こんなにも不快になり憎しみを募らせてしまうなんて自分でも驚きだ。


 しかも心の中の翠華に対する気持ちの温度感は、微塵も先程から変化していない――つまり、ここに来て恋愛感情が芽生えたのではなく、ずっと前から本当は恋していたのに、こうして指摘され、煽られるまで気づいていなかったのだ。まさに皆元の言うとおり、無自覚で鈍感である。

 いつしか聞いた来栖の言葉を思い出した。

〝気づいたら……あるいは自分でも気づかないうちに、その人への想いが恋愛感情になってる。そこに根拠とかはない〟


(〝なんか一緒にいて……ずっと一緒にいたくなる〟か)


 出会った当初は恐らくただの幼馴染という認識で正しかった。だが、それがやがて気づかない間に恋愛感情へと変化していたのだ。しかし〝守らなければいけない幼馴染〟という最初の強い思い込みから、無意識にその恋心を否定していた。それゆえに、実感と自覚になかなか至れなかったのだ。


(まったく、バカバカしい話だな……)


 彼女を守りたいという〝やらなきゃいけないこと〟は、本当は単に自分が彼女に対して、


「〝やりたいこと〟でしかなかった……というわけか」


 そう呟いて、フッと小さく自嘲気味に笑ったのだった。

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