第3話3 今、俺は何に引っかかったんだ?

「あ、ああ……そのことなんだけど、幼馴染の話でさ」


 と、正人は話し出す。

 当然、相談というのは建前。今から話そうとする内容も、あえて消えた翠華について話すことで、怪しい点がないか探るための話題である。


「幼馴染さん……ですか?」


「そいつ、いじめられてたんだ」


 建前といえど、正人が話したのは事実に基づいたエピソードだった。最初は百パーセント作り話から来る偽相談を持ちかけようと思っていたが、嘘八百で器用に立ち回れる自信がなかったのだ。


「いじめ……〝られてた〟ですか?」


「今はもういじめられてない」


 正人の浮かない表情を見て、大友さんは〝よかったですね〟とは言わなかった。


「解決は……したんですか?」


「いや、しなかった。当時中学三年生だったんだけど、不登校になってそのまま卒業。その後ずっと引きこもってる」


「そう、ですか……」


 やはり少なくとも表向きは、翠華のことを覚えている素振りは見せない。


「ちなみに、どんないじめを?」


「悪口を言われたり、SNSで悪口を書き込まれたり、持ち物にイタズラされたり最悪捨てられたり……。あとはクラスのみんなに無視されたりもしてたらしい」


 これは以前、翠華が受けていたいじめについて、大友さん自身から聞いたその詳細である。


「それはひどいですね……」


 自分のことのように表情を曇らせる。当時も自分の口から語りながら、こんな表情をしていたのを正人は覚えている。彼女は翠華へのいじめを知っていたのに、いじめグループからの報復を恐れ、見てみぬふりをしてしまった自分を強く責めていた。だからこそその罪悪感から、全部打ち明けてくれたのだろう。


 翠華を助けられなかったことを、正人はまったく責める気はない。学校のクラスという、狭いコミュニティの支配者だったいじめグループに反逆するのは勇気と覚悟がいる。今後の平穏な学校生活をすべて投げ捨てるくらいに。

 だから、気持ちはわかるのだ。

 それに翠華を助けられなかったのは自分も同じで、そもそも他人を責める権利などない。


(……っと、思考が脱線してたな)


 正人はふと会話の中で怪しい点を探るという本筋から、逸れていた思考を軌道修正する。


「もっとひどいのは、それに気づいてやれなかった俺だよ。引きこもって初めて、あいつがいじめられてたのを知ったんだ。いつもチャットでやり取りしてたのに、全然気づけなかった」


「気づかせないように振る舞っていたんじゃないですか?」


「ああ。でも、気づいてやりたかった」


「助けられなかったこと、後悔してるんですね」


「まあな……」


 このやり取りも、以前一度大友さんとしたことがある。


「ちょっと脱線しちゃったな。それで肝心の相談内容だけど、どうすれば引きこもった幼馴染を社会復帰させられると思う?」


 正人はまったくその気のないことを訊く。


「社会復帰させる方法……ですか」


「ああ。知り合いに、似たようなやつはいないか?」


「……すみません、いないと思います」


「……そうか」


 もし彼女が〝バグ持ち〟であれば、今のは翠華について訊かれたと察することができただろう。しかし正人の目から見る限り、それに気づいた様子はなく、また今の答えに嘘があるようにも見えなかった。


「だから役に立つような答えは返せないかもです。その幼馴染さん自身は、また学校に行きたいとか、社会復帰を望んでるんですか?」


「……いや、多分望んでないと思う。少なくとも、口には出してない」


「だったら……これは個人的な意見ですが、無理やり押し付けても余計に社会復帰が嫌になるだけだと思います。かといって、このままでいいってわけではありませんが……」


 それは正人の考える答えに近しいものだった。周りの事情や希望を押し付けたところで効率良く上手くいくとは思えない。結局のところ、やるのは本人なのだから。

 そこにマスターの奥さんが、注文のコーヒーを運んできた。


「はい、お待たせしました。ホットが二つね」


 目の前にコーヒーカップ二つと、ミルクポットが一つ置かれる。カップの内側では底も見えないほど真っ黒な液体が、白い湯気を立てていた。


「ありがとうございます」


 大友さんは笑顔で返した。


「ごゆっくりどうぞ」


 トレーを脇に挟むと、奥さんは軽く笑顔で会釈してカウンターのほうに戻っていった。


「赤土さん、よっぽどその幼馴染さんが大事なんですね」


「え?」


「顔を見ていたらわかりますよ。本当に、その人のことを想ってるって感じです」


 大友さんはそう言って、ソーサーごとカップを持ち上げる。正人がテーブルの端に置かれていたシュガーポットから三つほど角砂糖をカップに投入し、加えてミルクポットからミルクを垂らして澄んだ黒を白く濁らせたのに対し、彼女は砂糖もミルクも入れなかった。どうやらブラック派らしい。


「確かに大事な人だけど……そんなに真面目な顔をしてたか?」


「はい。そりゃもう、すごく眉間にしわが寄ってました」


 思考どころか、どうやら感情も脱線していたようだ。元ネタが事実なだけに、引っ張られてしまうのだろう。


「幼馴染さんって、女の子ですか?」


「ああ。言ってなかったか?」


「はい、初耳です」


 確かに今日会ってからずっと〝幼馴染〟か〝そいつ〟としか言っていなかったので、もし存在ごと記憶から消えているなら、性別もわからなくても当然だ。だって彼女にしてみれば知らない赤の他人なのだから。

 しかしそこでふと〝疑問〟がよぎった。


「ん?」


 それは小さな小さな引っかかりだった。今の今まで流していて気づかなかったほどの。


「どうかしましたか?」


 思案げな顔になっていた正人の顔を、大友さんは心配そうに覗き込んだ。


「ああ、いや、なんでもない」


 と言いつつも、直後顎の下に指を添えて思考にふけり始める。直感が、今ここで分析すべしと告げていた。


(今、俺は何に引っかかったんだ?)


 気のせいではない。確実に何か、明らかな〝矛盾〟を感知したのだ。それは大友さんとのやり取りではない。もっと過去の、別の人物とのやり取りにあった。それは一体何か。その正体を、根源を、過去に遡りながら記憶の道をたどっていく。


「赤土さん……?」


 そして――。


「ほ、本当に大丈夫ですか?」


 大友さんの深刻そうな表情に気づいて、正人は笑みを浮かべて返した。


「あ、ああ、大丈夫。……それより、時間大丈夫?」


 すると大友さんはスマートフォンを取り出して時間を確認した。


「もう、そろそろですね。でもまだ少しなら、余裕はありますよ」


 と言って、窺うように答えを求める視線を向けてきた。きっと正人が求めればまだもう少し、ギリギリまで時間を割いてくれるだろう。

 しかし、正人はすっかり温くなってしまったコーヒーの残りを一気に飲み干し、


「いや、さすがにギリギリになって急がせても悪いし、もう出ようか」


 これ以上については遠慮した。

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