第2話6 頼んだぜ、デバッガー
「そーこなくっちゃな! んじゃ、話は以上だぜ!」
そう言って、一連の先生の話は終りを迎える。
そして先生は話が終わるなり、メタルラックから最新据え置き機のゲームコントローラーを取り出した。さっきまで世界の危機のような話をしていたはずなのに、彼女を見ているとここまでの話がまるで流行りのゲームについて語り合っただけのオタトークにしか思えない。
(なんかいろいろ緩いな、この人……)
そんな半ば呆れのような目線に気づいて、先生がこちらに振り返った。
「お、なんだ? てめぇもするか? ゲーム!」
どうやらこちらの心の内は伝わらなかったらしい。
「いや、しないです……」
いろんな意味で、
(本当、教師らしくない……)
そしてそう何気なく内心でつぶやいて、彼女がこの世界において教師という肩書を持つ年上の大人であることを思い出したのだった。
(そういや、ずっとタメ口で話してたな……)
ゴホッ、とわざとらしい咳払いで気持ちを改め、敬語口調で口を開く。
「では、先生。何かありましたら、連絡しますので……」
「おいおい、いきなり敬語に戻んなよ。今さら感やべーし。別に二人のときなら、タメ口でいいぜ? みんなの前では、教師と生徒って体裁があるから敬語で頼むけどよ」
確かに〝今さら〟だと正人も思う。本人は特にタメ口を気にしていない様子なので、敬語に切り替えるのをやめた。
「……じゃあ、改めて。何かあったら連絡するから、連絡先教えてもらってもいいか?」
「それならさっきアプリ仕込むときに、ついでに登録しておいたぜ」
「え?」
正人がスマートフォンの連絡先アプリを開くと、確かに『紙鳴ミカ』という名前で登録されてあった。抜け目がないと言えば聞こえはいいが、これはどちらかというと遠慮がないと言ったほうがいいだろう。
「登録されてあるな……」
「それじゃ、頼んだぜ、デバッガー」
「デバッガーって……」
思いっきり手のひらで踊らされている感が半端ないが、〝デベロッパー〟の上層部に修正をやらせないためにも、とにかく今やれることをやるしかない。
× × ×
「正くん……まだかな……」
カーテンは朝からずっと締め切り状態。というより、ここ最近ずっと。家から出なくなって以来、窓の外の景色を見たことはなかった。
さっき着替えるときはついていた照明も、今は必要がなくなったので消えている。
そんな空間で、伊武翠華はベッドの中にこもり、枕を抱きしめて、幼馴染の少年のことを考えていた。
自分には特別な才能も優れた能力もない。それどころか及第点にすら、何も至れない。余ったパーツを寄せ集めて、なんとか人の形に見せかけているだけのガラクタ。この世界に何の価値も示せず、そして何の価値も求められない。
そんな自分は、本当ならこの世界のどこにも居場所なんてない。それは物理的にも精神的にも。
でも、正人という存在が、たった一つだけの居場所となってくれていた。こんな自分に〝この世界に存在していい〟と、許してくれる。彼のそばだけが、自分という存在を唯一肯定してくれるのだ。
何も出来なくても、〝普通〟にすらなれなくても。ガラクタで、何の生産性もなくても。
彼は自分を見捨てず、存在することを承認してくれた。
世界で最後の、心の拠りどころ。
無自覚ではなく、明確に、翠華は正人を想う。彼を求めてしまう。想えば想うほど、頬に熱が帯びていくのを感じる。
「正くん……」
彼に〝異性〟を求めるようになったのは、つい最近の話ではない。最初こそいつも一緒にいてくれる一つ年上の頼れるお兄さんといった認識だったが、いつの間にか小学校高学年の頃にはこれが恋愛感情なのだと自覚できるほどに膨らんでいた。
「こんな醜いもの……見せちゃった」
着替え途中に、正人が入ってきてしまった。きっと下着姿とはいえ、自分の裸を見てしまっただろう。翠華にとっては恥ずかしい気持ち以上に、〝こんなものを見せてしまって申し訳ない〟という罪悪感でいっぱいだった。翠華は自身が〝モデルように背が高く細い体じゃない〟ことを理解しており、そしてそれが〝魅力的ではない〟という考えをしている。
ちなみに着替えていたのは、今日の気温がやや暑めなせいか汗をかいてしまったからだ。ニオイを気にして、正人の来訪に備えようと思ったのである。しかしその行為で、かえって彼に不快な思いをさせてしまったかもしれない。
「もしかして、嫌われて……」
ううん、と直後、首を振って思考を振り捨てる。嫌な思考に走りかけていたことに気づいて、考えるのをやめた。このまま考えても幸せにはきっとならないから。
「まだかな……」
壁掛け時計を見る。この部屋で唯一今がいつなのかを知ることのできるアイテムだ。さっき家を出て一時間くらい経っている。いつ頃、来てくれるだろうか。
それとも、やはり自分の裸にがっかりして、もう来てくれないとか――。
(って、また嫌なこと考えてる……)
頭を振り、嫌な思考を振り払う。
今日はまだ〝くんくん〟をしていない。彼の存在がとても恋しい。
しかしそれだけ想えど、翠華からは秘めたるこの恋愛感情を伝える気はなかった。幼馴染として気にかけてもらえるだけでも人生最大の贅沢だ。何の魅力もない自分に、何の価値もない自分に、一人の女性として彼を〝求める〟資格はない。
でも、本心を言えば――やはり自分だけをずっと見ていてほしい。
そう願ってしまう。ワガママだと、おこがましいと、わかっていても。
翠華は次第に迫ってきた眠気に、無抵抗のまま受け入れ、目を閉じる。正人が来るまで、寝ていよう。そうすれば、嫌なことを考えなくて済むから。
そう思いながら、しばし現実に別れを告げた。
× × ×
――紙鳴先生宅をあとにした正人は、翠華の家へと向かっていた。
(早く戻ってやらないと)
とはいえ仮に遅くなっても、翠華に限っては怒ることは恐らくないだろう。きっと黙って自分の到着を待っている。そして着くや否や、少しだけ寂しげな表情を浮かべるのだ。
(そういや、翠華の怒ったところ見たことないな)
感情を荒げたところをそもそも見たことがないかもしれない。
とはいえ、だからといってそれに甘える気はないが。
(とりあえず、今日はあまり一緒にいてやれなかったこと、謝らないと……)
それから伊武家に着くなり、正人は二階の翠華の部屋を目指した。思えば結局今日は夕飯の食材を買いには行かなかった。いろいろありすぎて、すっかり忘れていたのだ。食材は余っているので、それで今晩を凌ぐしかないだろう。
部屋の前に立ち、ドアをノックする。さっきは忘れていたが、今度はちゃんと。
しかし――。
「ん?」
反応がない。
「また寝てるのか……」
そんな呆れた気持ちを抱きつつ、いつものようにドアを開けると――、
「え……?」
そのドアの向こうにあったのは、何もない空き部屋だった。
「翠華……?」
薄ピンク色のカーテンも、そのすぐ横の小学生が使うような勉強机も、衣服が収められたチェストも、エアコンもシングルベッドも何もない。
そして何より、さっきまでこの部屋にいたはずの翠華本人が、いなくなっていた。
まるで、最初から伊武翠華なる少女など、この世に存在しなかったかのように。
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