第2話2 さて、特別授業を始めようか
――五階建てのマンションの一室。住所の書かれたメモ用紙を渡されていたので、正人はそれを頼りに紙鳴先生の住居にたどり着いた。
『紙鳴』と書かれた表札のドアの横にあったインターホンを押す。
『お? 赤土か?』
インターホンの向こうから、紙鳴先生の声が返ってきた。
「はい、赤土です」
そう答えると、しばらくしてドアから先生が顔を出した。その姿は普段着ているレディーススーツではなく、上下ともに紺色を基調としたジャージだ。
(って、これうちの学校のジャージじゃないか……)
いささかレディーススーツよりも似合っているように感じたが、口には出さなかった。
「ま、入れよ」
正人は先生に促されるがまま、部屋に上がった。
「のんびりくつろいでくれ。ベッドの上座っていいぞ」
彼女の住むマンションは坂を登った先、町を見渡せる小高い丘の上にあった。意外にも学校の近くで、学校から電車移動は不要な距離。通勤に便利そうである。
「は、はい」
言われたとおりベッドの縁に腰掛け、正人は部屋の中を見回した。普段の荒っぽい口調から、勝手に散らかって荒れたものを想像していたが、実際は意外と片付いている。
ただ、女性の部屋というには、その要素はあまりにも薄かった。なぜなら壁に沿って設置されたメタルラックには、これでもかというほど据え置きから携帯機問わず、様々なゲーム機が並んでいたからだ。最新の機種から自分が生まれる前の古いもの、見たこともないマイナーそうな機種まで。
よく見ればすぐ右隣の本棚に収納されているのは本ではなく、本のようにズラリと並ぶゲームソフトのケースだった。ダウンロードでもゲームソフトは購入できるが、どうやらパッケージ版という〝物〟で揃えたいタイプのようだ。むしろ本類は一切ない――かと思いきや、一番下の段に攻略本がずらりと並んでいた。どうやらここまで〝物〟で揃えたいらしい。彼女の住まう1Kは、一言でいえばゲームオタクの部屋だった。
パソコンもノートではなく、大きめのデスクトップ型パソコンの本体がメタルラック一階に収まっている。ラック左隣のパソコンテーブルに置かれたモニターも、二十七インチの大きめのものが二つ並び、マルチモニターにしていた。
要するに、
「ゲーム……好きなんですか?」
「おう、大好きだぜ! 人類が生んだ奇跡の娯楽だ!」
とのことらしい。意外とオタクっぽいプロフィールをお持ちのようだ。
「そ、そうですか……すごい量ですね。ソフトも古いものから最近のものまで……」
「当然、このデスクトップもいわゆるゲーミングパソコンってやつだぜ! 昔は二つのディスプレイを一画面にして遊んでたんだが、どうにもやりづらくてな。今じゃ片方はブラウザとチャット用って感じだ。ちなみに今ハマってるソフトは――」
なんだか訊いていないことまで話しだした。自分の好きなものに触れてもらったからなのか、瞳が楽しそうに輝いている。変なスイッチに触れてしまったらしい。
「――買ったゲームは積まずに、まず必ず一周はするようにしてるな。それで最近買った……ん?」
ようやく反応に困ってずっと黙って聞いているだけの正人に気づいたようで、ゴホンと罰が悪そうに咳払いした。
「……っと、つい熱が入っちまったな。ゲームのこととなると、いつもこうだ。すまん」
「い、いえ……」
自覚しているからか、セーブすることも知っているようだ。ゲーマーだけに。
「さて、特別授業を始めようか」
テーブル下に収まっていたキャスター付きチェアを取り出すと、その上に腰掛けた。微妙に足が床に届いていない。
「……てめぇが遭遇した〝異常事態〟についてだったな」
「は、はい」
さっきまで趣味について話す、見た目相応の緩い表情の少女はもうどこにもいない。キリッと真面目に大人の目が正人を捉えていた。
「あの……さっき言っていた〝バグ〟ってなんですか? それに来栖のことも覚えてましたよね」
「まあ、それはもののたとえだ。他にどう表現するか迷ったから、ああ言った。来栖については、当然他のやつらと違って〝覚えている〟ぜ? オレが受け持つクラスの女子だ」
「……!」
この異常な中でようやく客観的に、自分がひょっとしたら異常ではないのかもしれないという根拠に出会えた気がする。
「先生、どうして俺と先生だけが彼女を覚えてるんですか! いや、それ以前に無事なんですか!? あとさっき人々が消えたのだって……!」
「まあ、落ち着けって。一から説明してやんよ」
「す、すみません……」
思わず勢いで浮いていた腰を、再び落ち着かせる。
紙鳴先生はかく語る。
「来栖たちに起こった、てめぇの遭遇した現象――そうだな、〝人類消失現象〟とでも呼んでおくか……これは、この世界の成り立ちに関わる話でもある」
「世界……?」
紙鳴先生はパチンと指を鳴らした。
すると途端に――、
「……!」
部屋の中の景色すべてが、部屋の外と〝変化〟した。
しかもそれはただの外ではない。
遥か眼下に自分の住む町が俯瞰できる雲の上だ。自分とそして紙鳴先生は、突如として空の上に移動したのだった。
当然、このままだと翼も何もない二人は――、
「う、うわっ! 落ちる!?」
「安心しろ、ここは本当の空じゃない。ゲームのVR空間みたいなものと思えばいい」
「え?」
紙鳴先生の落ち着いた声に、正人は恐怖から閉じていた目を開ける。すると依然として自分のいる高度はそのままだった。落ちると思ったが、そんなことは一向に起こらず、そもそも冷静になってみれば足の裏に床を踏むような感触を感じる。つまりは見えない床か何かの上に、立っているのだ。目の前で余裕の満ちた表情を浮かべる先生も、空中にプカプカ浮いているのではなく、見えない床に〝立って〟いた。
今自分がいるのは、本当の空の上ではない。それだけはわかった。
しかし結局のところ、どのような仕組みでただのゲーマー部屋が町の上空の景色になったのかわからない。それはあまりにも一瞬の出来事で、まるでさっき突如人々が消えて元に戻ったときのような変わり具合だ。
「VR空間って……俺、装置をつけた覚えはないんですけど」
VR――バーチャル・リアリティ。恐らく昨今で一番身近なのは、家庭用ゲーム機で使用するものではないだろうか。頭部装着型のディスプレイ装置を介して、視覚や聴覚にバーチャルでありながら現実のような臨場感を与えるものだ。現在の技術だと、前述の装置を介していないと体験できないわけだが、正人はそのようなものを装着した覚えはない。
「物のたとえさ。オレの〝力〟で、一時的にてめぇにビジョンを見せてんだ。幻って言ったほうがわかりやすかったか? 場所は特にあの部屋から移動してねえよ。てめぇの〝見え方〟が変わっただけで、今てめぇが立ってるのはオレの部屋の床だ」
「ち、力って……」
そんなちょっと一発芸をやってみたくらいのノリで魔法のように幻を見せた彼女に、正人はぞっと本能的な恐怖が湧き上がるのを感じた。それは未知のものに相対したが答えが見つからない――まるで自分たちより明らかに上位の技術力を持った宇宙人に、相対したかのような感じである。恐怖とは生物の死に対する防衛本能であり、そして未知に対し生物の心はそれを感じるようにできている。
なぜなら〝もし相手に自分を殺す気と能力があっても、それに対抗できるかどうかわからない〟という自身の命運の不確定さに繋がるからだ。
この教師、一体何者なのだろうか、と正人は思った。そもそもさっきの超常的な異常事態について、説明できると言う時点で普通の教師ではないのだ。その上このようなよくわからない力も使い始めた。いよいよ人間なのかどうかというラインで、その正体を思案する。本能がどこか〝彼女は人ではない〟と訴えて仕方なかった。
「先生って……〝何〟なんだ?」
いつしか敬語を使うことを忘れ、タメ口で話しかけていた。
「人としてではなく、存在そのものを問うか。いい理解だぜ。そうだな、その問いに答えるなら――オレは確かにてめぇらの定義で言う〝人間〟じゃない」
冗談ではなく、偽りでもないと、その目が言っていた。
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