第1話7 〝バグ〟ってるヤツがいやがる
人が消えたのはこの近辺だけだろうか。それとも確認してないだけで、もしこの世界からすべての人間が消えていたとしたら――。
「翠華……!」
正人はスマートフォンを取り出し、存在を確認するため翠華の家に電話をかけた。
(出てくれ!)
引きこもりである彼女は、正人以外の外界からの接触を嫌う。宅配便や訪問セールス、当然電話もだ。このときばかりは呼出音の音量を普段から下げていたことに、正人は後悔の念を抱いた。彼女は呼出音すら嫌うので、極力彼女の部屋には届かないよう普段から音量をとても低く設定しているのだ。だからもし彼女が無事でも、気づいてくれる可能性は低かった。
しかし今回に限っては、どうにか出てくれと祈る。
「頼む、翠華!」
だが、返ってきた声は彼女ではなく、留守番電話サービスのものだった。
『こちら、留守番電話サービスです――』
「クソッ!」
そのあと皆元、井出、両親など、通話に出てくれそうな知り合いにかけてみる。翠華と違ってスマートフォンを持ち、もし出ることが可能なら応答するはずだ。
きっと誰か一人くらいは――。
そう思ったが、誰一人出なかった。何度かけてもだ。
「なんで誰も出ないんだよ!」
焦りと不安で苛立ち、思わず怒鳴り声を上げる。しかしやはり周囲に反応はない。
こうなったら、直接皆元や井出に会いに行って確かめるしかない。それぞれどちらも本来ならまだ学校にいるはずだ。
――そう思って、まずは皆元の所属するバレーボール部が活動しているだろう体育館に向かったが、
「誰も……いない……」
休憩中でこの場にいなくても、まったくの無人なんてありえるだろうか。バレーボール用のネットは張ってあり、床にはボールも転がっている。確かについさっきまでは練習していたのだろう。
その後、保健委員の会議中である井出を捜した。彼についてはどこで会議をしているかまで知らず、いつもいそうな保健室を始めあちこちの教室を覗いたが、井出どころか他に居残っている生徒も誰も見つけられなかった。一人くらいはいてもいいはずだろうに。
そして、
「おい! 誰かいないか!?」
誰にも遭遇せずグラウンドまで戻ってきた正人は、その中心で叫びながら、反応を乞い願う。しかしその望みは依然として叶わない。
信じられない状況に、まだ頭の理解が追いつかない。
(くそっ、夢だろ!? 誰か、夢だと言ってくれ!)
来栖が消えたと思いきや、今度は世界中から自分以外の人間が消えた。こんなこと夢以外にありえないし、あっていいはずがない。
(とにかく、誰かいないか捜さないと……)
偶然みんな何らかの理由でどこかに行くタイミングが重なり、正人の行った先すべてで誰とも遭遇しなかっただけ――という可能性もありえる。確率はありえないほど低いが、ないとも限らない。誰も電話に出なかったのも、偶然みんな留守電なだけ。
まずは翠華の家を目指そう。
きっとそこに行くまでに誰かに会うはずだ。そしてゴールには決して家から出ることのない翠華が確実にいるはず。
そう思い、一歩足を動かしたそのとき――あるいは、目を一度瞬きさせた次の瞬間だった。
正人の耳に、待っていた反応が訪れた。
「位置についてー! よーい!」
という女子の掛け声とともに、鳴り響く陸上部の笛の音。
ふと気づけば、景色は見慣れたもの――放課後の運動部の賑わいが戻っていた。
「え……?」
まるで何事もなかったかのように、さっきからずっと続いていたかのように、生徒たちが各々グラウンドで部活動に勤しんでいる。静寂だった景色に、喧騒が戻っている。
自分の知る放課後のいつもの風景だ。消えていた人々が一度の目の瞬きを境に〝戻っていた〟。
でもそれは隠れていた彼らがどこからか走って戻ってきた――というわけではなく、照明スイッチのオンオフのように、〝消えていたものが突然切り替わるように現れた〟といった感じだ。
「そこで何やってるんだ?」
「え?」
後ろから野球部の男子部員が話しかけてきた。
「危ないんだけど」
「あ、ああ……悪い」
そういえば自分の今立っている場所が、グラウンドの中心なのを思い出した。
「な、なあ、さっき……つい数分前、どうしてグラウンドには誰もいなかったんだ?」
「は? 数分前って……普通にみんな練習してたと思うけど」
「だ、だけど、ほんの少し前、グラウンドには誰もいなかったよな?」
しつこく念を押すように尋ねる。自分の見た光景を、他の誰かにも肯定してほしかったのだ。
すると野球部の彼は、〝面倒なやつに話しかけたな〟と言わんばかりに顔をしかめた。
「今忙しいし、ここずっと立ってられると迷惑だから、さっさとどっか行ってくれ」
強引に追い払うように、こちらからの話題を無視された。当然だろう。自分が相手の立場なら似た応対をする。
「わ、悪い……」
それからグラウンドを立ち去り、校舎に入ってすぐの壁にもたれた。
(何が起こった?)
もしや、さっきの無人の景色は幻想だったのだろうか。だとすると、いよいよ自分はおかしくなってしまったのかもしれない。
(クスリとかそういうの、やってないはずだが……)
脳の病気だろうか。病院に行ったほうがいいのかもしれない。
× × ×
正人は再度駅前に向かった。そこも当たり前のように、学校帰りの生徒や買い物にやってきた主婦、犬の散歩をする老人や自転車、狭い道なのに車が往来する。
「さっきのはなんだったんだ……?」
まるで自分だけ、少しの間異世界に飛ばされていたかのような。他の人たちは〝いなくなっていた〟ことに気づいている素振りもない。もし気づいているなら、今頃学校もここも大パニックのはずだ。しかし、正人が見る限り、そこには至って普通の日常が流れていた。人々が消える前と、現れた今、何も変わりない。何事もなかったかのようだ。
つまり、あの現象を認知しているのは、自分だけ。
「やばい……頭の理解が追いつかない。夢としか思えない……」
しかし世界は元に戻っても、夢と現実が切り替わった――〝夢から覚めた〟という明確な出来事はなかった。
「そうだ、翠華!」
はっとそこで正人の脳裏に彼女の顔が浮かぶ。さっき人々は消えていて、今は元に戻っている。翠華は今一体〝どっち〟なのだろうか。
もし消えていたとしたら――。
この現象の理屈はわからないから後回しだ。それよりも結果として今彼女がどうであるかが重要だった。無事を確認するため、足を駅のほうに向ける。
そのときだ。
「――安心しな」
ふと後ろから聞き慣れた声。その言葉は明らかに、自分に対して向けられたものだった。
「え?」
と、振り返ると、そこにいたのは――、
「紙鳴……先生?」
まるで小学生のような容姿の我が担任教師が、腕を組んで立っていた。
「てめぇが心配してるヤツが誰だか知らねえが、他のヤツらと同じように今は無事だ。確かに一時的に消えていたかもしれねえが、ちゃんと元に戻ってる」
「先生、さっき起こったこと……わかるんですか?」
「人がみんな消えた現象だろ? オレも把握してるぜ」
自分以外に、気づいている人間がいた。それもごく身近な人物が。
「〝元に戻ってる〟って……翠華は――俺の幼馴染は、消えてないってことですか!?」
「ああ、無事だ。だから落ち着きな」
そう断言するその瞳からは、なぜだか〝彼女が言うのだからそうなのだろう〟と納得してしまう説得力を感じた。
「朝、てめぇが言っていた〝来栖〟ってやつも、確かに存在した」
「……!」
昨日と今日、皆が消して口にしなかった名前を、先生はさも当然のように発した。
「よく聞け、赤土。――今、人類に〝バグ〟ってるヤツがいやがる」
「え、バ、バグ……?」
「ま、意味わかんねーよな。もしもっと詳しく知りたいなら、オレが特別授業してやってもいいぜ?」
そんな意味不明なことを言って、紙鳴ミカはニッとイタズラっぽく笑みを浮かべた。
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