第1話6 あの席、ずっと空席だよ?

「え? いや、来栖だぞ? 同じクラスメイトだろ?」


 一瞬名前を間違えたのか、あるいは二人が上手く聞き取れなかったのかと思い、正人は再度同じ名前を唱えた。


 が、


「そんな女子知らないし……誰かと間違えてない?」


 不思議そうな顔をする皆元。正人は救いを求めて井出を見るも、


「まあ、まだ二年になって間もないから、間違えるのは仕方ないけど……そもそも今日、〝誰も休んでない〟よね?」


「うん、全員出席だと思う」


 そんなバカな、と正人は思った。実際今日一度も来栖の姿を見ていないし、席もずっと空いている。机の横のフックにカバンはない。


「じゃあ、あの席は誰の席だよ」


 教卓すぐ前、一番前の空いた来栖の席を指差した。ふたりは正人の人差し指の先に視線を向ける。間違いなく三人は同じものを見たはずだ。


「あの席、ずっと空席だよ? 何言ってるんだい?」


 と井出は言う。


「あんた、寝ぼけてるの?」


(何言ってるんだ、こいつら……)


 新手のいじめか、と一瞬思うも、二人の目もまた〝何言ってるんだ?〟というものだった。そこに他意はなさそうだ。そもそもこの二人は誰かへのいじめに加担するようなやつらではない。それは自分がよく知っている。

 そこへ、紙鳴先生が教室に入ってきた。次の授業は彼女の〝現代社会〟である。

 それに気づいた井出は、


「あ、先生来た。それじゃ、またあとで」


 と自分の席に戻っていった。


「次の授業は寝ないようにしなさいよ」


 完全に寝ぼけているのだと勘違いした皆元は、ありがたくもない注意を述べて自分の席に戻っていく。

 逆に、正人は席を立った。そして紙鳴先生のいる教卓に向かう。


「先生、ちょっといいですか?」


「あ? なんだ?」


 正人はさっとすばやく、彼女が教卓の上に置いた出席簿を手に取った。これなら〝来栖〟の名前と出欠を確認できるはずだ。もし自分がずっと名前を勘違いして覚えていたとしても、今日休んでいるのは彼女だけのはずだから、欠席している人物の名前がイコール来栖の正しい名前となる。

 だが、しかし――。


「なんで、どういうことだ……?」


 なんと、名前そのものがなかった。

 結果として、井出や皆元の言うように、今日欠席している人間は誰もいないことになっている。一覧に来栖の存在は影も形もなかったのだ。


「おい」


 不機嫌な紙鳴先生の声に我に返る。彼女は強引に正人から出席簿を取り上げた。


「勝手に見るな」


「す、すみません……」


 条件反射のように形だけの謝罪を返す。内心ではいるはずと思っていた人物の消失に困惑していた。


(俺の知らない間に引っ越したのか? いや、それなら井出たちはそう言うはず……)


 となると、可能性としては、自分が彼女を〝存在する〟と思い込んでいたということ。


(いやいや、俺いつからそんなおかしくなったんだ?)


「赤土、早く席に戻れ。それとも放課後、オレの楽しい補習を受けるか?」


「あ、あの、先生……〝来栖〟って知っていますか?」


 すがるように正人は彼女に問いかける。

 すると、彼女は少し黙ってこちらを見つめていたかと思うと、小さくため息をついてこう答えた。


「なんだ、芸能人か? 今そんな話するときじゃねえだろ。授業始めるぞ、早く席に戻れ」


「あ、はい……」


 クラスメイトたちが明らかに様子のおかしい正人を、声には出さないが、怪訝な目で見つめている。その視線に気づいた正人は、気まずさからそれ以上は何も訊かず、席に戻った。

 誰も来栖を知らない。いや、自分以外、知らない。



     ×    ×    ×



 ――放課後、正人は一人校門から出てきた。皆元は所属する女子バレーボール部、井出は委員会活動があるので、帰宅部である正人は彼らと一緒に帰ることが少ない。定期テスト期間中など、タイミングが合ったときくらいである。


「意味がわからん……」


 結局、あれからずっと頭の中が混乱していて、授業の内容なんてまともに頭に残らなかった。井出や皆元は様子のおかしい正人を心配していたが、あれから正人はなんとか大丈夫であるかのように振る舞って済ませていた。来栖を〝知らない〟と言う彼らに相談しても、余計心配させるだけだと思ったからだ。

 実際の心中は、まったく穏やかではない。


(もしかして、昨日の時点ですでに〝消えて〟いたのか?)


 可能性はある。昨日も思えば誰も彼女について話題にしていなかった。でも一昨日は――告白を受けた日は確かに存在した。その日の昼間も普通に友人と話していたような気がする。

 ちなみにその来栖の友人――だったはずのやつらも、〝来栖〟の名前を知らなかったのは二時限目のあとに確認済みだ。去年は別で今年度になって同じクラスになった二人の女子生徒。一年の頃から彼女と同じ文芸部員で、同時に数少ない――と言ったら失礼だが、彼女の友人のはずなのだ。しかし現在、その二人にとって来栖は〝知らない人〟だった。知らないフリをしているようにも見えなかった。


(自分だけがおかしくなった……とは思いたくないな)


 しかし周りすべてが同じ認識で、自分だけが違うという状況だと、客観的に見れば異常なのは自分のほうだ。


(とりあえず、駅前のカフェで一度落ち着いて状況を整理しよう。こんな顔してたら、翠華に心配される)


 と思いながら歩いていると、正人はあることに気づいた。


(そういえば、さっきから人……少なくないか?)


 いや、少ないというレベルではない。学校から駅までの住宅街は決して人通りが多くないにしても、普通なら他の帰宅途中の生徒が歩いていても不思議ではないはずだ。

 なのに、道には自分以外誰もいない。他の通行人や、自転車も。

 正人は片側一車線の車道に出た。しかしそこにも一台も動く車はなく、また歩道にも人影はない。停まっている車なんか車道のど真ん中に鎮座していたが、中に人は乗っていなかった。

 まるで無人の世界になったかのように、辺り一帯は静寂に満ちている。

 そのまま正人は、駆け足で駅前に向かった。安価なチェーン系のカフェが二軒と、小さなラーメン屋、牛丼屋に個人経営の本屋、そしてスーパーマーケットがそれぞれ一軒と、何もないわけではないが学生が遊ぶには質素なラインナップ。とはいえ、この時間帯、普段であれば無人ではない。むしろこの近辺で一番人が集まっているはずなのだ。


 なのに、誰もいない。静寂だけが満ちていた。一番人のいそうなスーパーの中に入ってみたが、照明がついてスーパーの安っぽいテーマソングも流れているのに、人らしき姿は一つもない。レジも無人で、今なら誰でも泥棒し放題な状態だった。

 正人はスーパーから出て、道の真ん中で叫ぶ。


「おい! 誰かいないか!」


 叫ぶも、応答はない。


「誰か! いるだろ!」


 こんなところで何度も大声なんて出していたら、警察を呼ばれてもおかしくない。しかし何度呼んでも、どこからもなんの反応もなかった。


「嘘だろ……?」


 正人は、走って戻った。息が切れて苦しくなるのを耐えて、とにかく誰でもいいから誰かを見つけたくて、つい先程自分がこの目で見て確実に人がいるとわかっている場所、学校を目指す。


 だが――。


「おいおい……」


 さっきまで運動部で賑わっていたグラウンドが、なんと無人と化していた。休日の学校のように、静かにただだだっ広い景色が広がるのみ。


 まるで、世界から自分だけが取り残されたかのようだった。

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