第1話5 本当にただの幼馴染なのかい?

「美味しい? 隠し味にヨーグルトを入れてみた。さっぱり甘みのある味になってるはず。レシピ本に載ってた」


「ああ、すごく美味しいよ、翠華」


 ヨーグルトを入れすぎてしまったのか、やや酸味の比重が多いように思えるが、彼女の作った料理はすべて問答無用で美味しいと正人は思う。


 四人がけのテーブルで、向かい合ってではなく隣り合って座り、正人と翠華はカレーライスを食べていた。

 正人の嘘偽りない評価に、翠華は嬉しそうに微笑む。


「やった……! さっきは失敗したけど、今度は褒められた」


「一応言っておくが、別にさっきは責めたりしてないからな。怠けて何もしなかったら叱るけど、頑張ってダメだったことを叱ったりはしない」


「でも、正くんが〝やって〟って言ってくれたから……ちゃんとできたかった」


 彼女は正人に言われたことは、何がなんでも忠実に守ろうとする傾向がある。

 なぜならそれは――、


「もう正くんしか、私を見てくれる人はいないのに……」


 という理由からだった。


「翠華……」


 正人はたとえ頼んだことや勉強のように課題として出したものができなくても、そのことを咎めることはない。そもそも勉強の目的自体、中学生の学習範囲ができるようになること(できるに越したことはないが)ではなく、解こうと考える過程にあるからだ。学校で習う勉強は知識の蓄積に加え、今後の人生に役立つ記憶や発想、思考の鍛錬になる。引きこもって何もしない状態だと思考力が衰えてしまうので、こういう日頃の〝運動〟は必須なのだ。


 だから極端な言い方をすれば、できなくてもいい。

 でも翠華にとってはそうではなかった。


 高校にも行くことなく引きこもる彼女には、誰も何もお願いしたり頼んだりすることはない。つまり誰からも必要とされず求められず、期待されず認められることもない。彼女の両親にすら、今となってはもう気にかけてもらえない状態だった。


 だが、ひとりだけ――正人だけは違った。彼だけは毎日翠華に会いに行き、やるべきことを与え、その結果を受け取ってくれる。


 翠華にとって、正人だけが今生きていることに意味と理由を与えてくれる最後の存在だった。


「ずっとできなかったら……きっと正くんも私を……」


「〝見捨てる〟って言いたいのか? そんなわけないだろ」


「うん……正くんは優しいから、今はそう言ってくれる。でもこんな私……みんなの言う〝普通〟ができない私なんて、いつか嫌になる」


 それは何度も〝見捨てないから〟と言われ、でも結果見捨てられた彼女の経験に基づく言葉だった。教師や両親といった大人たちは不登校から立ち直らせようと苦心したができず、最後は匙を投げて離れていったのだ。今ではもう彼女の両親は共働きで仕事に逃げ、都合よく幼馴染の正人にすべての世話を押し付けていた。さすがに世間体やわずかな罪悪感があるからか、彼女の分の食費やその他雑費は、月に一度、テーブル経由で正人に渡している。


「もしも、正くんが私のそばからいなくなったら……正くんのために生きられないなら……」


 すがりつくように人差し指と親指で正人の服の袖をつかむ。


 ちなみに正人は大人たちと違い、あえて彼女を不登校から立ち直らせようとは思わなかった。

逃げ道もまた道だ。ずっと苦しんできたこの子には〝がんばらない〟時間も必要である。

 それが正人の考えだった。それにいじめられている彼女を救えなかった自分に、学校へ行けと背中を押す資格はない。


「正くんが望むこと、なんでもするから。だから、なんでも言って」


 そう言って、上目遣いで正人を見つめる。その頬はほんのり少し赤い。


 きっと彼女は正人が求めれば、本当になんでもするだろう。成功するかどうかは別として、たとえ犯罪でも。一番長く一緒にいる正人には、それがよく理解できた。もちろん、犯罪なんてさせる気はない。


 正人を繋ぎ止めるために、自分のすべてを迷わず捧げようとするその精神性に素直に頷けず、誤魔化すようにあえてひとつ前の発言を拾う。


「ありえない〝もしも〟の話をするな」


「正くん……」


「俺はずっとそばにいる。そんな余計なことは考えるな。どうせなら楽しい気持ちで頭の中を埋めろ」


「う、うん……。じゃあ、正くんで私の中いっぱいにする……いつもみたいに」


 それが心を落ち着かせるなら、正人はその答えを否定しない。


「ほら、カレー冷めるぞ。せっかく美味しく作ったんだから、温いうちに食べよう」


「うん」


 ほっと安堵を取り戻し、翠華は一度止まっていた食事の手を再開させた。



     ×    ×    ×



「それじゃ、今日はもう帰るから」


 玄関で靴を履いた正人は、後ろに立つ翠華に振り返った。


「また明日も来る?」


「もちろん。今日言った国語の宿題、ちゃんとしておくんだぞ」


「うん、ちゃんとしておく」


 そしてしっかりとその大事な課題を忘れないよう、翠華はうつむき加減になって復唱する。


「〝国語の宿題、ちゃんとしておく〟」


 そうやって彼女は正人に与えられた〝生きる理由〟を、その心にしっかりと刻み込む。


「じゃあ、また明日な、翠華」


「……うん、待ってる。来てくれるまで、ずっと」


 その言葉に見送られて、正人は伊武家をあとにする。彼女には私物のパソコンやスマートフォンはない。前者は元から持っていなかったが、後者は引きこもったあと〝持っていてもお金がかかるだけ〟と両親に解約させられてしまったのだ。なので明日次に会うまで連絡も取れず、彼女は本当に家の中でひとりぼっちになる。


(明日も、学校が終わったら早く会いに行こう)


 そう思い、帰路についた。



     ×    ×    ×



 翌日。一時限目が終わったあとの休憩時間の教室。ストレージ容量の限界が近いとスマートフォンに怒られた正人は写真アプリを起動し、窓際の一番後ろにある自分の席でもっとも容量を圧迫している画像データを整理していた。犬の頭の形に見えそうな雲を撮ったものなど、そのときは面白そうだから撮ったものの、今となってはどうでもいいものがかなり残っていたので、そういったものを選別して消していく。日付的には最近から、だんだんと過去撮ったものに遡りながら。


 そんな中、正人の目はある画像で留まり、スクロールしていた指も止まった。


 そこに写っていたのは、笑顔の翠華。背景は一緒に遊びに行った遊園地だ。恐らく二年近く前だろう。まだ引きこもるどころか、いじめられてもいない頃。その遊園地のマスコットキャラクターの着ぐるみと並んで、こちらにピースサインを向けている。この頃は髪も肩ぐらいまでの長さしかない。


 つい懐かしい瞳で、見つめてしまう。


(この頃はよく一緒にいろんなところに行ったな)


 できればまたいつか、と思わなくもない。でもそれを強いる気はなかった。


「おや、その美少女さんは誰だい?」


 背後から投げかけられた声。それはいつも聞くもので、すぐ後ろゆえに自分が対象なのは明白だった。


 井出だ。


「もしかしてデートの写真かな?」


「え、なになに、赤土くんがデート?」


 さらに登場人物が追加される。皆元だ。〝デート〟というキーワードを聞いたせいか、瞳は好奇心の輝きで揺れていた。


「皆元さん、どうやらこの子が告白を断る理由なようだ」


「へえ、確かにこんなかわいい子が恋人なら、受けるはずないよねえ」


 確かに翠華が〝断る理由〟なのは、間違ってない。ないのだが、彼らとは大きな認識の違いがあった。


「待て待て。勝手に勘違いで話を進めるな。この子はただの幼馴染で、妹みたいなもんだ。これもデートじゃなくて、ふたりで遊びに行っただけに過ぎない」


「いや、それをデートって言うんじゃない」


「……え、そうなのか?」


 皆元の言葉に、正人は目を丸くする。


(俺はてっきり、デートとは恋人同士だけがするものだと思っていたが……)


「デートの定義はともかく、本当にただの幼馴染なのかい?」


 井出の目がイタズラ好きな子供のように輝いている。女子のような話題が好きな男だ。


「もし付き合ってるなら、ちゃんとそう言うっての。つか、声でけえよ。ここ教室だぞ?」


 運良く現状こちらの会話に興味を持って聞き耳を立てている人はいないようだが、もしこの手の話題が好きなやつに聞かれてこの輪に参加者が増えたら最悪だ。こういう恋愛系の話題は事実がどうであれ、格好のネタである。正直囃し立てられたくはない。


「ごめんごめん。一応気にしつつ話してはいるけどね」


 そのとき学校中に授業開始のチャイムが鳴り響く。かくして話題は中断された。


「次の授業が始まるね」


 黒板上の壁掛け時計に目をやって井出が言う。生徒たちはぼちぼちと席に戻り始め、次の授業の準備を始めていく。中にはギリギリまで雑談を粘ろうとする輩もいるが。


 正人は昨日もずっと空だった席に視線がいく。今日も来栖は欠席のようだった。少なくともまだ今日になってから一度もその姿を見ていない。


「なあ、来栖って今日も休みなのかな」


 何気なく、軽い調子で訊いてみた。それとなく〝今日休んでいるクラスメイト〟として話題にするくらいなら、彼女が告白してきた相手だとバレることはないだろう。


 しかし、ふたりは急にきょとんと不思議そうな顔で、こちらを見た。


(え? まさか、感づいたか?)


 と、危惧。


 ――が、二人の反応は思わぬものだった。


「誰、そいつ?」


 皆元に続き、井出も、


「聞いたことないな……どこのクラス?」


 まるでまったく知らない人間について、語るかのような反応を寄越したのだった。

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