第1話1 ひょっとして今日は休みか?

 家から最寄り駅まで徒歩十分、そこから電車でいくつかの駅を乗り、降車後駅からさらに徒歩五分。そこに正人の通う江沼高校はある。東京都内に向かう上りではなく、逆方面の下りに乗るからか朝のラッシュには巻き込まれず、比較的空いた車内で快適な登校時間を過ごすことができた。

 学校までの第一歩、家の最寄り駅のホームで待っていると、この駅停車の電車が徐行して入ってくる。完全停車したあと開いたドアから中に入り込み、正人は向かいのドア前で足を止めた。ここがいつもの定位置。

 この時間帯、周りには自分と同じような学生で溢れていた。同じ高校の生徒もいれば、他校の生徒も多い。そんな学生達の群れをかき分けながら、一人の女子学生がこちらに近づいてくる。


「おっはよ、赤土くん」


「おう、皆元か」


 話しかけてきたのは、クラスメイトの少女、皆元ドーラである。宝石のように美しい碧眼に、ポニーテールでまとめられたストロベリー・ブロンドの長めの髪。名前とその見た目の通り、母親をアメリカ人に持つ日米のハーフだ。しかし娘の彼女自身は日本生まれの日本育ちで、両親も日常会話には日本語を使うせいか、英語が特別できるというわけでもなく、見た目以外はほとんど日本人である。英語のテストで特別良かったという話は、今まで聞いたことがない。

 そして皆元は数少ない正人の友だちのひとりでもあった。登校時間が被っているからか、こうして特に示し合わせることもなく車内でよく遭遇し、一緒に登校する。女子バレーボール部に所属しているが、皆元曰く〝ガチ勢よりかはエンジョイ勢〟らしく、朝練はないとのこと。


「お前、朝から涼しそうな格好してるな」


 彼女は学校指定のカーディガンを腰に巻きつつ、下に着るシャツの長袖をそれぞれめくっていた。もう四月下旬だからそんな寒くないとはいえ、かといって特に今日は長袖をめくるほど暑い日でもない。


「言ってなかったけ。あたし、元から体温高いの。それに汗っかきだから、なるべくこれ以上暑くならないようにしてるわけ」


「夏場は大量に出汁が取れそうだな」


「出汁って……キモッ。あんた、女子相手に話してること、忘れてるでしょ」


「いや、ちゃんと自覚してるぞ」


「余計、タチ悪いわ!」


 と怒りのツッコミ。とはいえ、皆元は本気で怒っているわけではない。いつも互いにこんな調子である。正人にとって彼女は女性でありながら同性のような距離感で接することができ、変に繕ったりする必要のない相手であった。他の女子だとこうも軽く接することはできないだろう。

 それから学校まで、引き続きどうでもよい他愛のない会話で盛り上がった。



     ×    ×    ×



「やあ、赤土、皆元さん。おはよう」


 教室に入るなり爽やかイケメンスマイルで迎えてくれたのは、クラスメイトの井出志郎だ。男なのに中性的な顔立ち――むしろ女性寄りの顔をしており、背も自分よりやや低めで体格も華奢な上に声も高め。そのせいか本当は女子が男装しているではと思うほどだ。当然、漫画やラノベにありがちな実は女だった的なオチはなく、れっきとした男である。

 無論、本人のコンプレックスかもしれないので、女装が似合いそうだとかは思うだけにして口には出さないようにしている。


「おはよう、井出」


「おはよう、井出くん」


 正人が呼び捨てで返し、皆元が〝くん〟付けで返す。

 この三人は去年も同じクラスだった。あるとき席替えで偶然近くなったのをきっかけに交流が始まり、そのまま気が合って仲良くなったのだ。今年度、学年が上がってクラス替えがあっても同じクラスになったからか、関係はこうして途絶えることなく続いている。


「二人とも、またギリギリだね。もっと早く来なよ」


 そういって井出の視線を追いかけて黒板上の時計を見ると、確かにもうあと五分でホームルームの時間だ。皆元もそうだが、通常ならいつもだいたいこの時間に登校する。


「間に合ってるんだから、いいじゃないか」


「誰かさんは、時々間に合ってないときもあるけどね。あたしと違って」


 皆元の言うとおり、なんだかんだでだいたい間に合っている彼女と違って、正人は時折寝坊などで遅刻している。言い返せなくなった気まずさから視線を逸らしたとき、ふと教卓前のある空席に目がいった。


(……あれ?)


 もうホームルームの時間だというのに、そこの席の主は机の左右のフックに荷物がない。ということは、まだ登校していない。いつもどれくらいの時刻に来ているかまではわからないが、少なくとも自分のようにギリギリに来るようなタイプではない。

 ちなみに視線が向いたのは、偶然ではなかった。なぜならその席の主は、昨日の放課後告白してきた来栖だからだ。昨日の今日。気になるのは当然のことである。


(ひょっとして今日は休みか?)


 自意識過剰かもしれないが、もし休みであれば自分が原因である可能性もゼロではない。例えば告白の返事が怖くて登校できないとか。

 単純に今朝になって風邪を引いただけかもしれないけど。


「どうしたんだい?」


 視線が彼女の座席に釘付けになったまま硬直していた正人に、覗き込むようにして井出が訊いてきた。


「あ、いや。なんでもない」


「そう?」


 そのとき、登校時間終了を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。教室のあちこちで歓談していた生徒たちは、ぼちぼち各々の席やクラスに戻っていく。気の抜けた緩い空気が、授業という緊張の空気に換気されようとしていた。

 そんな教室の雰囲気の変異とともに、引き戸を開けて十歳くらいの見た目の女性が一人入ってくる。ふわっとした金色のセミショートボブに、挑発的な深紅色のツリ目。まるで私立の小学校制服のような子供サイズのレディーススーツを着込んでおり、その手には出席簿を持っていた。

 少女は教卓の前に立つと、ニッとイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「おう、てめぇらさっさと座れ。じゃねえと、居残り補習させるぜ?」


 見た目の可憐さとは裏腹に、話す口調はまるでチンピラ。これでもこのクラス――二年C組の担任教師で、れっきとした年上の大人である。名前は紙鳴ミカ。

 未だ席に戻らず喋り倒していた一部生徒は、〝補習〟という言葉を聞いて慌てて席に戻ったのだった。


「んじゃ、ホームルーム始めっぞ!」


 かくして今日も学校生活が幕を開ける。

 そして、来栖は来なかった。

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