第7話


 結局未椰が与えられたのは、離れの庵と軍師という地位だった。

 離れの庵は嶺の居室の奥にある。王の部屋とあらば、当然選ばれた者しか入る事が出来ず、そこに部屋を与えられたとあっては、新参者である未椰と嶺の蜜月の噂は瞬く間に家臣たちに広まった。

 しかしそれは根も葉もない中傷にしか過ぎず、実際未椰がそれを与えられたのは、嶺が未椰の才を気に入ったのと、奥向きに部屋を与えなければ、他の側近達に甚振られる可能性があったからに過ぎない。

 破格の地位を与えられた新参者、しかも女ということで未椰は忌み嫌われていたし、寄って集って甚振られる可能性があるほど、その見目が端整であったからである。

「敗軍の軍師が、嶺王の寵愛を受けているらしいな」

「苑王への忠誠心のほかにも、嶺王に売ったんじゃないのか?」

「見ろ、花売りの軍師だ」

 城内を歩けば、そんな会話が耳に入ってくる。

 否定する気は起きなかった。それが恥辱だと思う事も、憤る感情も湧かない。

 嶺王は恐れられている。その為、王の批判をする者はまずいなかったが、その代り不平も不満も全て、未椰に対する悪意や敵意として現れているようであった。

 嶺はその事については何も言わなかった。

 気づいてはいるようだったが、未椰が面と向かって陰口にもならない陰口を言われているのを見ても、愉快そうに口元を歪めるだけだ。

(早く、戦が始まらないだろうか)

 与えられた小さな庵の窓から外を眺めて、季節の移ろいを追う。

 戦が始まれば、軍師である自分は策を振るうために戦場に出るだろう。戦場で死ぬのも悪くない。

 ぽつりぽつりと山茶花が咲き始め、草木が橙色に染まり始めていた。彼岸花が其処此処に群生し、艶やかに自己主張をしている。

 新しい未椰の立場は、なかなかに多忙であった。

 それというのも、嶺王から軍事全般を任せられたからである。

 今までは瀞が民政と軍事両方を任されていたらしいが、彼は民政のみを行う事になり、戦の蓄えをするために徴収を増やして倹約を奨励しているようである。様子が分からないのは、瀞が未椰を娼妓だと言って憚らず、言葉を交わすことすらしようとしないからだ。

 哀しくは、無かった。何と言われても、怒る気にはならなかった。

 ただ、今後戦を行うためにそれは、疎ましいことだと思う。

 どうせならば兵糧も馬も、全て未椰の手腕に任せてほしいところだがそれもままならず、協力が出来ない現状では戦力の把握やどの程度の遠征が可能かすら、詳細が分からない。

 ため息を、一つ。

 気が滅入ると、つい苑王の事を思い出しそうになり、きつく唇を噛む。

「未椰様」

 軍の様子を見るために調練場に行こうと回廊を歩いていると、声をかけられて未椰は立ち止まる。

 眼前に立っていたのは、武将の一人である、確か、千華せんかという男だ。精悍ではあるが野卑た印象は否めない。苑攻めの時に後詰を務め、城下の町を燃やし尽くした男だ。そういう先入観が印象を変えてしまっているのかもしれない。

 千華は太い腕を組んで、立っていた。

 「未椰様」と呼ぶ割には不遜な態度である。

「……千華殿。何用で、ございましょうか」

「いえ。お見かけしたので、つい声をかけただけです。どちらへ?」

「調練場へ参ります」

「丁度良い。俺も行く途中でした。ご一緒しても?」

「構いません」

 断る理由もないので並んで歩き始めるものの徐々に差が開く。結局未椰は千華の少し後ろを歩いた。背丈の差があり、歩幅が違うのである。

 武官達は文官達のように未椰を毛嫌いはしないようであるが、親しく声をかけて来るものはまず無い。未椰に余計な事を言って、嶺王の怒りに触れるのが怖いのだ。

 そんな中で千華がどうして話しかけてきたのか疑問であったが、あえて拒絶する理由は見つからない。

「未椰様は、どう思われているか知りませんが、我が軍には貴方を快く思っていない人間は多い」

「存じ上げております」

「あまり一人では、動き回らないほうが良いですよ」

「はぁ」

 今更と、思いながら、千華の唐突な忠告に未椰は気の無い返事を返す。

「文官たちでさえ、物騒な事を考えているのです。まして、血気盛んな兵達の下にお一人で行かれては、何をされるか。貴方は女であるし、美しい」

「ご心配には及びません。中傷には慣れておりますし、私は美しさとは縁遠い」

「御自分を知らないのですね。――そう、貴方は、水のような方だ。その場所によって形を変えながら、静かに流れる水のような」

 「誰かを憎み、憤っていたほうが、遥かに楽だ」と千華は言う。

 未椰は眉を下げて笑んだ。

「しかし、水は時に人をも殺します。ただ静かなだけのものではありませんよ」

「それも、風や嵐が無ければ、起こり得ません。今までは風が無かっただけだ。貴方にとっての風は、嶺王だと、俺は思います」

「さぁ、どうでしょうか。私には、自分のことは分かりかねます」

「嶺王は、分かり難いですが、子供のような方です。貴方の事はとても気に入っているようだ。だから、傍に置く」

「買被り過ぎですよ」

 未椰はその話しはしたくなかったので、千華を追い抜いた。

 千華は後を追ってはこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る