第3話



 出立の日が決まってから、めまぐるしく時間が過ぎた。

 将達を集め陣形を決め、馬の準備をし兵達に新しい武具を与える。久々の戦とあって、皆興奮状態であったが、それも悪くない傾向のように思う。

 嶺は第一陣である。鍛え上げた自らの兵達を連れ、城門前の広大な敷地に列を組んだ。

 嶺の隊は全て騎兵である。王の軍であるが、煌びやかな装飾は無い。此度の戦は夜陰に紛れ移動し、朝を待たずに仕掛ける奇襲戦になる。余計なことを話さぬように兵には木布を噛ませ、ゆるりと馬の足を進める。

 大河までは、駆けて数刻とかからない。ゆっくりと歩かせても、夜明けまでには越えられる。

 戦の空気に、嶺の胸は躍った。これこそ、欲して止まなかったものだ。敗戦国として、従属していた月日のなんと長かったことか。不甲斐ない父を持ち、兵を持つことさえ出来なかったのだ。

 潜り込ませていた斥候によれば、未椰は王城の、王の寝室の隣に、部屋を与えられているらしい。それほど重用されている、ということだろう。

 晴れた日だった。

 松明を焚かずとも、星と月明かりだけで、十分に夜目がきく。

 嶺の隊は地鳴りのような低い音をひびかせて大きな一匹の獣のように大地を駆ける。

 遅れる者は、居ない。

 やがて、黒い龍のように大地に横たわる大河にさしかかった。橋はあるが、軍隊が進めるような大きなものではない。河を越えなければ、苑国に攻めることは不可能だ。

 嶺は合図を送り、河へと馬を進めた。

 なるほど、瀞の言っていたように水位は下がり、深いところでも馬の腹以上の場所は無いようである。

 しかし、冷たい河は馬の足を取り、体力を奪う。さっさと越えるか、と、嶺は馬の腹を蹴る。

 河は、あっさりと越えられた。わずかに安堵したような心持でそのまま都に突撃しようと号令をかけようとしたところで、視線の隅に煌く何かがある。

 それが何かを見極めている時間は無かった。嶺は動物的な勘で、馬を躍らせる。咄嗟に岩場の影に身を潜めると、大量の矢が浴びせられた。

 何騎かの騎馬が、ばたりばたりと倒れていく。

 嶺は舌打ちを一つつき、戟を構えなおすと黒陽の背に乗り込んだ。

 黒陽の知性的な瞳が、光る。鞭を入れずとも、敵兵に向かい回り込むように駆ける。弓兵は、狙いが定められなければ敵ではない。

 黒い馬の動きについて行けずに、矢を射る事の出来ない敵兵達の中に跳躍すると、嶺は瞬く間にそれを切り殺した。

戟の一振りで幾人もの敵兵の首が飛び、頭が潰れる。慣れた感触だ。血の匂いに、ぴりぴりと皮膚が痛む。愉快だ。

「怯むな! 敵では無い!」

 嶺の言葉に、一瞬恐慌状態に陥っていた軍は平静を取り戻し、河を越えるとそのままの勢いで敵兵の中に突っ込む。弓兵と騎兵では、まるで性質が違う。距離と確保された安全が無ければ、よほどの兵ではない限り、弓などは脆い物だ。だが、嶺軍の足並みを乱すのには、十二分の働きがあった、といえる。

 逃げ遅れた弓兵達を一掃し、追撃をしながら、嶺は知らず笑んでいた。視線の先には、嶺の軍を待ち構えている、苑の騎兵隊が整然と並んでいるのが見える。

 この用意周到振り。奇襲を見越していたに違いない。

 河の水位の下がることなど、分かりきっていた、という事か。

 城の中に斥候が知らず紛れ込んでいたのかもしれない。攻められることなど、見越していたのだろう。

しかし、河を越えてしまえば、あとは完全なる実力の差だ。嶺は、戦でなら、誰にも負けない自負があった。

 多少戦力の減りは見られるが、致命的なものではない。皆がついてきている事を横目に確認しながら、駆ける。戟を構え一直線に、整然と並んでいる大群の左端を突っ切った。

 向かってくる敵兵を物ともせずに切り殺しながら、嶺は激しく笑い声を上げる。

 あぁ、戦のなんと愉快なことだろうか。

 鼻腔をくすぐる鉄の匂いも、埃の匂いも、なんと芳しい事だろう。

 返り血を浴びて哂う嶺王を、苑の兵達は恐ろしいものを見るような目つきで見ている。兵達は王に似る。苑も、長く戦などない生活を送っていた。平和惚けした苑王のように、脆弱である。

「突き崩せ!」

 後詰が到着しようとしていた。苑軍は、少数精鋭である嶺王の騎兵を、数の暴利で飲み込もうとする。嶺は兵達を鼓舞してそれを霍乱する。

 王が前線にて力を振るっていれば、兵の士気はそれだけで上がる。まして、嶺のように圧倒的な力を持つものならば、尚更の話だ。背後から勇ましく馬の足音が聞こえ、千華の低い声が耳に響いた。

「皆、嶺王に習え! 飲み込め!」

 千華の軍は、嶺の隊の倍の数を有している。言葉通り飲み込むように敵兵を蹂躙していく千華の傍に馬を走らせると、嶺は満足気に言う。

「俺は苑の首を取る。残りは、好きにしろ」

「ええ、存分に」

 嶺が言うと、千華は野卑た笑みを浮かべ答える。

 千華は武人には珍しく、略奪や暴虐を厭わない性格であった。その為他の将からは嫌われていたが、綺麗事を言わない分、嶺に好かれていた。

 皆殺しにしろ、全てだ、と、先に命令は下してある。後は任せておけば、望み通りの働きをしてくれる事だろう。


 嶺は立ち塞がる者を切り捨てながら、部下の一人に火薬を使わせ城門を破った。激しい爆発音と、燃え盛る炎が酷く美しい。

 しかし、都は蛻の殻であった。きっと、劣勢を知り皆を先に逃がしておいたのだろう。

「思い切りの良い事だ」

 憎々しげにそう言いながら、嶺の表情は嬉しそうである。

 並みの軍であったら、奇襲を覆された時点で戦意を大幅に削がれていただろう。苑に負けていた、かもしれない。

 しかし相手が悪かった、と、嶺は思う。

 自分の軍は、城下で集めた悪党ばかりで構成されている。逆境には慣れているし、女も金も好きなだけ略奪しろ、といわれたら、喜び勇んで敵を討つ。

 純粋な欲求は、使命感やら忠義よりも、余程強いものだ。幾ら策を練ろうと、兵の質が違ってはどうすることもできまい。

 総力戦に打って出たのだろう、城の中には、殆ど兵は残っていなかった。

 護衛兵達を切り捨て、嶺は奥へ奥へと向かう。

 開けた場所に出た。謁見の間と思われる広間だった。夜がそろそろ明けるのだろう、窓から薄暗い光が差し込んでいる。

 赤や青で彩られた光が差し込む天窓の下、豪奢な作りの椅子に人影が見える。

 年若い男だ。一度、父が生きていた時代に見たことがある。言葉を交わしたこともあったかもしれないが、どうでもいいことだ。

 重要なのは、あれが苑王だということだ。その隣には、小柄な人物が立っている。恐らく、あれが未椰だと、嶺は思う。

「苑よ、よく逃げなかったな」

「私も、王、だからな。これでも」

 逃げるわけにはいかない、と、絶望的な表情で笑う。

 死を覚悟しているのだろう。心地良い事だと、嶺は思う。苑は王としては盆暗だが、人間的にはそうでもないらしい。だから未椰のような才ある人間が、仕えているのだろう。

「……負けたな」

 椅子から立ち上がりながら、苑が言う。

 しかし、せめて一太刀と、腰の剣を抜いた。

「苑様、なりません」

 未椰が、青褪めた表情で言う。苑に着物の裾を掴んでいた手を解かれると、力なく首を振る。

「私が……、私の責任です」

「お前は今まで、良くこの国を守ってくれた。感謝している」

 世話になったな、未椰、と、苑は優しげに微笑んだ。

 やはり、あれが未椰かと、嶺はその人物を眺める。

 小柄で質素な服を着ている。遠めには良く分からないが、自分よりも若いように思う。

「今生の別れだ。満喫したか?」

「あぁ、待っていてくれてすまんな」

 苑は剣を構え、走りこんでくる。

 隙だらけであった。まるで児戯だ。

 嶺はひらりと身を翻すと苑の太刀を避け、手にしていた戟で、容赦無く苑の首を跳ね飛ばした。

 それはまるで鞠球のように良く飛んだ。胴体は床に倒れ、首から鮮血が溢れ出る。転がっていった頭に目もくれずに、嶺はその場に膝を突いた未椰の正面に立つ。

 未椰は顔を上げた。泣いてはいないようだったが、その目は悲しみに曇っている。

「――私の首も、差し上げましょう」

 絶望に泣き伏せるかと思ったが、案外力強い声で、未椰は言った。

「抵抗する気など、ございません」

 未椰は、目を伏せる。

 嶺は暫くそんな未椰を無言で見つめると、ふと目を細める。

「殺すつもりは無い」

「……」

「お前は、今日から俺の駒となる」

「何を」

「覚えているか、未椰。お前は俺の誘いを拒絶した」

 未椰は、目の前の王の顔を、信じられないものを見るような目で見上げる。窓の外が赤いのは、きっと火の手が上がっている為だろう。

 嶺の言葉に、全てを理解した。このまるで虐殺のような戦は、全て自分に対する見せしめである、と。

 王というものは、身勝手であるべきだ。だが、これは、常軌を逸している。

 苑王は誇りも何も無い死に様を晒し、民は故郷を追われざるを得なくなってしまった。

 なんの力も持たない、自分などのために。

「俺に逆らうな、未椰。お前の智略は、俺の天下の為の物だ」

「……嶺、王」

「そうだ。俺は、お前の王だ」

 絶望を、したのかもしれない。あるいは、諦めたのかもしれない。

 未椰は、嶺王を、その体を透かして、更に遠くを見つめる。

 嶺は、その時初めて未椰の顔をしっかりと目にした。

 若いな、と、思う。

 若くて、男にしては随分と美しい。

「……私、は。私は、何もできません。それでも、私を駒として扱いたいのならば、それも、良いでしょう」

「随分物分かりのいいことだ」

「私は、僧でございます。人間などにはどうする事もできない大きな流れがあることを、よく存じておりますので」

「それは、何より」

 未椰の声は震えていた。

 恐らく、自刃したいのだろうと思う。しかし、僧は自ら命を絶つことを、許されていない。

 嶺は神など信じていないから、未椰の信仰心から派生する禁忌は、ただ煩わしい物としか思えない。

 馬鹿馬鹿しいとさえ思うが、それで未椰が、自ずから命を絶たないのならば好都合である。

「ここもいずれ燃え落ちる。さっさと行くぞ」

 嶺はそう言うとその場から立ち去ろうとする。

 そんな彼の後姿を見つめ、未椰は唇を噛んだ。首を切られた苑の姿が、瞼の裏に焼き付いている。

 口では言っても、全てを割り切ることなど不可能だ。苑は、この数年、自分の仕えてきた王で、確かに政才には欠けたが、微笑ましい人物だった。

 ただ一晩で、国は滅んだ。どうすることも出来なかった。策など所詮は机上の空論。なんと無力なのだろうか。

 泣いて縋って全てが思い通りになるのならば、幾らでも醜態を晒していた。

 けれど、そんなはずが無い事ぐらい、痛いほど良く分かっている。

「未椰」

「……はい」

「お前に選ぶ権利は無い。来い」

 自刃が出来ないのならば、殺して貰えば良い。

 そんな思いが脳裏を過ぎった。未椰は懐刀に手を伸ばす。抵抗の意を示せば、嶺の事、怒り狂い殺してくれる、と、思ったのである。

 しかし、嶺は呆れ顔で嘆息すると、簡単に未椰の手に握られた刀を奪い、鳩尾を殴りつけた。

 ぐったりと動かなくなった体を担ぎ上げる。それはまるで木の葉のように軽く、戦場には不釣合いだ。

「愚かな事を考える」

 智略がどれほど優れていても、感情に流されるようでは判断を見誤る。

 使えない、と、思うが、しかし未椰がどれほどの者か、確かめたくもあった。ここで殺すのは、惜しい。

 面倒だと思いながらも、城門付近で待っていた黒毛馬の背に乗せ、その体を抱えて馬を走らせる。

 そして、ふと気付く。

「……女、か」

 道理で、美しい。

 女を上官にするなど、考えられない。苑とは、然程愚鈍ではなかったのかもしれない。しかし、今となってはどうでも良いことだ。

 都は炎に沈もうとしていた。

 酷く、気分が良かった。


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