第17話 追跡

 奏太から緊急で連絡を受けた謙人は、龍司と共に学園の敷地内を爆走していた。


 もちろん、単に人間の力だけで走っているわけではない。そもそも2人は地面を蹴って走っているわけではなく、足は飛行魔法で宙に浮いている。

 そこに飛行魔法による推進力と、龍司の風魔法による後押しが加わって、時速40キロ近い速度で超低空飛行しているのである。従って、「爆走している」という表現は正しくないが、ただ見ただけなら走っているように見えなくもないので、それはそれでいいだろう。

 余談として、現代の平均的な自転車の速度は時速16キロ程度である。それと比べると謙人たちの移動速度は2倍も速いが、これだけの速度を出しても、学園の敷地は異常に広いため、間に合うかどうかは何とも言えない。しかし、どのみちできる限り早く美侑の元に辿り着かなければならないので、こういう手段を取ることになった。


 この方法では龍司に負担を強いてしまうが、そこは戦闘で謙人が頑張ればいいだけだ。天候を操るだけあって、龍司は遠距離での戦闘には強いが、近接戦闘の腕はそこまで高くない。その点、剣術をはじめとする様々な武術を使う謙人は、近接戦闘の腕だけなら学年1位でもおかしくない実力者だ。学園内でも、恐らく理香に次ぐレベルだろう。

 それに、謙人の場合、中距離・遠距離戦闘ができないわけではない。確かに得意なのは近接戦闘だが、雷を放つことはもちろん、術式魔法だってレイランたちほどとはいかなくともそこそこ扱える。だから、龍司が多少消耗してしまっても、美侑を奏太の元に連れて行くだけなら問題はなかった。


「美侑の位置はどうだ⁉」

「多分、教室棟の方向に向かってる!」

 龍司の答えを聞いて、謙人は内心で舌打ちした。謙人たちは図書館から美侑の居場所目がけて移動しているわけだが、教室棟は最初に美侑を探知した特別棟付近から、若干図書館より遠くなる。

「あいつ、単独行動の危険がわかってないのか……?」

「いや、それはないと思う。名家の間じゃ有名だから知ってるだろ、美侑の両親が亡くなった事件は」

「まあ確かに」


 ———霞原真奈実が吸血鬼に殺された。夫と一緒に。

 その一報が舞い込んだ時、日本の魔法界に走った衝撃は計り知れない。しかし、2人の娘である美侑の衝撃はそれ以上だったはずだ。

 対吸血鬼戦闘において、真奈実が持つ絶対的な優位性は誰もが承知していたところだ。美侑だって当然知っていただろう。けれど、その母親が殺されたとなれば、そしてその場に同じく魔法使いである父親がいて、母同様に殺されたとなれば、美侑の中には吸血鬼がどんなものなのか、くっきりと刻み込まれているはずである。

 その美侑が、吸血鬼がうろつく校内で、単独行動。

 両親が同じ事件で殺されたのだから、時と場合によっては、複数の魔法使いでも吸血鬼に遅れを取ることは美侑もわかっているはずだ。危険性がわかっていないはずがないのに、単独行動。

 本当なら、ありえない。魔法使い2人でも敵わなかったという記憶が、美侑には焼き付いているはずだから。

 でも、今日は。今日に限っては。美侑には、彼女がついていた。


「レイランのせいかも。あいつ、貴族相手でもある程度は1人で渡り合えるから」

「それを見て感化されたって?嘘だろおい……」

 あいつそんなに馬鹿だったか?と龍司が呟く。

「美侑は吸血鬼を倒す力を欲しがってる。レイランは実際、そのための技術を美侑に教えてるし、それなりに扱えるようにはなったって話も聞かされた。だから、もしかしたらもしかするかも……」

 謙人は答えた。頼むからそんな馬鹿な理由ではありませんように、と願いながら。




 その後も謙人と龍司は、美侑の音を追い続けた。

 美侑の音は敷地のあちこちを移動していた。おかげで龍司は美侑を追うだけでかなり消耗していたが、敵の数が減って段々と手が空き始めた奏太からも美侑の位置情報が連絡されてくるため、追跡そのものはやりやすい。

 音と魔力、両方からの追跡で分かったことは、どうやら美侑は特定の目標に向かっているのではなく、むしろ何かを探して歩き回っているらしい、ということだった。

 行く方向がまちまちだし、1度通った場所はあまり通らない。それに、龍司曰くひどく慎重に歩いているそうで、足音が拾いづらいとか。時々足を止めることもあるようだから、それが余計に音による探知を難しくしていた。凌太なら追えるのかもしれないが、龍司は本来、吸血鬼と戦う方が得意なのであって、追跡技術が高いわけではないのだ。


 龍司たちが幼い頃から、吸血鬼絡みの重大事件が起きた時は、まずは東京の一条家か名古屋の深瀬家に捜索を依頼しろと言われていて、探知やら追跡やらは基本的に彼ら任せだった。海堂家の本拠地が東京からも名古屋からもすぐに行ける浜松にあることも理由だろうが、吸血鬼を追跡しなければならない事態が発生した時はまず深瀬家へ、無理なら一条家へ連絡を入れて、誰かしらに追跡してもらうのが日本魔法界の常識である。とはいえ、基本的に一条家は日本の最大戦力として関東近郊をあちこち飛び回っていることが多いので、専ら深瀬家へ連絡が行くのだけれど。

 ただ、ここ数年は、深瀬家本家の姉弟2人が魔法学園に在学していることもあって、ついこの間まで中学生だった奏太はともかく、大学生のゆりあには個人で追跡依頼が入ることもあるようだった。というか実際、一条家もゆりあ個人の能力を頼って吸血鬼を追跡したことが何度かあるのを、謙人は知っている。


 美侑と一緒に行動していたはずのレイランは、奏太のところにも連絡を寄越していないようだった。仮に貴族の吸血鬼を相手にしているとしても、レイランが遅れを取ることなどありえないから、まさかとは思うが敵を尋問でもしているのだろうか。

(ま、レイランが負けるなんて、天変地異よりも起こる確率低いと思うけど。あれはあれで、やるべきことをやってるんだろうしなぁ……)

 一条家の分家の由良家の人間として、使用人兼配下の一族として、謙人は一条家の裏事情にまで精通している。普通は一介の高校生に裏事情など明かされないだろうが、謙人は次期当主と定められたレイランと同い年で、昔からレイランの遊び相手やら護衛やらを務めており、将来的にはレイランの側近になるとされる立場にあった。よって、彼女のことはよくわかっている。


 レイランは吸血鬼相手に何度も戦い、生き残った魔法使いだ。吸血鬼の恐ろしさも対処法もよく知っている。だから、美侑を単独行動させるとしたら、吸血鬼と美侑が遭遇するリスクまで全て踏まえて、何かメリットがある場合だけだろう。

 最初に考えられるのは、よほど面倒な相手に出会ってレイランが美侑を逃がした場合。だが、単に逃がされたはずの美侑が何かを探すような事態はありえないだろう。

 あるいは、何かが起きて、美侑をその場から遠ざけざるを得なかった場合。だが、これまた美侑が何かを探すような行動をするはずがない。美侑ならすぐに教室棟の屋上目指して走っているはずだからだ。

 その他に考えられるのは、レイランが手を離せなくなって、美侑に探し物を依頼した場合。だが、果たしてそんな事態が起こり得るのだろうか……。


 なお、この時点の謙人はもちろん、敷地全体に敷かれた魔法があることは感知済みだ。しかし、それだけの情報で、レイランが美侑を逃がした本当の理由がわかるわけがない。美侑ならば「レイランが吸血鬼を引き付けている間に、自分が通信術式を壊すために動いている」と答えられるけれど、その解答を導き出すには吸血鬼たちの目的まで考えに入れておかなければならないため、謙人には出しようのない答えだった。


「……止まった?」

「何が?」

 突然、龍司が呟く。謙人は半ば反射的に問い返した。しかし、龍司の返答を聞いて、ピクリと肩を揺らす。

「松本の足音」

「え……?じゃあ、何かを見つけた、ってことか?」

「多分。でも、ここは……」

 眉をひそめた龍司が、おもむろにスマホを取り出した。連絡先を呼び出して、誰かに電話を掛ける。高速移動中でも電話ができるのは、自分の周りにだけ周囲の音を遮断する障壁を展開しているからだ。そのせいで謙人にも電話の内容が聞こえないのだけれど。

 短い会話だけですぐに電話は切れ、龍司が謙人の方を見た。

「奏太に連絡して、大体の位置だけ伝えた。詳細な位置は向こうで特定してくれるって」

「奏太に頼めるなら、それに越したことはないな」

 謙人は頷いた。吸血鬼の数が減ってきたことで、奏太の手が空きつつあるのだろう。


 こういう、拠点襲撃のような場合の奏太の役目は、敵の位置を正確に捉えて味方に伝達すること、味方の位置を正確に把握して指揮に役立てることだが、今の奏太は敵の位置を捉えることにその能力の大半のキャパシティを割り振っている。

 味方、というより守らなければならない人間はとっくに校舎内に避難していることは自分で確認しているし、共に戦っているという意味での味方は全員、魔法家系出身の生徒、あるいは優れた大人の魔法使い。美侑は例外としても、残る面々はある程度単独行動しても問題ないような者ばかりだ。わざわざ探知して危険を知らせるまでもない。

 美侑の安全を確保するために、奏太は美侑が単独行動を開始した時点で美侑と謙人、遥の位置を探知したようだが、美侑の居場所を探る際、奏太は「本気」で探知を行っている。正確には「美侑の周囲の吸血鬼」を本気で探知したのだけれど。

 本気の奏太の探知能力であれば、確実に信頼できる。深瀬家の本気の探知から逃れられるものは、まずいない。


 やがて、龍司のスマホがブルブルと震えた。奏太からの着信だ。緊急連絡が入った時のためにと、レイランを筆頭に、名家の出身者は授業中だろうとスマホの着信音をONにしていいことになっているが(謙人もその恩恵を受けている1人だ)、龍司は戦闘に入るにあたって、きっちり着信音をOFFにしておいたらしい。着信音のせいで敵に自分の位置がバレることもあるので、当然と言えば当然のことだけれど。

「もしもし。

 ……了解。そっちに向かう」

 今度もまた、短い通話だった。それだけ言って電話を切った龍司が、謙人を見る。

「どうやら松本が探していたのは遥だったみたいだな。奏太が言うには、遥が戦っている場所のすぐ下にいるそうだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る