第12話 力を持つ者たち

 美侑が屋上に丸まっていたのは、レイランの推測通り、両親を殺した吸血鬼のことを思い出したからだ。映像記憶のレベルでその光景を覚えている美侑は、決してその光景を忘れることができない。

 ある意味呪いだ。それも、生きている限り続くという最悪な部類の。


 その呪いは絶対に解けない。だから、その呪いの元凶、吸血鬼を倒せるようになろうと美侑が考えるのも当たり前だ。両親を殺した憎むべきものであり、自分のような子供を作らないようにしたいというのも美侑の本心だが、自分自身の呪い、恐怖の源を退治してしまいたいというのもまた本心。

 それゆえに、美侑は力を求めた。吸血鬼に対抗しうる力、魔法を。

 自分の恐怖に勝つために。

 魔法が使えれば、吸血鬼など恐れなくてもよくなる。

 でも、美侑は魔法使いとしても中途半端で、出来が悪かった。これでは、吸血鬼を恐れなくていい、というわけにはいかない。



 だから、守ってもらうのか?みんなの方がずっと強いから。

 違うだろう。怖いから、ただそれだけの理由で、魔法の力を求めたのか?


 誰かの声が聞こえた。

 知っている人の声のような気もするし、知らない人の声のような気もした。

 でもこれは、自分の心の声だ。自分はそんなに臆病な人間だっただろうか、と言われている。


 力を持たない人間ならいい。でも、今の松本美侑はただの人間じゃない。中途半端だろうが、魔法使いだ。

 レイランも奏太も認めた《魔力流》の能力があるのだから、ただの人間ではなくて魔法使いだ。

 魔法は、力だ。自分を守るための、吸血鬼を倒すための、力なき者を守るための力だ。

 その力は、誰が望んだものだ。自分で選んで受け取った力だろう。ならば、この状況でやらなければならないことは何だ。


 心の声が聞こえる。力持つ者の責務とは何か、問う声が。



 聞き覚えのある声が何か言っているのが聞こえる。

(みんな、戦ってる)

 それぞれの方法で戦っている。自分のできることをやっている。

「———だから、私とレイランどちらかが残る必要があるなら、私が残る。行ってきて」

 遥の声だ、と気がついた。彼女も戦っている。自分にできる方法で。

 だから、自分も立ち上がらなければならない。

 美侑はゆっくりと腕をほどいて、ふらつきながら立ち上がった。

「———わかった。美侑はここに残していくしかないか……」

 レイランも遥も、美侑の方を見ていない。だが、こちらに気づいた奏太の目が一瞬大きくなった後、彼は微笑んで頷いた。

 それに小さく頷き返して、美侑は声を上げた。

「待って、レイラン」




「美侑……」

 レイランは驚いたように美侑に向かって振り向いた。

「大丈夫。私も、行くよ。戦える」

「……大丈夫?こんなこと言うのもあれだけど、吸血鬼を前にして怖がられたら、私だってちゃんと守れる保証はないよ?」

「行く」

 レイランに念押しされたが、美侑は言った。

「確かに怖いけど、私は吸血鬼を倒すために魔法使いになったんだから。レイランたちみたいに生まれつき決められた道じゃなく、自分で選んで力をもらった。なら、戦わなきゃ、力をもらった意味がないよ」

「そっか。……なら、一緒に行こう。さっき探知した相手のところにね」

「探知した相手?」

 美侑は首を傾げた。

「奏太の探知にかからなかった2人のうちの1人。貴族の吸血鬼だったよ」

 美侑は目を見開いた。


 吸血鬼はいくつかの階級に分かれている。基本的にはその強さと血統によって階級が決められるため、貴族階級の吸血鬼は一般階級の吸血鬼より強い。

「———爵位は?」

「一瞬だったからわからないけど、たぶん子爵」

 そして、貴族といってもピンキリだ。最上位の公爵から最下位の男爵まで、5階級に分かれている。

 子爵はそのうち下から2番目だ。美侑にとっては全くもって侮っていい相手ではないが、吸血鬼の最上位に位置する最も強い吸血鬼は、1人を相手するのにかなり強い魔法使いが束になってかからなければすぐに全員殺されると言われているので、それと比べたらずっとマシだ。


「初めて戦うのが貴族なんて、贅沢だね」

 顔を引きつらせながら美侑は言った。

 吸血鬼を捕らえるのは難しいため、訓練では教師が身体強化魔法を使って吸血鬼役になるが、吸血鬼は身体能力の高さと魔法能力の他にも、爪を伸ばすなどの独自の特殊能力を持つ。それだけで初見では対応が難しいのに、更に普通より強い貴族の相手などできない。すぐに殺されるのがオチだ。

「そうだね。まあ、私がついてるから大丈夫。よほどの相手じゃない限り、フォローには入れるから心配しなくていいよ」

 レイランが苦笑して美侑に近づき、その肩を叩いた。


「行くよ。美侑、特別棟の屋上まで飛ぶから、こっちの手握ってて」

 そして真面目な顔になると、美侑に左手を差し出す。

「また飛ぶの⁉」

 ヒェッ、と思いつつ、美侑はレイランの手を握った。

「当然。戦闘中の、しかもこんな立体構造の戦場での移動方法なんて飛行しかないよ。あ、狙撃には注意してね」

「ええっ⁉」

 最後に恐怖の一言を付け加えてから、レイランは美侑の手をぎゅっと握り返した。美侑の顔は引きつりすぎて、明日は表情筋の筋肉痛でも起きそうだ。

「それじゃ行くよ。3、2、1、0!」

 レイランがカウントダウンの0と共に屋上を蹴って空中へ飛び出した。レイランの手を握っている美侑も、空中に浮かび上がる。

 そのままレイランに手を引かれるようにして、美侑は生徒会室のある教室棟から特別棟の屋上に移動していった。



 *****



 一方その頃、別方面でも動きがあった。


「そりゃっ!」

 空中で剣を振りかぶり、吸血鬼をバッサリと袈裟懸けに斬った男子生徒。レイランのもう1人の幼なじみである由良謙人が、ちょうど吸血鬼を倒した。

 そこへ水弾が飛来する。

 空中で器用に謙人は身をかわした。水弾は謙人ではなく、謙人の脇を通り抜けて、彼が倒した吸血鬼の頭に命中。超高圧の水によって、脳幹が破壊される。


 謙人は水属性の適性を持たない。それどころか、謙人が持つ適性は雷だけだ。ゆえに、この水弾を放ったのは彼ではない。

「龍司か」

 水弾で脳幹を破壊できる魔法使いとなると、謙人の頭には1人しか浮かばなかった。レイランや奏太も同じことができるはずだが、こういう場合にレイランが使うのは狙い定めが簡単で狙撃のタイムラグもないレーザーだし、奏太は状況把握のために生徒会室にでも詰めているだろうから、消去法で海堂龍司1人に特定されるのだ。


「謙人、大丈夫か?」

 下から声がかかる。

「大丈夫。仕留めてくれて助かった」

 謙人は首を振って、地上に降りた。その途中で剣を鞘に収める。

 予想通り、下で待っていたのは海堂龍司だった。謙人たちの学年における、唯一の四聖家本家の出身者にして成績第3位。レイランと奏太に次ぐ実力者。

 オールマイティなレイランとは違い、龍司は特定の分野において突出した能力を示す魔法使いだ。水、風、氷、雷……。ざっくり言えば、龍司は天候を操ることに長けた魔法使いなのである。範囲は限られるが、夏に雪を降らせたり、自分の上にだけ雨が降らないようにしたりできるのだ。

 その基本となるのは水属性で、海堂家の魔法使いは大半が水属性の適性を持って生まれてくる。龍司はそこそこ珍しい4属性の適性持ちだが、この4属性は海堂家が得意とする属性でもあった。龍司の姉妹たちも、多かれ少なかれ4属性のどれかの適性を持っている。


「さっき奏太から連絡もらったんだ。暇だったら謙人の手伝いしてくれって」

「別に1人でもどうにかできるけどなぁ……」

 不満げに眉を寄せると、龍司に肩を叩かれた。

「行くぞ。奏太の話だと、探知できなかったのが2人いるらしい。一方はレイランが視覚情報で探知して松本を連れて討伐に行ったけど、もう1人が見つかってない。俺たちはそっちの捜索と討伐要員だ」

「なるほどね、了解」

 理由を聞かされて謙人は納得した。そして、妙な人名が混じっていたことにふと気づく。


「———で、なんで美侑がレイランと一緒に討伐に行ってるんだ?レイランに聞いた話だと、まともに魔法使えないらしいけど、本当のところはどうなのさ?」

 龍司もレイランや美侑のクラスメートだ。謙人はレイランに頼まれて様子を見ていたとはいえ、他クラスの生徒なので実技の成績の真偽についてはわからない。そこで実技の授業の様子を見ているであろう龍司に尋ねてみたのだが。

「え、そうなのか?」

「おいクラス同じだろお前」

 びっくりしたような顔でこちらを見る龍司に、思わずツッコミを入れた。いやいや、クラスが同じなんだから知っていてしかるべきだろ、と思ってから、そういえばと思い出す。

「あー……龍司は実技ボイコット組か。お前のとこ、なんでか生まれつき組多いもんな」

「ああ。一緒に何人か実技の授業は出てないぞ」

 当然のように頷く龍司に、内心謙人は頭を抱えた。


 龍司は四聖家直系ということもあり、高校に入ってからは、家から学年5位以内に入るようにと言い渡されている。未成年では日本最高峰の魔法使いと名高いレイランや、天才と言われるゆりあの弟である奏太がいるからとこれでもハードルは下げられているらしいが、それにしたってまだまだ高すぎる。

 幼なじみの目から見てもレイランと奏太のバケモノ具合は凄いので、あれを越えられる同期の魔法使いがいるとは正直思えない。とすれば、龍司が取れるのは最高で学年3位まで。つまり、5位以内に収まるにはあの2人を除いて上位3人に入らないといけないわけで、それはきつい。


 幸いというべきか、同期に名家の直系はレイラン、奏太、龍司、遥の4人しかいないので、実技成績は基本的にこの4人が上位4位を占める。しかし龍司は総合成績での5位以内を課されているので、実技成績にだけ胡坐をかいてはいられない。それで、実技の授業が基本的なことしかやっていない間は図書館に籠って勉強しているのだろう。レイランと奏太の筆記試験の、異常と言えるほど高い点数は龍司も知っているはずだが、それでも2人に追いつこうとしているのだ。

 そんなわけで、龍司は担任公認で実技をボイコットしているわけだが、そのせいで彼は美侑の実技成績を知らなかった。本人も他人との関わりがそこまで好きではないため、友人もそう多くない。クラス内で彼とまともに話せそうなのはそれこそ中学の生徒会で一緒に働いていたレイランと奏太くらいのもので、次点で生徒会室によく現れていた美侑本人か。全員、美侑の魔法の問題については自分たちで解決しようとする人種なので、龍司に声を掛けなかったのもまあ、わかる。


「———まあとにかく、美侑は魔法が使えないらしい。それを戦場に連れ出すなんて、レイランも何やってるんだか」

「特に奏太は何も言ってなかったけど……。いくらレイランがいるとはいえ、ただの命取りだろ、それは」

 謙人のぼやきに龍司が応じる。

「どうなんだろうな。1人くらいなら守って戦えるってことなのかもしれないし、実際それができるのは知ってるけど。最悪の事態とか想定してないのか?」

 奏太の探知から逃れた吸血鬼が2人ともレイランたちの方に行くことを想定して謙人は呟く。

「———それを補うために、俺たちがもう1人の捜索を任されたのか?」

「あり得るな……」

 龍司がふと気づくと、謙人もその可能性に思い至った。


 レイランが少々無謀なことをやっていると奏太が気づいてフォローに入ったのだろう。レイランは頭の回転も速いし戦闘力も高いが、戦えない人間を戦場に連れ出す荒療治をやろうとするのはまずいと思う。そういうところは、一般人の感覚からずれてしまっているのだ。普段は奏太がずれた部分の軌道修正役を請け負っているが、この状況ではそういうわけにもいかなかったのだろう、と謙人は推測した。


「どうせ、『私がいるから大丈夫』とでも思ってるんだろうけど。奏太の探知から消えたやつがいるなら、最初から探知を外れてるやつがいるかもしれない、とは思わないのかね……」

 ……いやまあ、本気のレイランならそれでも大丈夫かもしれないし、美侑がいなければどうにでもできるだろうが。

 何せ、レイランは同世代最強の中・遠距離戦闘魔法使いだ。敵に見つかりさえしなければ、レイランはすぐさま敵を殺すなり失神させるなりして無力化できる。そして、魔力での探知能力も、奏太には及ばないとはいえかなりできるし、視覚での探知も可能とくれば、敵が自分を見つけるより先に自分が敵を見つけるくらいは容易い。

 しかしそれでも、戦えない美侑が一緒にいることにはそれ相応のリスクが伴う。どうするつもりなのやら。


「でも、【黄昏の魔法使い】だからなあ……。どうにかするだろ……」

 謙人はぼやいた。

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