第10話 学園襲撃事件

「レイランどういうこと?実戦って、まさか私も戦うの⁉」

「当然でしょ!」

 生徒会室を飛び出して廊下を走りながら美侑が尋ねると、短く答えが返ってきた。

「1週間も練習してたんだから、最低出力の《魔力流》は扱えるようになってるでしょ?隙を見て敵に当ててくれるだけでいいから!あと、術式の判別もしてもらえると助かる!」

「ええっ⁉」

 美侑はぎょっとした。

「私まだ、魔力もちゃんと見えてないよ?術式の判断なんて無理だよ!」

「それでも一部とか、全体の形とかからである程度わかるでしょ!

 美侑は、あの霞原真奈実まなみの娘でしょう!」

「っ……そうだけどさ……」


 美侑の母親である松本真奈美———旧姓・霞原真奈実は、かつて霞原家の次期当主にと言われた逸材だった。

 魔法の実力もさることながら、真に特筆すべきはその頭脳。新たな術式を戦場で編み出す、術式に対する深い知識と応用能力。そして、敵が使う術式魔法の読み取り。

 術式が形を成してから魔法が発動するまでにかかる時間は、長くても2秒。それも、かかる時間の長い術式に限った話であり、短ければコンマ2秒程度で術式は魔法として効果を発揮する。そのため、仮に敵の術式を読み取れたとしても、魔法として現れる前に術式を読み取れなければ実戦では先読みとして使いようもなく、かつては不可能とされた先読み技術だった。

 しかし、真奈実はなぜか、この先読み技術によって敵の先手を取ることを得意としていた。彼女の死後、実戦での術式の先読みができる者は誰もいないが、彼女の実の娘である美侑ならば、もしかしたら可能性があるかもしれない、とレイランは考えたのだろう。実際、魔法の適性や素質は遺伝するのだから、美侑が実戦においても術式魔法の読み取りを行い、敵の行動・攻撃を知ることができる可能性はある。


 だが、美侑は先天的な魔法使いではない。レイランたち先天的な魔法使いは、小学生になる頃には魔法的な感覚でものを見る、すなわち魔力を見る力はかなり発達していて、わざと発動しないように作った術式ならば、細かい部分まではっきりと見えるらしい。しかし美侑は魔法使いになってからまだ2ヶ月も経っておらず、魔力は見えるものの、術式のように細かいものは見えないのだ。

 レイランの言うように、術式の全体の形くらいなら見える。だが、美侑の頭に詰め込まれた術式の知識は膨大であり、全体の形がわかったところで術式の特定は不可能だ。おまけに大抵1秒以下で消えるそれを瞬時に判別して警告するなど、どう頑張っても無理としか思えない。


「無理だとか考えないの!魔法はイメージに左右されるんだから、自分が無理だと思ったらできなくなる!」

 美侑の思考を読んだかのようにレイランが叱った。びくり、と美侑の体が揺れる。

(そうだ。いつも言われてる。レイランも奏太も、口を揃えて言ってる)

 ———魔法はイメージと理論でできてる。魔力関係のことはイメージに左右されがちだから……。

 ———魔法はイメージが元になってる。もちろん適性の問題もあるけど、最後に魔法の性質や威力を決めるのはイメージだよ。

(最後に頼れるのは自分自身。自分のイメージ。できることもできなくなる…)

 そこまで思考が及び、美侑は言った。

「……わかった。やれるだけ、やってみる」

「良かった」

 レイランが薄く笑った。全力疾走ではないにせよ、走りながらなので表情はよくわからなかったが、多分笑った。


 そしてしばらく2人で廊下を並走し、敷地を囲む壁が見える窓まで到達した。

「あれだ!」

 窓越しにレイランが指した先、爆破されて壊された壁のすぐ近くで、何人もの人間が見える。否、あれは人間だけなのか。

 火花が散った。水弾が飛んだ。鎌鼬がその刃を振るい、地中からは手が伸びる。

「……魔法戦闘」

 すなわち、あそこにいるのは人間だけではない。———人間、正確には魔法使いと吸血鬼。

 魔法を使えるのは、人間だけではない。吸血鬼もまた、魔法を使える。人間と同じものを。

 魔法使い同士の戦闘など、吸血鬼という脅威が存在する以上、それを殲滅せんめつするまでは起きようもない。すなわち戦っているのは人間と吸血鬼。


「……ちょっとやってみようか」

 ガラリとレイランが窓を開ける。そして再度、窓の外に人差し指を向けた。

 レイランの指先に光が灯る。

 次の瞬間、一筋の光が空中に軌跡を描いた。その光が下にいる誰かに命中する。

「……まずは1人」

 レイランが呟いた。




 いくら吸血鬼が人間より頑丈とはいえ、貴族階級、それもかなり上位の吸血鬼でもない限り、さすがに脳幹(脳のうち、間脳、中脳、延髄、橋の総称)を潰せば即死する。

 実戦を経験してきたレイランにとって、それは常識だ。

 そもそも脳幹が吸血鬼にもあるのか、という話にもなりそうだが、吸血鬼の体の構造は人間とそこまで変わらない。それでなぜ人間の数倍の身体能力や自己再生能力があるのか疑問だが、どうやら魔力のせいらしい、というのが50年ほど前の結論である。

 脳幹を潰しても死なない、もっと強い吸血鬼なら、体全部をバラバラに砕くか、脳幹の他に脳のいくつかの部分と心臓を潰せば大体死ぬ。そこまでの敵に出会ったことはないが、一応それも知識として知っている。


 だからこそ、余裕がない時はともかく、遠距離から敵を狙う場合は脳幹を撃ち抜くのが一番手っ取り早い。

 ただ、一定以上の威力がなければ頭蓋骨を破るのは不可能な上、この状況では味方に当たりかねない。

 そこで活躍するのはレイランが得意とする光属性の魔法。光が地球上で何よりも速いというのは、いくら世界に魔法があろうと変わらないことなのだから、脳幹を撃ち損じることもない。


 指先で狙いをつけたレイランは、探知魔法によって吸血鬼と判断した者の頭と指先が重なった瞬間、指先に光を灯してレーザーのように撃ち出した。

 光が吸血鬼の頭に到達するまではほんの一瞬。

 レイランが魔法を放つのとほぼ同時に、指先が向けられた吸血鬼の頭から血が噴き出した。そして吸血鬼が倒れる。

 その魔力を感知できなくなったことを確認してから、レイランは呟いた。

「……まずは1人」


 だが、1人倒したところで意味はない。奏太の探知魔法にかかったのは30人なのだ。ここから視認できる吸血鬼は5人しかいないのだから、倒した者を除いて残り24人がまだどこかにいる。

 まあ、敵の位置については特に心配する必要もないだろう。凌太と奏太の2人が屋上に立って探知しているなら、敵を捕捉できないはずがない。

 問題は、敵を捕捉できたとして、そこに戦える魔法使いがいるかということだ。屋上から生徒会室まで連絡が行って彩香が放送してくれるとしても、到着には少々時間がかかる。そういうことも見越して実戦経験済みのメンバーは動いてくれるはずだが、放送で名家出身のメンバーを投入したとして、そこまで人数は多くない。とにかく早く移動する必要がある。


「ここは味方がいるから問題ないね。———美侑、ちょっとごめんね」

 レイランは先に謝ってから、自分に身体強化魔法をかけ、美侑を横抱きにして持ち上げた。———つまり、美侑をお姫様抱っこしているわけだ。

「え?ええ?」

 困惑した表情の美侑をよそに、レイランは冷静に思考する。

(ここから……は難しいかな。1番近い非常口は———あそこか)

「美侑、走るから気を付けて」

「え、あ、うん?」

 一応了承を取り付けて、レイランは美侑を抱えたまま廊下を疾走し始めた。身体強化されているため、その速さは常人のものではない。当然、抱かれている美侑も悲鳴を上げる。

「きゃあああああーーーー!」

 美侑の悲鳴の尾を引きつつ、廊下からレイランが飛び込んだのは、とある教室。しかし、教室に入っても速度は緩めず、机の上に飛び乗り、机を飛び石のように渡って教室を斜めに移動し、入ってきた場所とは逆の窓側へ。そのまま目の前のガラスの引き戸を魔法で開けてベランダに出た。

 ベランダに出たレイランはそのまま飛行魔法を発動。美侑を抱えたまま空中に飛び出した。

「うぎゃあああああーーーっ!」

 今度は悲鳴というより絶叫じみた声をあげる美侑だが、レイランはそれに構わず、空中を上昇。一気に屋上へ到達し、柵を越えて屋上に降り立った。


「何かと思ったら……。吸血鬼にやられたのかと思ったよ」

 既に屋上にいた奏太がスマホ片手に呆れ声で言った。生徒会室で別れたばかりの凌太の姿もある。彼もスマホを利き手で操作している。途中からレイランの魔法で一気に移動してきたとはいえ、レイランが吸血鬼を倒した分、彼らより遅くなったのだろう。

「絶叫マシンとか、平気な部類だったと思うんだけど……」

 そこで初めて、レイランは抱っこしたままの美侑を見た。


 レイランだって魔法使いとはいえ、中身はまだ高校1年生、子供である。そんな彼女が友人と遊びに出かけたいと思うのは当然のことで、その行き先が遊園地なのもよくある選択の1つだろう。ましてや、魔法使いになれなかった友人を、一時的にでも失意の淵から引っ張り上げるための気分転換に連れ出す先としては。

 だからレイランは、中学を卒業した春休みに、美侑を遊園地に連れ出している。その時に、美侑が絶叫マシンに乗っても平気な人種であることはわかっているのだ。

 横抱きにされて抱えている人間に走られるのはまだしも、飛行魔法での上昇は絶叫マシンと似たようなものだ。それなのに絶叫を上げられたので、実のところレイランも少々困惑気味なのだった。


「———いきなりやられたらそりゃびっくりするでしょ⁉」

 レイランに見つめられた美侑がいきなり叫んだ。

「それにね、こっちは初めての実戦なの!確かに叔母さんから散々話は聞かされてるけどさ、いきなり吸血鬼が来るとか……吸血鬼来るとかさ……」

 そのまま叫び声が続くかに思われたが、次第に鼻が詰まったような声に変わった。

(あー……無茶しすぎた)

 レイランは苦い顔になりながら、美侑を屋上に下ろした。その場で美侑が体育座りで丸まる。顔は膝にぎゅっと押し付けられ、表情はよく見えない。腕も脚を締め付けていた。


 吸血鬼が来る、というのは、美侑にとってはトラウマそのものだ。かつて美侑の両親が吸血鬼に殺されたのは、吸血鬼による襲撃から一般人を守るためだったから、美侑の中で「吸血鬼が来る」=「守らないといけない」=「身近なところから死人が出る」という図式が成立しているのだ。それは、吸血鬼が来ただけで怖くて泣きそうになるのも当然だった。

 何せ美侑は、吸血鬼を退治するために吸血鬼に向かっていった両親と、その向こうに牙をぎらつかせた吸血鬼という光景をくっきりと覚えている。霞原家の常として、一族の血を引く者は術式魔法の扱いと共に、術式を記憶するための優れた記憶力も遺伝的に受け継ぐ。先天的な魔法能力がなくてもしっかり受け継がれたその記憶力によって、美侑は未だに自分が最後に生きた両親の姿を見た時の光景を忘れられないのだ。

 ふとした時にくっきりと蘇るその光景が、これまで美侑を吸血鬼討伐の目標に向かわせていたものでもあるが、同時に美侑の恐怖の象徴でもあった。


「……美侑はしばらくそこにいて。実戦に来てもらった方が早いと思ったけど、この調子じゃ学校を守れない」

 レイランは丸まったままの美侑にそれだけ声をかけると、奏太に目を向けた。

「奏太、捕捉できてるのは?」

「今のところ25。死んだのが3」

 最初に奏太が言った人数から2人減っている。つまり、奏太が探知してから2人、殺されたわけでもなく魔力が消えたということ。

「……少なくとも2人は、探知魔法から逃れるスキル持ちか。凌太先輩の方はどうですか?」

「今のところ、奏太が探知できなかった2人の行方はわからない」

 凌太も首を振った。

 魔法的な探知で網にかからず、音でも探知不可能。ならば、採れる手段は限られてくる。

「隠蔽能力が切れるのを待つか、光か熱か……」

 はあ、とレイランはため息をついた。隠蔽能力が切れたその瞬間に探知する程度なら奏太はいくらでもやってのけるが、能力が切れるまで待っているわけにもいかない。

 となれば、光属性の高い適性を持つ魔法使いの出番だ。現在、学園内でそれに該当する人間はわずか2人しかいないが、そのうち1人はレイランだからそんなに問題ではないだろう。


「……奏太、ハルはどこ?」

「遥?あーっと、戦闘中だねこれ……」

 レイランが尋ねると、奏太が答えた。奏太の探知能力ならば、慣れた人間なら魔力の質を感知し分けることで個人を特定できる。奏太がある程度捜索対象の魔力に慣れていなければ使えないが、知り合いを探し出すなら奏太に頼むのが手っ取り早いのだ。

「じゃあ頼れないか。とりあえず、高校側に絞ってやってみますかね……」

 レイランは目を閉じた。そして、

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