第9話 破られた平穏

 そんなことがあった週末もあっという間に過ぎていった。

 レイランは土曜日は学園に戻ってこなかったが、日曜日の昼過ぎに疲れた顔で帰ってきた。何でも、吸血鬼が行動を起こしたのが日曜日の午前1時だったため、まともに寝ていなかったらしい。

 レイランはその魔法適性上、暗闇でも「動ける」魔法使いだ。そのため、精鋭揃いの一条家とその手勢の魔法使いの中でも夜間戦闘には随一の能力を持ち、中学時代から深夜も戦っていたそうで、今回はその延長のようなものだった。

 レイランと一緒に、一条家の分家かつ使用人家系でもある由良家出身の由良謙人も土曜日に学園を出たそうで、レイランから遅れること数時間、夕食の時刻になって寮に帰ってきた、と奏太が教えてくれた。美侑も謙人とはレイランを通して面識があるが、中学時代にクラスメートだったわけでもないので、そこまで詳しく知っているわけではない。それでも知らない仲ではないので、奏太も教えてくれたのだろう。

 さすがにその状態のレイランに練習を見てくれとは言えなかったので、日曜日の練習も奏太に頼んだ。

 そこに理香まで来てくれたのは意外だったが、彼女もまた、学生レベルでは最高峰の魔法使いの1人。彼女は特に助言をするでもなく、見学しているようだったが、もしかしたらいざという時のために待機していたのかもしれない。




 月曜日には魔法実技の授業はないので、美侑も気が楽だ。他の科目なら大抵上手くこなせるし、そもそも魔法に理論や技術としての性質を持たせられるのが術式魔法だけなので、魔法理論の授業は多くが術式魔法を扱う。

 本家とは長らく交流がないが、美侑は術式魔法研究の権威・霞原家直系の血を引く人間であり、術式の暗記や性質の把握は幼い頃から両親と叔母に教えられている。もう少し魔力が見えるようになれば、使われた術式の判別もできると自分で思える程度には、理論分野には自信があるのだ。

 この分野に限ってはレイランたちの助けは不要だし、もしかしたらレイランたちに教えることすら可能かもしれなかった。———知識としては大量に持っていても、自分が一切使えない魔法である、というのは非常に残念だが。

 自分自身で使えないものを幼少期から叩き込まれて育つなど時間と労力の無駄のように思えるが、両親はどうやら美侑を術式魔法の研究者として育てるつもりだったようで、もし両親が殺されずにいたなら、美侑は2人が思う通りの道を歩いていただろう。その場合、暗記も性質の把握も一切無駄にはならない。むしろ、役に立っていただろう。

 そんなわけで月曜日はごく普通に過ぎていった。

 そして、それからちょうど1週間後、7月1日月曜日。

 大事件が起こったのは、その日だった。



 *****



「一昨日から3年生いないし、ちょっとだけ平和そうだね」

「それ言っちゃだめだよ」

 昼休み、入室した生徒会室の様子を見た美侑の第一声を、レイランがたしなめた。それを聞いていた凌太たちも苦笑している。

「まあ、生徒会室が騒々しいのは基本、会長と山本先輩のせいだから。会長何かやらかして、山本先輩がそれのフォローに入る時に愚痴言って、それに会長が反応して…みたいな調子でさ。

 それでいて、本当に何かあった時は会長は判断ミスなんてしないし、山本先輩も的確に補佐と参謀役やるから凄いんだよ、あの2人は」

 凌太がパソコンをカタカタといじりながら言う。

「そういえば、会長はともかく、どうして山本先輩もいないんですか?確か、3年生がいないのって、吸血鬼討伐の手伝いを頼まれたからじゃありませんでした?」

 美侑は首を傾げた。


 一昨日から3年生の魔法科所属の生徒たちは、吸血鬼討伐部隊の要請を受けて学園を出て、首都圏の各地に散っている。

 さすがに都内は一条家と討伐部隊が二重に目を光らせているため人手は足りているようだが(そうでなければ3年生より先に、仮に授業中でもレイランが呼び出されているはずだからだ)、一条家が監視しているのは東京都内の他は、せいぜい神奈川の東部と千葉の西部、埼玉の南部くらいまでだ。その他の地域の監視は討伐部隊と他の家に任せている。他の家は手勢が足りないわけではないが(むしろ一条家の方が手勢と呼べる魔法使いは少ないだろう)、何せ魔法使いの質が違いすぎて、吸血鬼を追跡し続けるのが困難なのだ。

 それならば、理香を筆頭に優秀なメンバーが揃っている3年生を投入して、訓練ついでに吸血鬼の捜索と討伐をさせた方が一石二鳥である。そのせいで3年生が出払っているわけだが、それは魔法科に限った話であって、普通科所属の雪弥には関係ない話のはずだった。


「あー、そうなんだけどさ。山本先輩、頭の回転早いからって、吸血鬼討伐部隊の作戦司令部に声掛けられたみたいで……」

「ええ⁉

 ……それってつまり、司令部からスカウトされたってこと、ですよね……?」

 凌太の言葉を聞いて思わず大声を上げた美侑だったが、一転声を潜めて囁き声で尋ねた。


 魔法学園高校の卒業生の場合、進路には討伐部隊が含まれており、討伐部隊に配属される場合は情報漏洩の防止目的でその配属先は同じ配属先になった同期にしか明かされない。おまけに雪弥の場合、声を掛けられたのは討伐部隊の作戦立案・指揮を担う作戦司令部であり、機密度合いが他の部署と比べても跳ね上がる。そんな情報を大声で話すわけにはいかない。


「そういうことだね。先輩本人は、もし部隊に行くにしても大学出てから、とは言ってたけど……」

 凌太が心配そうな表情で囁き返す。

 魔法学園大学の学生の中には、優秀ゆえに卒業前から討伐部隊の予備役となっている者が少なからず存在する。理香やゆりあのような名家の魔法使いは、自分の家の監視領域を守る仕事もあるので予備役の対象にはなりにくいが、雪弥は名家の出身というわけではないので、将来は縛られていない。大学生のうちから予備役として研修なり模擬戦の指揮なりを任される可能性がないとは言えなかった。


「山本先輩のことだから、自分で切り抜けそうだけど。あれだけ頭いいんだし、理由はいくつか考えてから行ってると思う」

 領収書の書類を漁っている杏奈が呟いた。

「聞こえてたのか。

 実際、杏奈の言う通りだとは思うけど、やっぱり心配だろ?」

他人ひとの将来より自分の将来心配したら?凌太くんは名家の人だから関係ないのかもしれないけど」

「他人ってね……。先輩だよ、他人じゃない。

 で、俺の進路はどのみち風見家当主しかないから将来どうこうは関係なし。レイランもそうだけど、こういう時一人っ子は嫌なんだよなあ……。りゅうや会長が羨ましいよ。当主にならなくて済む道があるんだから」

 凌太が杏奈の冷たい物言いを窘め、それが自分の愚痴に変わる。


「私はもう仕方ないので割り切りました。妹か弟増やせって言っても、今からじゃさすがに年が離れすぎてて当主を押し付けようとは思えないでしょうから。

 むしろ、今から増やされても相続だのなんだので揉める要素が増えるだけなので、ご辞退申し上げます、というところですね」

 名前を挙げられたレイランは首をすくめて答えた。

 ちなみに凌太の言う龍司とは、美侑たちの学年におけるトップ4のうちの1人、四聖家・海堂家長男の海堂龍司のこと。レイランたちのクラスメートだが、魔法実技の授業をサボっている1人だ。中学ではレイランたちと一緒に生徒会に入っていたので美侑もそれなりに面識があるが、高校に入ってからは美侑が転科するまではほぼ接触がなかったので、今も大して喋っていない。


「名家の本家は大変だね。ずっと縛られちゃってさ」

 そこへ割り込むのは、2年生生徒会メンバー最後の1人、書記のふじかわあやだった。

「彩香だって名家の人間でしょ。そんなに気楽でいいの?」

「いいのいいの。うちの場合は当主なんてそうそう回ってこないもん。お父さんに兄弟多すぎるから」

 杏奈に尋ねられて彩香は答えた。

 藤川家の当主は彩香の祖父だが、彼の子供は全部で7人もいる大家族だ。その内彩香の父は5番目で、年上の従兄たちも多いため、彼女にまで当主が回ってくる可能性はかなり低い。その分彼女はのんびりと育てられたのだ。


「それはそうと、美侑はどうしたんだ?確か今日は、練習は1度休むって聞いたけど……」

 そこでようやく、凌太が生徒会室に美侑が来た理由を尋ねた。

 レイランが練習漬けも問題だろうと言って、昨日と今日は《魔力流》の練習はしないことにしたのだ。昼休みにはいつも生徒会室の端末(理香のスマホや生徒会室に設置されている予約用据え置き端末)から強制的に予約を入れているが、今日はその必要はない。

「いや、特に理由はないんですけど、中学からずっとこんな感じだったので……。高校でも生徒会室には入れそうだな、と」

「あ、いつものやつか」

 中学時代の美侑を知る凌太はそれであっさりと納得した。


「どういうこと?」

 逆に訊いたのは杏奈だった。彼女は現在生徒会室にいる生徒会メンバーの中で唯一、中学の生徒会に参加していなかった人物だ。だからこそ、生徒会室と美侑の関係がわからなくても無理はない。

「実は私、中学からレイランたちと一緒に会長に生徒会室に連れ込まれてまして……」

 あはは……と乾いた笑いを上げた美侑の言葉で、杏奈も事の次第を察したようだった。

「凌太くんや彩香と面識ができて、そのまま入り浸るようになった、と」

「入り浸るとは少し違いますけどね。中学の時は半分、生徒会の雑用も引き受けてましたから」


 正確には、中学に上がったばかりの美侑を理香が発見し、レイランと奏太を生徒会室に連れ込むついでに理香が雑用係に任命したのを、3年の前期までゆるゆると続けていたというのが真相だけれど。

「レイランと奏太と一緒に、会長に連れ込まれてたんだ。それで俺たちも知り合いになって、会長が昼休みに生徒会室に誘いまくったものだから、いつの間にか半分メンバーみたいな扱いになってさ」

 凌太が美侑の答えを補足した。

「あの頃は生徒会室も大変なことになってたね。正規メンバー8人プラス、会長が引っ張ってきた入ったばかりの1年生が3人。生徒会室そこまで広くないし、椅子も足りなくて誰かがいつも誰かの机に座ったり、棚にもたれてたり。色々あったなあ」

 彩香が苦笑した、その時。



 ドカン!



「……え?」

 間抜けな声を上げたのは、一体誰だったのか。



 ドン!

 ドドドドドドドド。

 ボン!ボン!ボン!



 遠くから、音が聞こえる。

「……爆発音だな。あと、これアサルトライフルか……?」

「「「ええ⁉」」」

 凌太の冷静な呟きに、美侑、杏奈、彩香が反応した。

 一方のレイランはというと、自分のスマホを取り出して誰かに電話をかけ始める。


「もしもし、すぐに探知お願い!」

 名乗りもせずに用件だけ告げて、レイランはスマホを耳から外した。

「奏太に探知を頼みました。凌太先輩、これってもしかしてというか、もしかしなくても……」

「アサルトライフルはともかく、小規模の爆発音がここまで聞こえるんじゃ、実物の爆弾よりも魔法の可能性が高いだろうな。それに多分、最初の音は壁が爆破された音だと思う」


 凌太を含む風見家の魔法使いは、風———空気を震わせるもの、すなわち音波への感受性が高い。彼らは常に聴覚強化魔法を使っているかのような聴力を持ち、常人では聞こえないレベルの小さな音も聞き分けられるし、魔法的な感覚で超音波も聞こえるほどだ。風見家の魔法使いは深瀬家の魔法使いとはまた別の意味で、探知能力に優れているのだった。

 その凌太が、爆発音の発生地点とアサルトライフルの音を聞き分けたのだ。銃刀法は現代日本でも健在であり、よほどのことがない限り銃などという物騒なものにはお目にかからない。


「アサルトライフルは学園の装備だと思うけど、魔法の方が問題だな……」

『レイラン、まずい!』

 凌太の呟きと、電話の先の奏太の緊迫した声はほぼ同時だった。

『吸血鬼が敷地に入って来てる!中等部の方にはまだ行ってないけど、高等部は危ない!』

「数は⁉」

『30!先生たちも応戦はしてるけど、人数が足りてない』

 レイランは舌打ちした。

 学園の教師たちは、大半が3年生の部隊の手伝いの監督に駆り出されているのだ。残っている教師も猛者だらけだが、何せ数が少ない。侵入してきた吸血鬼たちにバラバラに動かれては、どうしようもなかった。


「凌太先輩、校内放送は?」

「彩香!避難と戦力!」

「大丈夫、わかってるよ」

 生徒会室には緊急用の校内放送機材がある。放送室と職員室が使えなくなった時のための保険用だが、今はこれを使うしかない。

 今の短い会話で、レイランはその機材を使って校内放送を流すことを凌太に提案し、凌太は彩香にその仕事を丸投げしたのだ。そして彩香は放送内容も大体把握して、了承したというわけだった。


 隅に置かれている放送機材の電源を入れ、彩香がマイクの前に座る。

「緊急放送。こちら生徒会です。現在、校内に吸血鬼の侵入が確認されています。これは訓練ではありません。繰り返します。校内に吸血鬼の侵入が確認されています。これは訓練ではありません」

 彩香の静かな声が響く。彼女も名家の人間であることを、美侑はまざまざと感じた。

「普通科の生徒は至急教室へ戻ってください。魔法科の生徒は普通科の生徒を護衛してください。

 魔法科の生徒は1年、2年が均等になるように各学年に配置してください」

 放送は続く。

「それから、名家出身の生徒は護衛には加わらず、外で吸血鬼たちの撃退に協力をお願いします。吸血鬼たちはこのままでは、中等部の校舎に向かってしまいます。

 以上、生徒会の緊急放送でした。落ち着いて行動してください」

 彩香が言い終えて、放送を切る。


「助かる。———レイラン、外は任せていい?俺はこれから、屋上に出る」

「任されました。

 ———奏太、屋上で先輩と合流してくれる?…うん、探知よろしく」

 レイランは答えると、電話先の奏太にこれから向かう先を指定した。そして、凌太を見る。

「先輩、司令塔、よろしくお願いします」

「了解」

 凌太に頼まれたレイランは、彼の返答を聞くや、身を翻した。そして首だけ振り返り、叫ぶ。

「美侑、一緒に来て!実戦だよ!」

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