第7話 練習開始

 午後の授業を受け終わってホームルームもそこそこに、美侑とレイランは理香のスマホから雪弥が予約してくれた練習室へ向かっていた。


 訓練棟は普通の教室がある教室棟と2階の渡り廊下で繋がっている。ちょっとした大学のキャンパス並の数の建物がある学園は、しかし大学ではないので建物内は土足禁止、生徒も教職員も上履き着用だ。そこで、中学と高校の教室棟を繋ぐ渡り廊下や、特別教室棟と教室棟を繋ぐ渡り廊下など、ほとんど全ての建物が渡り廊下で繋がっているのだった。

 建物の分類としては高校の棟の方が多いので、同じ学園内といえども高校1年の美侑たちにとっては、まだまだ馴染みのない場所も多い。しかし、美侑たちが目指す訓練棟は、レイランたち中学時代から魔法を使える一部の生徒にとっては、事前に高校の方に申請すれば魔法の練習に使える場所だ。美侑にはこれまで関わりのなかった場所だが、レイランは3年前から奏太の姉を通して高校の生徒会と繋がっていたため、何度も利用したことがある。

 そのため、レイランの後ろについて行っただけの美侑も、高校の教室棟から真っ直ぐに、目的の部屋の辺りへ辿り着いていた。


「ここの角を曲がったら練習室に着くよ。ほら———って、あれ?」

 レイランに案内されながら角を曲がると、部屋の前に生徒が1人。レイランが戸惑ったように立ち止まった。釣られて美侑も立ち止まる。

 部屋の前に佇むのは、学園では割と有名な生徒だった。少なくとも、美侑は一方的に知っている。

 高校2年、とうあん。魔法科所属、かつ生徒会所属の生徒だ。魔法の実力はさほど高いわけではないが、座学の方は成績優秀だった。


「杏奈先輩、どうしてここに?」

 レイランが尋ねた。この部屋は理香の生徒会長権限によって押さえられている部屋だ。その予約を取り消せるのは校長くらいのもので、杏奈がここにいる理由がさっぱりわからない。

「さっき会長たちから話を聞いたの。レイランが彼女に《魔力流》を教えようとしてるって」

 杏奈はちらりと美侑を見て、すぐに視線を宙に漂わせた。

「私は別にそういうの、どうでもいいんだけど。みんなが気にしてたから」

 レイランが苦笑した。

 杏奈は先天的な魔法使いだが、両親は一般人。祖母からの隔世遺伝によって魔法能力を得た人間だ。名家などとは程遠い、魔法使いの遺伝子を持つ者としては、言っては何だが最下級の部類である。

 だが、その生まれはある意味、将来の自由を約束されたものだ。レイランのような名家生まれの魔法使いは、暗黙の了解でほとんど魔法関係、もっと言えば吸血鬼関係の仕事に就くが、杏奈の将来は縛られていない。

 だからこそ本人も、魔法科に所属しているのに、魔法の練習を「どうでもいい」と言ってしまえるわけだが。どうでもいいはずの魔法の練習を、「みんなが気にしてた」という理由で見に来てくれる辺り、どうにも周りを気にする性質のようだった。


「心配してくださったんですね。ありがとうございます」

「……別に。私は様子を見に来ただけだから。じゃあ、またね」

 レイランがお礼を言うと、杏奈は視線をレイランに合わせてから、ふいっと顔を背けて言った。そのまま彼女はレイランたちの脇を通り過ぎていった。

 レイランが「よくわからない人だなあ」と呟いて首を振っていたが、すぐに部屋に向き直る。杏奈は中学からの持ちあがりで生徒会に入ったわけではないので、美侑はもちろんのこと、レイランともそこまで親しいわけではなかった。


 練習室の入口は扉の脇の読み取り機に部屋を予約した生徒の学生証をかざすか、読み取り機の隣のタッチパネルに部屋を予約した時に取得できる暗証番号を入力することで鍵が開く仕組みだ。学園内で学生証は様々なところで認証に使われるため、理香の学生証を借りてくるわけにはいかず、暗証番号を入力することで2人は部屋に入った。

 第4練習室は奥行きも天井の高さもある、細長い部屋だ。この中なら思いっきり魔力を出しても問題ない。もし魔力暴走が起こってもレイランならどうにかできるだろうし、レイランは念のためにと保険もかけたらしい。準備は万全だ。


 レイランに促され、美侑は部屋の中央に立つ。

「さて。美侑、まずはやってみよう。掌から魔力出して」

「わかった」

 美侑にとっては、自分の中から魔力を出すのは造作もないことだ。取り出すだけならば、だが。


 掌から噴き出した魔力が天井近くまで伸びあがる。ここは天井が高いので魔力が天井に当たる危険はほぼないが、もしこの勢いで魔力が天井に当たったら、上の階の床から天井まで全部ぶち抜いてしまう。魔力はエネルギーの塊だから、魔法として何かに変換しなくても、それなりに物理的な力があるのだ。

 ただ幸い、魔力は空気に拡散しやすい。《魔弾》のように圧縮して固められたわけではないので、離れていれば無害なのだった。


「美侑の場合、今やってくれたみたいに魔力を外に取り出すのは簡単。それから、出した魔力を最低出力として増減の操作はできる。だから、今の状態を基本として魔力の流れだけ操作できれば《魔力流》習得の問題はないよ」

 《魔力流》は、高圧力の魔力を相手に叩きつけることでダメージを与えるものだ。

 美侑の場合、素で放出する魔力自体が普通の魔法使いより多い上、出力の上昇はコントロール下にある。魔力の圧力についてもコントロールする必要があるが、美侑の場合はそもそも放出される魔力が高圧力なのだ。保有している魔力量が多いだけに、《栓》を開けた途端にタンクの中の魔力が押し出されて、凄い勢いで魔力が噴き出しているのだろう、とは奏太の言である。ならばあとは、敵に当てるための技術があれば問題ない。


「魔法はイメージと理論でできてる。魔力関係のことはどちらかと言えばイメージに左右されがちだから、イメージを上手く使えば的当ては簡単にできるのね。これは大抵の魔法に言えることなんだけど」

 そう言ってレイランはサッと腕を上げた。途端に部屋にいくつもの光球が現れる。

「レイラン、これは?」

 部屋の中をゆっくりと飛んでいく光球たちを見上げて、美侑は尋ねた。

「私の得意魔法、光属性魔法。実体を持たない代わりに何度でも出せるから、魔法を練習する時の的にするには丁度いいの。私の意思でどこにでも動かせる。

 動いている光球に当たるように、《魔力流》の流れを操作できるのが最終目標ね」

「最終……目標?」

 美侑はこてん、と首を傾げた。


「今の美侑に、すぐにイメージで《魔力流》を操作しろって言ってもできないだろうから。

 魔力の出し入れは授業でさんざんやったから大丈夫だろうけど、みんなが危ないってことで掌の向きを変えて出し入れしたことはないから、横や斜めにした時の実験もしないといけない。

 照準を合わせてから魔力を出すのはその応用で、照準を付けられるようになってから最後に《魔力流》を自由に操ってもらう。

 当分の間、美侑が吸血鬼と戦うことになったらこれが生命線になるんだろうし。そのためにもしっかり練習しないとだめだよ」

「うん」

 美侑は頷いた。


「じゃあ始めよう。美侑、今は特に魔力を出してる手に上から圧力がかかってるとか、そういうのはない?」

「特にないけど……」

「それなら、魔力を止めて、掌の向きを変えてみよう。そうだな、じゃあ……掌を前に向けて、出してみようか」

 レイランの意図が全くわからないが、魔法を使うことに関してはレイランは並の魔法使いよりも慣れているし、得意だ。彼女がそうしろと言うのだから、何かしらの理由があるのだろう。

 美侑は魔力の放出を止め、胸の前で持ち上げていた手を、まっすぐ前に突き出した。そのまま魔力を掌に集めて放出する。


 その途端。

「うわぁぁぁぁぁっ⁉」

 美侑は後ろに吹っ飛ばされた。すぐにレイランが魔法をかけてくれたようで、後ろの空気がクッションのように美侑を受け止める。

 飛ばされる速度は一気に遅くなったが、代わりに美侑の体は重力に引かれて落下し、尻餅をついた。


「あーあ、やっぱりこうなったか」

 笑いを含んだレイランの声が近づいてくる。

「わかってたなら、注意してくれたら良かったのに……」

 美侑は恨みがましくレイランを睨んだが、レイランは笑って取り合わなかった。

「でも、経験しておいて良かったでしょう?実戦でこんなことになったら隙だと見られて、吹っ飛んでる間に殺されててもおかしくないよ?」


 ———感覚が違いすぎる。

 美侑は瞬間的にそう思った。

 レイランはこれまでの人生で、一体何を経験してきたのだろうか。一体吸血鬼たちと、どうやって戦ってきたのだろうか。

(でもこれが、吸血鬼戦闘に特化した魔法使いの感覚、ってことなんだろうな……)

 そして美侑が目指すのは、吸血鬼と戦う魔法使い。レイランと同じ存在。本当にそれを目指すなら、魔法の腕を上げるだけでなく、そういう感覚も身に着けなければならないのだ。


「……それもそうだね。で、レイラン、今のはどういうこと?」

 立ち上がりながら美侑は尋ねた。

「魔力には物理的な圧力があるのは知ってるでしょ?物理学的には当然の話だけど、反動……っていうか、反作用のせいだね。

 魔力を放出する勢いが強すぎて、反動が来ると思っていなかった美侑は別に踏ん張ったりはしてなかったから。もろに反動を受けて、後ろに吹き飛ばされた」

 レイランはスラスラと答えた。説明を求められることまで考慮済みで、美侑に実演させたのだろう。


「さっきまでは、美侑の腕は割と体に密着していたから、胴体を通じて反動をしっかり支えられた。反動が下方向で重力と同じなのもあって、美侑は大して反動を感じていなかったんだね。

 でも、今回は腕ごと前に突き出したから、魔力の圧力に美侑の体が負けたの。普段より使った魔力も多かったから、それで余計に反動が大きくなったみたい」

 何も言わなくても、レイランは美侑の顔に浮かんだ戸惑いを見逃さなかった。追加でしっかりと説明してくれるので本当にありがたい。幼い頃から使っているだけに、感覚的なことは説明できないとたびたびレイランたちは言うが、美侑にとってはあるとないとでは大違いだった。


「でも、体を飛ばせるのは別に悪いことじゃないよ。

 それこそ飛行魔法を使わずに体を一定方向に向けて一気に飛ばしたい時なんかは大人の魔法使いだって使う技術だし。吸血鬼の移動速度は速いから、本当に危ない時は《魔力流》を撃った反動で初速を得て、移動魔法で一気に移動するとかいうこともあるくらいで。

 そういうことも含めて覚えた方が、役に立つんじゃないかな」

「そういうこともできるんだ……」

「魔法の使い方は1つじゃないからね。確かに人それぞれに才能があって、才能によって能力も決まってしまうけど、魔法の使い方を考えることで才能の差は埋められるはずだよ」

 レイランはニカッと笑いながら言った。


 魔法は家系や個人の才能で実力が決まる世界だが、魔法の才能だけが全てではない。いくら魔法の才能があっても頭や運動能力がなければすぐに死ぬ。

 魔法、頭脳、運動能力、その全てをひっくるめて才能と称するのなら、別に美侑に才能がないわけではないのだ。《魔力流》を上手く使えるだけの頭と、対応可能な運動能力を持っていれば十分に戦闘で通用する。……ただ、美侑の場合は戦闘手段があまりにも少なすぎるのが問題だが。

 本来、いくつもの術式魔法を容易く操り、様々な方法で敵を翻弄するのが霞原家とその分家一族の戦闘スタイルだ。本家とは色々確執があるとはいえ、美侑は血筋的には次期とは言わずとも、いずれ当主候補が回ってくる可能性があるほど霞原家直系に近い魔法使いであり(霞原家現当主の子供は2人しかおらず、うち1人は亡くなった美侑の母親だ)、魔法は使えずとも幼い頃から一族の話を聞いて育っている。

 その美侑が一族のスタイルとは全く異なる、1つの魔法に頼った戦闘方法を要求されるのだから、なかなかきつい話ではあるが、現状これ以外に美侑が吸血鬼に対抗する方法がない。

「《魔力流》の使い方は私も教える。でも、私と美侑じゃ持ってる魔力量が違うから、私にとって最適化されたものが美侑にとっても最適とは限らない。逆に、私にできないことが美侑にできる可能性だって十分にある。

 その可能性を考え続けることを忘れちゃいけないの。考えることを止めたら、人は終わる」

 考え続けろ。レイランはその言葉を言うことしかできない。思考を止めたら、戦場で討たれる。レイランはそれを嫌というほど知っているから。

「美侑に普通の魔法が使えなくても、考えることはできる。自分が考え続けることが、自分を、仲間を救うことになる。

 それだけは絶対に忘れないで」

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