第1部 1年生編

第1章 魔法科転入編

第1話 日常が終わる日

 美侑は結局、普通科に進学した。

 吸血鬼の血に触れても、たまにすぐに魔法能力が現れず、春休み中に転科する生徒もいるのだが、美侑はそちらでもなかったようだ。


 そして、高校入学から時は過ぎ、現在は5月の中旬である。実家が都内にあるレイランは、卒業式の後すぐに実家に帰って、その日のうちには書庫を漁り始めてくれたそうだし、ゴールデンウィークも実家に帰って何かやっていた。名古屋に実家がある奏太はゴールデンウィークに帰省するわけにはいかなかったようだが、卒業式の翌日から春休み期間中は実家で色々調べてくれたと聞いた。

 それでも特に知らせがないことを考えると、やはり2人でも情報は掴めなかったらしい。まあ、そこそこ長い魔法使いの歴史の中で、人間を魔法使いにする方法は今のところ吸血鬼の血しか見つかっていないから、資料が提供されていないからといって2人の実家で方法が見つかるとは思えないけれど。


 それでも、吸血鬼を己の手で倒すのは、美侑にとって幼い頃からの目標であり夢だ。それが叶わないというのは、受け入れるのにまだ時間が必要そうだった。

 しかも、普通科に進学したことで、小言を言う連中までいる。こっちだって魔法使いになりたかったのに、体質的な問題にまで小言を言われても困る。夢を諦めなければならない人間に、そんなことを言われても……。

 四国にある本家を思い出して、美侑はぶるっと震えた。美侑は生まれも育ちも東京なので、本家には年末年始の挨拶で行くか行かないか程度だが、あそこは怖い。何としても吸血鬼を殲滅しなければならない、そのためなら何でも———それこそ法律違反まで犯すぞというような気配というか雰囲気が漂っている。美侑だって吸血鬼は倒さなくてはいけないと思うが、本家の空気は異様にピリピリしているから、祖父母の家ではあっても怖いのだ。

 分家の出身で、同じ苗字を名乗っていない美侑にさえ、生来の魔法使いでないことで小言を言い、卒業式の日に魔法使いになれなかったことについても電話で小言を言ってくることから考えても、血統主義的なものが垣間見える。戦力が少ないからといって、そこまで小言を言われるのは筋違いだ。美侑にはどうこうできる問題ではないのだから、別の分家や本家の魔法使いを育成した方がいいと思う。



 それに、色々言ってくるのは本家の人間だけではない。

「……ほら、あれが松本さん。魔法使いの家に生まれたのに、生まれつき魔法が使えなくて、卒業の時のやつでもなれなくて、普通科に進学するしかなかった……」

「確か、四聖家の分家の出身じゃ……」

「それなのに、生まれつき魔法使いじゃないなんておかしな話……」

 廊下を歩けば、こういう話が嫌というほど耳に入ってくる。


 中学までは、魔法が使えなくてもこんなことは言われなかった。魔法が使えない生徒が大半だから、それは当然なのだけれど。

 高校に入れば、魔法を使えるようになった生徒と使えない生徒がはっきり分けられる。そういう後天的な魔法使いたちが、魔法使いでない生徒———特に、魔法を使えるようになって魔法科に入る、と言っていた生徒に対してさげすんだ陰口を叩くのは、今に始まったことではない。

 逆に、レイランのような生来の魔法使いたちは、そういう偏見を持たないことが多い。彼らは生まれつきの魔法使いだから、魔法を使えるがゆえの苦労も見聞きしているし、中には経験している者もいる。魔法が使えるというのはいいことばかりではないことを知っているからこそ、魔法を使えない生徒を蔑むことはない。

 美侑だって本来なら、それなりに強い力を持った魔法使いとして生まれるはずだった。もし魔法使いとして生まれていたら、美侑はどうしただろうか……。

 そんなことを考えながら、移動教室に向かう。


 その途中で、魔法科所属の男子生徒とすれ違った。レイランの幼なじみである奏太だ。

「レイランから伝言」

 その言葉と共に、すれ違った瞬間、手に紙を押し付けられた。

 伝言、と言うからには、レイランからの伝言はこの紙に書かれているのだろう。

 丸められた紙を開くと、簡潔な文章。

<生徒会が終わったら、寮の部屋に行くね>

「……なるほどね」

 レイランは高校入学試験当時の学年主席であり(中高一貫とはいえさすがに進級試験はあった)、中学でも生徒会役員だったこと、そして何より圧倒的な魔法能力の高さを買われ、勧誘されて生徒会に入っている。そのため、休み時間も暇さえあれば生徒会室に籠っており、自分のクラスメートで美侑とも知り合いの奏太に紙を託したのだろう。

 この世界にはメールやSNSという便利なものがあるのだから、それを使えばいいのに。わざわざ紙で伝言する理由もわからないが、何かあったのだろうか。

 とりあえず、放課後まで待てば、レイランが何をしたいのかはわかる。それまでこの問題については先送りだ。



 *****



 魔法科の方が普通科より授業が詰まっているため、5時間目で終わる日もある普通科とは違い、毎日6時間目まで授業がある。

 更にレイランは生徒会の仕事までやって寮に帰ってくるのだから、帰寮時間は午後6時を過ぎる。一応寮の夕食は午後6時半からなので、レイランは仕事を終えてから寮の食堂に直行して夕食を食べ、それから部屋に戻ることが多い。


 が、レイランはこの日、5時半に寮に帰ってきた。正確には、5時半過ぎに美侑の部屋のドアがノックされた。その時、普段持っている学生鞄を持っていなかったので、実際の帰寮時間はもう少し早かったはずだ。


「お邪魔するね、美侑」

 ノックに返事をすると、レイランがドアの隙間から顔を出した。

「早かったね。生徒会の仕事、大丈夫なの?」

 レイランを部屋に招き入れながら、美侑は尋ねた。

「大丈夫。今日のノルマはやってきたし、元々仕事だらけなわけじゃないから。

 先輩たちも割と寛容な人ばかりだし」

「ならいいけど……」


 生徒会のメンバーは現在、3年生2人、2年生3人、1年生1人の合計6人で構成されている。同期が誰もいないというのは不安だろうと思うが、伝統的に1年生の前期に生徒会に入るのは学年に1人だけなので、同じ経験をしている2、3年生がフォローしてくれているのかもしれない。それに、現生徒会メンバーは、多くがレイランの中学からの知り合いだ。


「で、わざわざ奏太くんに伝言……それもこの紙を託したのはなんで?別にメールとかでも良かったのに」

 そして、紙を取り出して、気になったことを訊いてみた。

「唐突だねえ」

 レイランは苦笑した。

「そういうものを使ったら、必ず使った記録、伝えた内容が残るでしょう?今回は寮の部屋に行くだけとはいえ、話す内容が内容だから。できる限り証拠は残したくないな、と思って」

 確かに、メールやSNSには内容がそのまま残る。仮に履歴を消去したとしても、1度ネットワークに乗った情報なのだから、ネットワーク側の情報から解読できないこともないだろう。レイランはそれを心配していたらしい。だから、渡し方も奏太がすれ違いざまに押し付けるような方法になったのか。


「その点、紙なら後で燃やせばいいからね。美侑が紙を持ってて良かった。こっちにくれる?」

 美侑がレイランに紙を渡すと、レイランは魔法で紙を浮かばせて火をつけた。レイランにとっては当たり前にできることだが、見ていて複雑な気持ちになる。

「証拠隠滅完了。これで安心して本題に入れるよ」

 紙をきっちり燃やし終え、残った灰も魔法でかき集めて窓の外へ。見事なまでに紙の存在を消したレイランが言った。

「本題?」

「そう、本題。

 随分遅くなっちゃったけど、美侑が魔法使いになれるかどうかについて」

 つまり、レイランと奏太が調べた結果の報告か。だから紙の伝達に奏太が絡んでも問題なかったわけである。


「うちと深瀬家の資料を突き合わせてみたんだけど、それを全部総合して考えると、こうなるの。

 『人間を魔法使いにする方法は、やはり吸血鬼の血に触れるか、または吸血鬼化して魔法も使えるようにするかの2択になる。吸血鬼化する場合、一定以上の強さと血統を持つ吸血鬼の血を飲むことで必ず人間が吸血鬼化することが確認されているため、難易度は低い。

 一方、吸血鬼の血に触れて魔法能力のみを得ようとする場合、吸血鬼ごとに能力を得られるかどうかは異なる。ある吸血鬼の血では魔法能力を得られなくても、別の吸血鬼の血に触れた場合に魔法能力を得られる場合がある』」

「じゃあ、それって……!」

「うん」

 レイランは頷いた。

「卒業式の日に美侑が触れた血に、簡単に言えば美侑は適合しなかった、ってこと。別の吸血鬼の血なら、魔法使いになれるかもしれない。———もちろん、吸血鬼化するのは論外として」

「吸血鬼討伐部隊の訓練施設みたいなこの学校で吸血鬼化するのは頂けないね。あっという間に先生たちに討伐されるでしょ」


 人間が吸血鬼化する、というのはおとぎ話と同じだ。様々なフィクション作品で様々な設定があるが、この世界において、人間の吸血鬼化は人間が強力な吸血鬼の血を飲んだ際に起こるとされている。

 そもそも人間が吸血鬼化した例をほとんど聞かないが、四聖家を筆頭に古くから存在する魔法家系は、人間の吸血鬼化が確認された例をいくつか把握している。そのどれもが、強い吸血鬼の血を飲んだことで吸血鬼化していた。

 そして、この学校は訓練校扱いなだけあって、教師陣には元討伐部隊の隊員が多くいる。中には討伐部隊の元エースだっているくらいだ。ここで吸血鬼化したら、間違いなく教師に討伐される。


「うん。だから、美侑に適合する吸血鬼の血を探す必要があるの。それで、うちに保管されてる吸血鬼の血を持ち出せないか、親を説得してた。それで、ちょっと時間がかかって……」

「……吸血鬼の血が保管されてる辺り、さすがだね……」

「あはは……」


 普通、家に吸血鬼の血を保管している者などいない。が、一条家は江戸時代から東京(というか江戸)に本邸を構えて吸血鬼から街を守ってきた魔法使いの名家であり、治安維持などで戦力が必要な場合も出てくる。その時は大人も子供も関係なく、目をつけた人間を魔法使いに覚醒させてきた歴史があるとか。もちろん現代にそんなことはやっていないそうだが、明治時代くらいまでは割とやっていたらしい。

 その名残で、今も一条家には吸血鬼の血が保管されているのだ。だから、その中からなら、美侑に適合する血が見つかるかもしれない。


「それで、親も説得できたから、週末に家に帰って、あまり量は持ち出せなかったけど、いくつか血を見繕ってきたの。覚醒が遅れたって言い張るにもそろそろ無理が出る頃だし、早いうちに触った方がいいと思って」

「なるほど」

 そういうことなら、レイランが美侑の部屋に行くのを隠そうとしたのも納得だ。吸血鬼の血が寮にあるなんて教師たちに知られたら、いくら持ち主が一条家次期当主とはいえ没収は確実だろう。

「……でも、これは私の考えだから。これは美侑のことだし、いつ血に触れるかは美侑に任せるよ」

 レイランは言った。


 魔法使いになるということはすなわち、普通の人間ではいられないということ。どんな未来を選ぼうが、いつかは必ず吸血鬼と戦う日がくるということだ。

 だが、その未来に何の不安があろうか。美侑の望みは、吸血鬼を討伐して世界を守ることなのだから。


「できれば、すぐにやりたい。もう魔法科の授業は始まってるから、あまり悠長にはしていられない」

「言うと思った」

 美侑が答えると、レイランは少し困ったように笑った。

「わかった。準備するから、ちょっと待ってて」

 レイランは言うが早いか、持ってきたトートバッグから、血液の入ったプラスチック製の試験管を複数と、なぜか食品の保存に使うタッパー容器を取り出した。


「……試験管はわかるけど、なんでタッパー?」

 血液を試験管に入れて持ってくるのはまだわかる。血液サンプルと同じ扱いなのだろう。が、ここでタッパーが登場する理由がわからない。

「一応、接触面積が大きい方がいいかなと思って用意したの。ここに手を入れてもらうからね」

「ええー……」


 つまりレイランは、試験管の血液をこのタッパーに注ぎ、そこに美侑の手を突っ込ませる気らしい。確かに卒業式の日も吸血鬼の血に手を突っ込んでいるが、その時使ったのはステンレス製の深めのトレイで、さすがにタッパーに手は突っ込んでいない。

 一条家は魔法使いの名家であると同時に、一般的に見て富豪でもある。レイラン自身も令嬢としてそこそこの教育を受けているはずなのだが、そのどこから「タッパーに手を突っ込んで魔法使いになる」という発想が出てくるのか、美侑にはさっぱりわからない。



 美侑がレイランの考えに若干引いている間にも、レイランは着々と準備を進めていく。

 3本もの試験管の栓を開けると、中身をドボドボとタッパーに注ぎ込んだ。タッパーは人の掌が収まるギリギリの大きさしかないので、底がすぐに赤い液体で覆われる。

 そのタッパーを揺らさないように美侑の前に置いて、レイランは頷いた。


「準備完了。ここに手を入れてもらえば大丈夫だよ……ってそうだ、危ない危ない」

「へ?」

 美侑の目にも、これで準備は終わったように見える。が、レイランが危ないと言うからには、まだ何かあるらしい。


「ごめん、まだ美侑に確認しないといけないことがあるんだった。

 見たところ大丈夫そうだけど……美侑、手とか指とか、怪我はしてないよね?まずそうなのがあったら、すぐに治すよ」

 真剣な顔でレイランは美侑に尋ねた。

「特にはないと思うけど……一応調べてもらっていい?」

「わかった」


 最近怪我をしたかどうか思い出しつつ、美侑はレイランに右手を差し出した。レイランはその手を取ると、掌や指、手の甲、更には指と指の間や爪の間まで、できる限り調べていく。

 やがてレイランは頷いた。


「多分大丈夫だね。血管が露出するような傷はないから、このまま中に入れていいよ」

「……血管?あー……もしかして、そこから吸血鬼の血が入るとまずいとか?」

 レイランが血管を気にする理由がわからないが、試しに訊いてみた。


「正解。前に傷の血管から吸血鬼の血が入って、魔法使いじゃなくて吸血鬼になった人がいたらしいよ」

「え……そんなリスク、卒業式の日は説明されなかったよ?」

 美侑は眉をひそめた。

「まあ、そうだと思うよ。私がおじいちゃんから聞いて、おじいちゃんも先祖の誰かから1度だけ聞いたみたいな話だったから」

「うわー……」

 よくそんな事件の記録、というか記憶を継いでいるものだ。この場合、美侑はレイランの祖父と先祖に感謝しなければならない。


「でも美侑は大丈夫。吸血鬼化しないことは保証するよ。さ、始めよう」

 レイランは無理やり話を元に戻した。

「……一応訊くけど、これに入れるんだよね……?」

 美侑は思わずタッパーを睨む。

「うん、これに。掌が血にしっかり触れるようにね」

「……わかった。やってみる」

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