魔法学園の吸血鬼戦争

雪月花

プロローグ 魔法使いと吸血鬼

 この世界は、いつからファンタジー化したのか。

 ……いや、違う。いつからファンタジーが現実のものになったのか。

 魔法と吸血鬼。共にファンタジーの、おとぎ話の世界の存在。

 だがあいにく、魔法も吸血鬼も実在するというのが、この世界での常識だ。

 人間の血をかてとし、どこかの街で今日も人間を襲っている吸血鬼と。

 それに対抗するために人間を代表して戦っている魔法使いと。

 どちらも、この世界では当たり前の存在になった。なってしまった。



 ことの始まりは、西暦2001年。それまでたびたび発見されていた不審な「血を抜かれた死体」の正体が、吸血鬼が人間の血を吸って殺した死体である、という告発文が、世界中のメディアに向けて送られたのだ。

 文書の送り主は自らを「魔法使い」と称し、吸血鬼の他に魔法の存在についても公表した。魔法を使える人間は実在し、彼または彼女らは昔から世界中で、吸血鬼に対抗するために戦っているのだ、と。

 魔法の存在を証明する、と予告した彼、または彼女が文書にしたためた通りの超常現象が世界で起こったために、人類は少なくとも、魔法の存在だけは認めないわけにはいかなくなった。

 何せ、ある日は空中に突然光の玉が出現し、ある日には熱帯の平地、しかも昼で雲も少ないのに雪が降り、また別のある日は世界中、各国10個以上も虹が、しかも同時刻に観察されたのだ。それらの現象は予告通りのもので、イギリスの日付(つまり世界標準時とも言う)とまで一致していた。

 遂には、元々予言にはなかった火山の噴火による溶岩流を止めて被害を少なくしたりと、とにかく超常現象としか呼びようのない現象ばかり起こったのだ。

 その一方で、吸血鬼に関しては、確かに不審な死体の理由を説明できるものの、証拠がないとして信じない者が大半だった。


 そこから事態が動いたのは、なんと10年後の話だ。

 不審な死体の発見はその「魔法使い」による文書が公表されてからも止まらず、あちこちの警察組織が動き、遂にはインターポールが国際犯罪として各国警察に協力して犯人を逮捕できるようデータベースを作ったりしていたのだが、そのさなか、ある遺体の発見現場で目撃情報があったのだ。

 曰く、「犯人が被害者の首筋に噛みついているように見えた」。しかも、目撃者はたまたま2人組で、どちらも同じ証言をしたことから、これは本当に吸血鬼が犯人なのではないかという疑いが強まった。

 そして、その後捕まった犯人の口の中、人間の犬歯に当たる部分には———牙があった。

 おまけに腕力が普通の人間のものではないし、運動能力も高い。極め付きは犯人が持つ驚異的な回復能力で、切り傷程度ならもちろんのこと、骨折も瞬時に治ってしまうその能力は、どう考えても人間ではなかった。

 その犯人が捕まってからも続々と別の犯人たちが捕まったのだが、彼らはみんな、吸血鬼と思われる特徴を有していた。そして、人道的にどうなんだという意見がありつつも、彼らを複数の実験に参加させ———つまり、人体実験である———、細胞も採取してDNAを解析し。

 そうしてようやく、吸血鬼という存在が世界で認められたのだった。

 吸血鬼が人間を吸血したことによる殺人事件はそれ以降、「吸血鬼事件」と呼ばれている。


 また、吸血鬼の実在が認められるようになる少し前、今度は世界各国の政府とメディアに例の「魔法使い」から文書が届けられた。

 吸血鬼の犠牲者は増え続けている。このまま放置していいのか。

 魔法使いは吸血鬼に対抗するだけの能力を持っている。

 その力が欲しいなら、日本の四聖学園の門を叩け。四聖学園は、魔法使いを育成するための学校である———。



 そして、その日から時は流れ。

 世界中で吸血鬼に対抗するための組織が生まれた。また、元々存在していた魔法使いの組織も次々と表舞台に現れた。

 民間の魔法組織の中でも、世界で最も早くその存在を明らかにした四聖学園———現在は国立魔法学園と名前を変えた学園には、日本各地から魔法使いを、吸血鬼討伐を目指す少年少女が集まってくる。



 *****



 国立魔法学園、通称魔法学園。

 今や世界最高峰の魔法教育機関、というより魔法使い訓練校として名を馳せるこの学園は、中学校、高校、大学、大学院を内包している。

 大学と大学院は当然ながら同じ建物を共用しているが、中学校、高校はそれぞれ独立した校舎や施設を持っている。というかそもそも、大学は別の場所に建っているので、中学や高校と施設を共用しようがないのだけれど。

 それでも、中学生と高校生が使う、国分寺にあるキャンパスの敷地は大変広い。

 何せ、高校の卒業生は3割から5割が高校を卒業して吸血鬼討伐部隊に入隊してしまう。部隊でも訓練はしてくれるが、討伐部隊は常に負傷した隊員や殉職者、過酷さに耐えられなくなった退職者が発生するため、常に人数が少ない。その上、日本の討伐部隊は優秀なので、そこそこの頻度で他国に応援に呼ばれている。

 これらの事情により、部隊の人数が不足し過ぎていきなり実戦に放り込まれることもあるというから、生徒には高校の間にできるだけ、基礎能力も応用能力も身に着けさせなければならない。———ちなみに中学校の間に、とならないのは、義務教育期間だからである。

 とにかくそんなわけで、高校の間に吸血鬼討伐訓練もやってしまおうとした結果が、ちょっとした大学以上の敷地面積を持つキャンパスであった。

 その広大なキャンパスの、中学校の本校舎の屋上。下の階と屋上を繋ぐ内階段に続く扉の脇に、1人の少女が佇んでいた。

 少女の手には、中学校の卒業証書。彼女はこの魔法学園中学校の、今年の卒業生だ。今日が卒業式であることを考えれば、その手に卒業証書があることも、屋上に佇んでいることも、進学先が同じキャンパス内の高校とはいえ母校の思い出を辿っていると考えれば不自然なことではなかった。

 が、彼女の心境は、そんな感傷とは至って無関係だった。

「……今日も空が青いなあ……」

 空を見上げて少女は呟いた。彼女の幼い頃の記憶にある、薄暗い紅とは対照的な、澄んだ青。

 人間の血の色とは違う色だ。

 いつもと変わらない色だ。こんな日でも、空はいつもと変わらない。

 夢が絶たれてしまった、こんな日でさえも。

 それを思うと、涙が出てきた。

 なんで。どうして。

 魔法が才能の世界なのはわかっている。努力だけでは、絶対に埋められない差があるのはわかっている。才能がなければ死ぬ確率が高いことも。

 でも、これはあんまりだ。

 そもそも「能力を持てない」———なんてこと。



 魔法使いには、先天的な者と後天的な者が存在する。

 先天的に、すなわち生まれつき魔法を使えるのは、一般的には親が魔法使いの子供だけ。後天的な魔法使いは、吸血鬼の血に触れることによって魔法行使能力、通称魔法能力を得た者たちだ。

 少女は先天的に魔法能力を持っていなかったので、吸血鬼の血に触れることでしか魔法能力を得る方法がない。しかし、この方法は確実な方法ではなく、吸血鬼の血に触れても魔法使いとして覚醒しない者がいる。

 中高一貫校のこの学園では、中学校の卒業式は実に簡易的で、1時間程度で終わってしまう。義務教育期間は普通の中学校で過ごした、魔法学園高校への転入生はまだしも、魔法学園中学を卒業して別の高校に行く者はまずいないので、クラスメートと永遠の別れになる、とかいうわけでもない。認識としてはほとんど単なる学年末、クラス替えである。

 ゆえに、卒業式を終えた直後でも、中学3年生にはまだやることがある。それが、高校に入ったときに所属する課程を決めること———普通科と魔法科、どちらに進学するかを決めることだった。

 とは言っても、生徒の側が決められるというわけでもない。魔法能力を持たない者は、魔法を使って吸血鬼討伐部隊の訓練を行う魔法科には所属できないので、強制的に普通科行きだ。

 しかし、中学生の時点で魔法能力を持っている生徒はごくわずかだ。そもそも現代は「最初の魔法使い(吸血鬼と魔法の存在をメディアに送りつけた人物のことだ)」が表舞台に現れてから100年も経っておらず、それ以前は魔法そのものがファンタジー、物語の中にしかなかった世界。そんな世界で魔法使いの血と技術を繋ぐのは並大抵のことではなかったようで、現代に知られている魔法使いの家系の多くは、秘密が外部に漏れないようにと1人か2人の子供しか残していなかった。稀に魔法使いの家系に生まれても魔法能力を持たない者がいることもあり、現代でも先天的な魔法使いの数は少ない。

 なので、中学生の時点では、魔法使いの家系に生まれた子供以外、つまり大半の生徒が魔法能力を持たない。その状態で彼らは義務教育のかたわら魔法の基礎や吸血鬼について学ぶ。

 そして、中学校の卒業式の日、卒業式を終えた魔法能力を持たない生徒は、学園が用意した吸血鬼の血を使って魔法使いへの覚醒を試みるのだ。

 少女は先ほど覚醒を試みたばかりで———そして、魔法使いとして覚醒しなかった。彼女は「覚醒しない者」だったのだ。

 とはいえ、この事態は大して珍しくもない。高校に入った時の人数比は、年によってばらつきはあれど、おおよそ魔法科5割、普通科5割。高校から学園に入学する魔法使いの家系の生徒がいること、魔法を使えても普通科に進学する生徒がいることを踏まえれば、生徒が魔法使いに覚醒するかはおよそ2分の1の確率だ。半分の確率で魔法使いにはなれないのだから、まあ諦めがつくだろう。普通の人間なら。

 だが、少女の場合はここで諦めるわけにはいかなかった。というより、諦めがつくはずがなかった。

 吸血鬼討伐部隊に入って、吸血鬼を退治するのが彼女の長年の夢なのだから。



(家系そのものは魔法使いの家系なのに。生まれつき魔法能力を持ってない人間には、魔法は扱えないとでもいうつもり……?)

 少女はぎゅっと唇を噛み締めた。

「……美侑みゆ。大丈夫?」

 そこへ降ってきた別の声。

「……レイラン」

 少女———美侑の友人であるレイランこと一条いちじょう黎蘭れいらんが、いつの間にか階段の屋根に腰かけていた。彼女は先天的な魔法使いで、既に魔法科に進む意思を学園に伝えているから、卒業式の後はそのまま学生寮に帰ったと思っていたが。

「びっくりした。レイランはもう、中学には用事ないでしょ?先に寮に帰ったのかと思ってたけど」

「まさか」

 レイランは微笑みを浮かべた。

「私の親友が、魔法科に進めるかどうか、ちゃんと見届けないと帰れないよ。進めるならそれでよし、進めないなら———うん、慰める。それから別の進路も一緒に考える」

「……レイラン」

 もう1度、美侑はレイランの名前を呟いた。先ほどの驚きを込めた呟きとは違い、今度は感謝を込めて。

 レイランは五感を強化する魔法を使える。その強化された五感、主に聴覚を使って、美侑が魔法使いに覚醒できるかどうか、見届け———ではなく聞き届けようとしてくれたのだろう。

 だから彼女も、美侑が魔法使いになれなかったことは知っているはずだ。

「……魔法を使える私が何を言っても仕方ないかもしれないけど。吸血鬼討伐に役立つのは何も、直接交戦する討伐部隊だけじゃないよ。大学に行って、魔法の研究したり吸血鬼の研究したりすれば、吸血鬼の討伐の役に立てる。美侑は勉強方面はできるんだから、そっちの道もありだと思う」

 ひらりと屋根から飛び降りたレイランが、真顔で美侑の顔を下から覗き込んだ。

「美侑が吸血鬼を倒したい理由は知ってる。でも、魔法を使えなかったら、あっという間に吸血鬼に殺されちゃうよ。私はそんなの嫌だなあ」

 一条家は日本でもトップクラスの魔法使いの名家だ。その当主の一人娘であるレイランは、中学生にして次期当主と定まっている。吸血鬼と戦って生き残るため、また当主となって他の魔法使いを率いて戦うために幼いうちから訓練を繰り返していたレイランは、中学1年生の夏休みに吸血鬼との実戦も経験済みだ。軽い調子で言う彼女だが、内容はとても重い。

 レイランからはっきり聞いたわけではないが、彼女は吸血鬼討伐部隊とも協力して戦ったことがあるらしい。その時に、殉職する隊員を山ほど見たとか……。その経験を思えば、彼女が言っていることは何も間違っていない。討伐部隊は全員、ただの人間より身を守る手段が豊富な魔法使いなのだから。

「……吸血鬼の手にかかれば、人間なんてすぐに殺されることはわかってる。でも、やっぱり私、吸血鬼を倒して、少しでも被害を抑えたい」

 吸血鬼事件は今も起きている。というか、吸血鬼の存在が知られるようになったせいか、むしろ昔より多発している。ただ吸血されるだけならまだしも、血を吸われすぎて失血死する人間は後を絶たなかった。

「昔から同じこと言ってるね、美侑は……」

 美侑の隣の壁に背中を預け、レイランは言った。

「魔法も使えないのに、おかしいと思う?」

 美侑は自嘲気味に言った。

「いや、全然。むしろ、この状況でもまだ夢を諦めてない心の強さが羨ましいよ」

 ふっと笑ったレイランは、美侑を否定しなかった。

「まあ、どうにかできる方法がないか、調べてみるよ。どうせ明日からは実家に帰るから。

 うちなら、学園にない資料とかがあってもおかしくないわけだし」

「そっか。一条家の書庫とか倉庫なら、まだ資料がある可能性もあるもんね……」

 一条家は、この学園の前身となった四聖学園時代から、学園の運営や資料提供には一切関わっていない。つまり、一条家には学園に提供されていない資料が眠っている可能性があるのだ。もっとも、それらが提供されなかったのは秘術の類の資料が多いからで、一族の切り札である秘術の情報まで漏らすわけにはいかなかった、という事情が多分に含まれているけれど。学園に提供されている資料は基本的に学園設立に関わった四聖家———霞原かすはら家、くも家、海堂かいどう家、光原みつはら家の4つの家から提供されたもので、一条家を含む他の魔法家系からは提供されていない。四聖家も自分の家の秘術の資料はさすがに提供しなかったが。

「美侑が調べるのはちょっと無理があるでしょ?だから、私が調べておくよ。かなにも声かけて」

「ありがとう」

 美侑はお礼を言った。

 レイランの言う奏太とは、彼女の幼なじみで同じく名家出身のふか奏太のことだ。彼の実家にも、学園にはない資料があるかもしれない。

「それくらい別にいいよ。

 じゃあ、私は荷造りしてくるから。何かわかったら知らせるね」

 そう言ってレイランは屋上の手すりをひらりと飛び越え、そのまま下に飛び降りた。魔法使いだからこそなせる、最速の移動方法だ。

 そのまま消えたレイランが、美侑に知らせを持ってくるのは新学期のことである———。

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