第4話 緊張する空良
「ふう、少し緊張してるのかな。平常心にならなくちゃ」
一時間目の終わった休み時間。空良はトイレを終えて洗面台で手を洗っていた。
今日はなるべくいつも通りでいようと思っていたが、やはり緊張しているようだ。手の震えを抑えたい。
去年を経験して今年は意気込んでいるのが余計に気持ちの動揺を大きくしているのかもしれない。
何も知らなかった去年の方がリラックスしていた気がする。
「まだ二時間目の授業がある。その間に落ち着かなくちゃ。よし」
「よしじゃないでしょ」
「いたっ」
決意を固めようとしたところでいきなり後ろから背中を叩かれた。見ると傍に寧々がいて、隣で手を洗い始めた。
「ソラヨシって呼ばれるの本当は嫌なんでしょ? 嫌なら嫌って言っていいのよ」
「どうして知っているの!?」
「本当に嫌だったんだ……」
「いや、そこまで嫌ではないけど……」
カマを掛けられた。だまし討ちには注意しないと。空良はさらなる平常心を心掛けて水道から流れ出る水を眺めながら手洗いを続ける。
隣で寧々も手洗いを続けた。石鹸を泡立てて少し流してから彼女は話しかけてきた。
「あたしも寧々ねえって呼ばれるの好きじゃないからさ。そう思っただけ」
「好きじゃなかったんだ、あのあだ名」
「「乃々には言わないでよ」」
お互いの声がハモって気まずく顔を見合わせてしまう。呼ばれるのがあまり好きでなくても本人に悪気があるわけではない。乃々が良い子なのはどちらもよく知っている。水流に目線を戻した。
教室から離れたここはわりと静かだ。小声で話しかけてくる隣の寧々の声がよく聞こえる。
「会長に勝つのまでは無理でもさ。せいぜいうちのクラスには出来る奴がいるんだって思われるぐらいには頑張りなさいよ。無様を見せたら恥を掻くのはあんたのいるクラスの全員なんだからね」
「ありがとう」
空良はもちろん優勝するつもりでいたが寧々の気持ちは分かったので、ありがたく受け取っておくことにした。
考え事に耽る空良。寧々は先に水道を止めた。
「先に戻ってる。あんたはゆっくりしてきなさい」
そして、立ち去る彼女を見送ってから気が付いた。
「洗ってない手で背中を叩かれた!?」
いまさら気が付いてもどうしようもない。空良は背後からの奇襲だけは絶対に受けまいと決意を新たにするのだった。
10時からこの学校から出場する代表選手を選ぶ選抜試験が始まる。
その前の休み時間、去年の代表選手に選ばれた桐生院まどかは校長先生に呼び出されていた。
「失礼します」
まどかは生徒会長として礼儀正しくノックしてから校長室に入る。
格式高い部屋の中で席に着いて待っていた校長先生はもう老齢といっていい年代の女性だったが、その姿勢から受ける力強さは今もまだ健在だった。
彼女はかつて異世界クインバースを救った勇者の末裔で、若い頃は自身もかなり腕の建つ武芸者だったという。年が同じだったらこの学校の少女達が束になっても敵わないかもしれない。そんな揺るぎない強靭さを伺わせた。
彼女は今は戦いからは一線を引き、校長としての仕事の傍ら、女神から贈られた神秘の鎧の管理も行っている。
これからの平和はこれからの年代の者が守っていく。それが大会の方針であり、若い少女達が選ばれる理由でもある。
かつては勇者の力が健在である事を示す儀式であった祭典。時が経った現代では世界から選ばれた鎧をまとう闘士達が腕を競う大会となった。
その代表を選ぶ時期が今年も来た。この学校にも腕の立つ者達がいる。
校長先生もある程度は知っているが、さらなる参考意見を聞くためにまどかを呼んだのだ。校長先生は前回の代表選手に向かって問う。
「桐生院さん、去年の代表であるあなたの目から見て今年は有力な選手がいそうですか?」
「一年生の岩中さんはかなり強いと聞いています」
問われたまどかは何も動じず涼し気に答える。自分の敵ではないとばかりに。校長先生はわずかに眼差しを強めてさらに問いかけた。
「それだけですか?」
「後は一条さんが張り切っているようですね」
「この学校にも強い者達がいます。その割にはあなたは落ち着いていますね」
「そう見えますか? なら買いかぶりですよ」
まどかは片腕を持ち上げてみせる。校長先生には分かっているはずだ。この腕が今すぐにでも闘士達を倒したいと疼いているのが。
校長先生は息を吐いた。
「あなたが強いのは知っています。ですが、世界にはさらに上がいる事を理解して望むのですよ」
「分かっています。この学校からもわたしを越える逸材が現れる事をわたしも期待しています。では、試合前ですので。失礼します」
まどかは静かに退室する。息を吐く校長先生は自分が安心するのを感じていた。
「あの子は物騒ですね。まるで獲物を狙う蛇のようだわ」
そして、その蛇を狩る強者が現れることを望んでいた。
「さて、今年はどうなるやら」
窓の外の天気は晴れ渡り、これから良い試合が見れそうな予感を感じさせた。
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