葉桜の由来 (最終章)

 長い冬が明け、春が訪れた。

 戦争はあの後、すぐに終わった。

 人々は今までの姿勢が嘘かのように、戦争は悪だと言って回っていた。信念のない主義主張など塵芥じんかいと同じだ。

 

 私たちはあの日約束した通り、わずかな食べ物を持って、薄桃うすもも色が咲き誇る土手に上がった。

 川の流れは相変わらず絶えることを知らない。

 けれど、最近知ったが、実は川は海に向かって流れて終わりではないのだという。

 雨となって、再び地に降り注ぎ、また海に向かっていく。その繰り返しなのだという。……関係のない話だった。


 バスケットを持ったサクと彬子が前を歩いている。何のうれいもない、快活かいかつな笑みは、戦時下では見ることはできなかった。


 和子はいない。

 今日は少し体調が悪いようで、部屋でおとなしくするのだという。

 しかし、彼女の方も、もうしばらくは気を病む必要はない。


 叔父は今年の一月に復員ふくいんし、再び小説を書き始めた。

 今は最新作を片手に、和子の側に居てくれているはずだ。 


「去年穴掘ったのあのあたりだよね。……あれ、おかしいな」

 サクが首を傾げた。私も思わず足を止める。

「姉ちゃんどうしたん?」

 彬子が私の腕に抱きついてくる。

 しかし私は目の前の景色を前に、それにこたえることが出来なかった。



「花、咲いてない……」



「あの木って桜じゃなかったの?」

「いや、桜の木よ。去年はちゃんと花を……」

 ざわわ……と花が散る中、その木だけは葉を揺らしていた。

「……」


 季節外れの葉桜の下に立つ。

 彼の一部が眠る地面には、葉々が山のように積もっている。まるで、彼の眠りを包み込むように。

「変な桜。春なのに花を咲かせないなんて。ねえ、姉さん。……姉さん?」

「そうね」

「何笑ってるの」

「何でもない。ね、二人とも。この木の下でお花見しよ」

 そう言うと二人は顔を見合わせた。


「花見じゃない気がする……」


 ボソッと彬子が呟いた。

 しかし、私の心中を察したのか、サクがその口を手で塞いで「いいんじゃない。ここからだと向こうの花綺麗に見れるものね」と笑った。

「ありがとう。サク」

「うん。ほら彬子、シート出して」

「うん」

 妹たちが準備を始める。

 私は上空の緑を見上げた。


 サクの言う通り、おかしな話だ。春なのに花を咲かさせないでいるなんて。

 けれど、彼がここに眠っているということを思えば、何の不自然もないかもしれない。


 


 彼の大好きな、葉桜でなくてはならないのだ。


 風に揺られて葉が落ちてくる。その一つを私は手のひらにのせて、軽く口付をした。

 その瞬間、川の方からふわりと包み込むような風が吹いてきて、心地の良い香りが漂った。

 葉桜の方が好きだと微笑んだ彼の気持ちが、今わかった。


「ちょっと実和姉ちゃん、変なことしてないで手伝ってよ」

 座っていた彬子が着物のすそを引っ張って、あきれた声で言った。

「そっとしといてやりな。実和姉さん、センチメンタルになってるんだから」

「え、何? せんちめんたる?」

「大丈夫大丈夫。手伝うから」

 持っていた葉をそっと地面に置いて、私はしゃがみ込んだ。

「もうちょっとこっちにしよう」

 シートの位置をさりげなくずらす。彼が埋もれずにいれるように。


 朝から、和子も含めてみんなで作ったおにぎりを広げて座る。

「いただきまーす!」 

 明朗快活めいろうかいかつに彬子が言い、おにぎりを頬張ほおばった。

 そして、さらに笑顔をかがやかせた。

「うん! おいしい!」

「あ、ほら彬子。お米ついてる」

「うん?」

あごのとこ」

「ん……、あ、ほんとだ」

「まったく」

 彬子の前ではお姉ちゃんとして振舞いたいのだろう。サクは三つ編みの髪の毛先をいじくりながら、幸せそうに食事を続ける彬子の様子を見ていた。

「サクも食べな」

「え?」

「サクも一生懸命作ってたでしょ。だから、ほら」

 重箱じゅうばこの中の、ひときわ大きなサク特製のおにぎりを渡すと、サクは彬子のように表情を明るくして「ありがと!」とそれを受け取ってかぶりついた。

「んん……おいしい……」

「ふふっ」

 その頬についたご飯粒を取ってやると、彼女は頬を染めて決まり悪そうにうつむいた。


 幸せだ。


 叶うなら和子にも、もっと望むなら、彼にもいてほしかった。けれど、それでも私は今、確かにこの手に幸せをつかんでいる。

 花散る季節、唯一若葉を降らす桜樹の下、心地の良い日陰の中、私は涙交じりに笑った。

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