葉桜の由来 (下ノ三 落葉)


 一月ひとつきが経った。

 その間、毎日送られてくる『消息不明』の手紙は部屋のすみむなしく重なっていた。


 さらに一月が経った。私は山のように積もったその手紙を焼いた。

「姉さん……」

 和子も、もう私に励ますようなことを言わなくなった、それでよかった。話しかけてほしくなかった。


 

 朝、目を覚まして数時間、外の様子をしきりに確認しながら過ごす。

 正午前になって手紙が届き、誰かが見る前にそれを受け取り、開く。

「また……」

 郵便受けの前でうなだれて、重たい足取りで家に戻る。

 その繰り返しだった。


「お姉ちゃん、すごい疲れてない?」

 夕食時、彬子あきこが言った。

 私が卓上を見つめたまま何も言わずにいると、サクが遮るように「お料理してるから、疲れちゃうんだよ」と言ってくれた。

 そう言うサクも、私の様子を不審に思っているようだったが、それを聞くことは無かった。母も同様だった。


 失意とともに私は布団に入る。

 しかし、精神の疲弊ひへいだけでは眠りにつくことはできなかった。そうなると、自然、意識は思考へ移ってしまう。


 死んでしまったのなら、どうしてその遺体が見つからないのだろう。生きているのなら、どうして彼はいなくなったのだろう。

 全て嫌になってしまったのだろうか。軍隊に行くことも、農家での暮らしも、私との関係も。

 だからって、何も言わずに姿を消すなんて、ひどすぎる。

 彼にとって私は、その程度の存在に過ぎなかったのだろうか。相思相愛と口にはしないけれど、そう思っていたのに。だからこそ、あの祭りの日、泣いてくれたんだと思っていたのに。それなのに……。


 妹たちに気付かれないように、掛け布団の中で私は泣いた。

 晩春ばんしゅんだと思っていた季節は気付けば初夏しょかだ。

 人の思いなど知らずに時間も世間も進み、あの頃はまだ花の混じっていた堰堤えんていの桜もすべて緑に変わってしまった。

 しかし、それもすぐに、枯れてゆくんだろう。


 汗が滲むのもかまわずに布団の中、丸くなって私は泣き続ける。

 そうしていると、必然的に眠るのは遅くなる。だから、疲れているなどと言われるのだろう。

 


 浅い眠りから目を覚ます。朝食を取り、学校に行くサクと彬子を見送り、手紙を受け取る。手紙を開き、また溜め息を吐く……。


 そう思っていたが、今日は違った。


『消息不明』の単語の代わりに、そこには、国村伊那いなという、彼の姉の名前とともに、文章があった。

 それを読んだ私は、膝から崩れ落ちた。

 


 

『大内村の、志美しび川河口で発見されました。川の中州なかすに、身体が引っ掛かっていたようです。警察の話では、あの空襲の日に川に落ちたのだろうということです』



「あああああ……」


『勝手ながら、昨晩のうちに、荼毘だびに付しました。見るに堪えない状態になっていて、光次郎もきっと、そんな姿を見られたくはないでしょうから』


「実和さん」

 母が私の方に怪訝けげんそうに声をかけた。

「どうしたんです」

「お母様……。いえ、なんでもないです」

 手紙を握りつぶし、着物のすその砂を払って私は立ち上がり、駆けだした。

 背後で「実和!」と呼ぶ声がしたが、構わずに私は走り続けた。


 当てもなく走っていたつもりが、きづくといつもの堰堤にいた。

 無常な、無情な大河の流れ。その向こうに彼の村。頭上ひらひらと彼の好きな葉桜の雨。

 今はそうじゃなくて、車軸しゃじくを流すような雨が降っていてほしかった。


 もはや嗚咽おえつでは済まなかった。周りに人はいなかったけれど、きっと人がいたとしても、私はこの慟哭どうこくをとめられなかっただろう。

 希望を持っていたのが、馬鹿らしく思える。逆に何で生きていると思えていたのかと。


 川が流れていく。とどまらず、何もかもを流していく。

「志美川……」

 それはこの川の下流にある支流の一つだ。


 なら、私のことも連れて行ってくれる?


 それなら、あなたの所へ行ける?


 一歩、堰堤の下に足を進める。

「光次郎さん……」

 さらに一歩、一歩、一歩……。

 くるぶしが水につかる。脚、腿、腰、水が染み込む。


「うぁっ」

 突然に、身体が沈んだ。急に川底が深くなったのだ。

 手足をばたつかせて、私は藻掻もがく。こうなることを望んでいて、川に入ったはずなのに。

 しかし、藻掻くだけでは何の意味もなく、私の身体は、下流へと流されていった。

 水の中、確かに瞳を開いたはずなのに、見えたのは底なしの暗闇だった。

 

 

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