葉桜の由来 (下ノ二 落葉)
悪夢を、見た。
世界がすべて赤に染まっている。私はひとり、誰もいないその町中を歩いている。
見覚えのあるようなないような、よくわからない町だ。
遠近感がめちゃくちゃになっている。
遠くにあった何かが近くに迫って来て、かと思うと近くにあったものは遠くに離れていく。それが連続して……。
足元を見ると真っ暗になっている。
影というわけでもなく、ただ黒い地面だ。なんなのだろうと不思議に思った次の瞬間だった。
ふわり、と私は浮遊した。
しかし宙に浮いたのではない。地面だと思っていたそれに、落下したのだ。
何かに似ている、そんな印象が胸に宿る。(落ちる落ちる落ちる)。……
死ぬ? このまま落ちたら、死んでしまう? 嫌だ、それは。……けれどそうすればあなたに会える?
落ちる落ちる落ちる。
「うう……ああ……」
私は思考に押しつぶされながら
*
瞳を開く。
一瞬まだ夢の中かと
「うぅん……誰……?」
「姉さん、やっと起きたのね」
静かな冷たい声。顔を見ずともわかる。
「和子?」
涼しい空気。薄暗い光景。
「今は……」
「もうじき夜が明けるわ」
身体を横に向ける。
和子は隣の布団から手を伸ばし、私の方を見て微笑していた。
「和子……、だめでしょ。早く寝なきゃ……」
身体が重い。口も動きづらい。意識も重い。動けない。
「姉さんだって起きてるじゃないの」
「『起きた』と『起きてる』はちがうでしょ」
「うるさいわね……」
そう言うと、和子は私の布団の中に入ってきて、身体をギュッと寄せてきた。組まれた腕が、繋いだ手が酷く熱く感じる。
「和子……」
「姉さん、たまに馬鹿な事するから心配」
「……」
「四十度なんて、私でもそう出ないわよ」
サクと彬子はそちらの方で眠っている。
「和子、離れて。うつったら大変」
「大丈夫よ。もう、大丈夫」
「何が……」
そう言うと、和子は私の胸に顔をうずめた。小さい頃を思い出す。
こんなに近い距離にいれば、壁なんてできない。逆に言えば、これくらい近くにいないと、いついなくなってしまうかなんてわからない。なのに、私はあの人を……。
その頭を軽く抱きしめて、私は言った。
「……戦争に、行くっていう人がいてね」
「うん」
「私、その人のお見送りに行ったの。でも来なかった。どうしたんだろうって、その人のおうちに行ったら、帰ってこないんだって。昨日の空襲の後から、帰ってこないって」
「……うん」
「死んじゃったのかな。……どうしよう。もし、そうだったら……」
「姉さん」
「見送るまでは、生きてるって思ってたのに……! 戦地に行っても、帰って来てくれるって、信じてた……! なのに、なのに……!」
勘違いしていた。見送った先で戦死してしまうとしても、それまでは何も起こるはずがないと。そもそも考えもしなかった。
「何て……、何て、馬鹿なんだろう……」
何もなかったかのように、帰って来てくれればそれでいい。
何も言わず、
けれどもし、死んでしまっていたら……。私は、私は……。
「でも、亡くなったなんて、誰も言ってないんでしょう?」
和子は落ち着き払った声で言った。
「希望は絶対捨てちゃだめよ。姉さん。確証が何もないうちは、生きているって思わないと」
「でも……!」
「そう思わないと、生きていけないでしょう」
微かに震えたその声に、はっと私は息をのむ。
そうだ。和子は、既にそうしているのだ。
何も言わず消えた叔父が死んでしまったなんて、きっと欠片ほども思っていない。それは、そう思ってしまったら、きっと、自分がだめになってしまうと思っているからでもあるだろうし、叔父を信じているからでもあるだろう。
「大丈夫。最悪な想像のほとんどは、きっと起こらないんだから」
「和子……」
今更ながら思う。この妹も、いつの間にか大きくなったものだ。
決して落ち着けるような体調ではないはずなのに、こうやって冷静に私を励ましてくれている。
逆の立場だったら、きっとここまでできない。自分のことだけで精一杯で、押し潰されていたに違いない。
和子の語りに冷やされたのか、最悪な結末ばかりを想定していた心が落ち着きを取り戻していく。
「和子」
「何、姉さん」
「一緒に待とうか」
「え、何を」
「私はあの人を。和子は叔父様を」
「い、いや叔父様は、別に、わたしだけの話じゃ……」
顔を上げて、わかりやすく動揺する和子の頭を撫でて軽くあしらい、私は
見上げた天井は、さっきよりも明るくなっていた。
朝になって、私はサクを呼んだ。そして、隠していた砂糖菓子を
「隣村の国村さん?」
「そう。理由は聞かないで。代わりに行って、聞いてほしいの。北条です、戻ってきましたかって」
「戻ってって何が?」
「お願い。そう聞くだけでいいから」
理由は言わなかった。不誠実だなとは自分でも思っていた。しかし、サクは
「見つかるといいわね」
微笑みを浮かべる和子。私は「うん」と頷いた。
しかし、この日も彼は戻ってきていないと言うことだった。
翌日もサクに行ってもらった。その次の日も。その翌日には私の体調が戻ったため、自分の足で向かった。しかし、答えは変わらなかった。
「大丈夫、大丈夫……」
再び悲観に傾きそうになる意識を、おまじないのような言葉で打ち消す。
頭の中に、和子の言葉も再生して、気丈にふるまう。
けれど、そんな訪問を続けるうち、ついに一週間が経ってしまった。
「捜索はつづけていますが、最早、あてもなく……」
光次郎さんの兄はそう頭を抱えた。
「このご
そう言ったのは、さらに年上になる、光次郎さんの姉だった。弟二人とは違い、気の強そうな女性だった。
「あんたもなんか知ってるんだったら教えてくれ」
「はい……」
「それから、いちいちここに来るのは大変だろ。これからは、毎日家から手紙を
「あ……」
彼と似た、優しい笑みを浮かべる彼女は、どうやら私と彼の関係に察しがついているらしかった。
「すみません。ありがとうございます」そう頭を下げ、私は自宅に戻った。
その翌日から彼女が言った通り、手紙が届くようになった。しかし、書かれている文字は『消息不明』だけだった。
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