エピローグ
マリクを見送った後、エミリアとヴァイセはさっそく町を出る支度に取り掛かった。
と言っても荷物は少ない。荷馬車にそれらを積み終えて、エミリアはふと己の主が見当たらないことに気がついた。
どこに行ったのかと思えば、彼はまだ教会の礼拝堂の中にいた。
「マスター、ここでしたか」
ヴァイセにそう声をかけるが、聞こえていないのか、彼はただぼうっと立ち尽くし礼拝堂の上から差している光を見つめている。
「マスター、行かないんですかー?」
エミリアはそんな主に近づいて、その赤い瞳を下から覗きこんだ。
それは相変わらず綺麗で、初めて見た時から何一つ変わらない彼の色。だが、彼に向けられている昭和の瞳は、かつてとは違う色。
それを見下ろして、ヴァイセはしばらく無言だったが。
「マスター?」
そう不思議顔で首を傾げるエミリアに彼は溜息を吐いた。
「行く前にすることがあるだろう」
「何です?」
きょとんとしたエミリアにくるりと背を向けると、ヴァイセは外の馬車へと向かう。
「お前の箱詰めがまだだ」
「………………そーでした」
それは馬車で移動する前に行う、もはや恒例行事だった。
こんな良いお天気の下、幌もない荷馬車でずっと揺られていたらエミリアは干からびてしまうこと間違いなしだ。なんといったって、彼女は死体なのだから。
死ぬわけではないのだが、もちろんカラカラのミイラから蘇生なんてしたくないわけで―乙女的心情からしても干からびるのは避けたい―エミリアは早々にぺこりと頭を下げた。
「お手数かけます、マスター」
そんな彼女にヴァイセはいかにも面倒くさそうな顔だ。
「本当に手間がかかるな。いっそミイラにして置物にでもしておくか」
「いやいやいや、それはどうでしょう!まだミイラより今のほうが役にたつかと思いますが!」
必死で言い募る少女をちらりと見て、
「…………………置物は嫌か?」
ヴァイセがとんでもなく恐ろしいことを言う。
「嫌ですとも!」
きっぱりと断言するエミリアにヴァイセは肩をすくめた。
「そうか」
そして何故かふぅと息を吐き―どことなく残念そうに見えるのがさらに恐い―ヴァイセは仕方ないとばかりに馬車に積まれている木箱の蓋を開けた。
箱に敷詰められているのは木屑でその上に布が敷いてある。つまり腐敗防止のエミリア専用木箱なのだ。もちろん固定するために蓋はエミリアがそこに入った後でヴァイセが釘で打ちつける。
「次は少し遠い。長くなるから眠っていろ」
「ハイ!」
エミリアは疑いもなく木箱に入り、膝を抱えてぎゅっと丸まってそこに納まった。
これで後は蓋を釘で打ちつけお終いなのだが。
「マスター? どうかしました?」
何故か箱を閉めないヴァイセに、エミリアはいぶかしんで顔を上げた。
主の顔は逆光になっていてよく表情は判らなかったが、どこか悲しそうにも見えた。
そんなヴァイセがぽつりと呟く。
「自由になりたいか、エミリア」
「どういうことですか? マスター」
言葉の真意をつかみかねて、エミリアは聞き返した。
その何も解っていない様子の、きょとんとしたエミリアの素直な顔に。
「いや、いい」
ヴァイセは頭を振って何事もなかったかのように木箱の蓋に手をかける。
だが、どうしてもこのままにしてはいけないような気がして、エミリアは一生懸命考えて、口を開いた。
「あの、マスター、私はマスターに作られた、マスターの為の従者です。それ以外を知りません。だから、自由っていわれてもよく分かりません」
「…………そうか」
だからエミリアはヴァイセの問いに、納得のいく答えをしてあげられないかもしれない。
ああ、でも、何か言わなくては。そう、もっと根本的な、何かを。
「あ! でもマスター!」
そこでエミリアはようやく言うべき言葉を見つけた、というようにぱあっと顔を輝かせて、
「私、マスターに感謝してることが一つあるんです!」
自由になることと何の繋がりもないその言葉だったが、エミリアは必死だった。
「何だ?」
彼にしては珍しく、不思議そうに首を少し傾げたヴァイセに、エミリアは嬉しそうに言った。
「この目! マスターと同じに作ってくれたでしょう?
けっこう気に入ってるんです、この色。夕焼けみたいに綺麗だから!」
そして本当に幸せそうに笑った。
(この目は、マスターとおそろいだから)
実はそれが一番嬉しかったりもするのだが、それはこっそり胸に仕舞ってはにかむ少女。
そんな彼女の顔をヴァイセはただ眺めて。
「そうか」
ふいっと顔を逸らすと小さく言った。
ああ、同じでいられるものなどないけれど。ここにいる彼女は、かつての彼女ではないけれど。ヴァイセは少女に見えないところでそっと笑う。
変わらないものだってある。
そしてヴァイセは木箱の蓋を持ち上げると、いつも通り釘と金槌を取り出して、少女を閉じ込める。
「ゆっくり休め、エミリア」
木箱を閉めるその瞬間、ヴァイセの低い声がそっと下りてきて。
「はい、マスター」
少女はこれまたいつものようにそう返事をすると、微笑みながら目を閉じた。
アンデッドラバー 丘月文 @okatuki
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