第四章 望みの果てに 其の一
エミリアを教会の長椅子へと横たえた後、ヴァイセはすぐさまブライドの気配を追った。
今のヴァイセならば一度会ったモンスターの居所などすぐに判る。
(森へ逃げ込んだか)
それはかつて狼男のテリトリーであった場所。ブライドにとっても身を潜めるには都合のよいところだろう。ついでにあそこは街道にも通じている。
(だが逃がしはしない)
あそこまでしておいて。
彼のしたことはヴァイセには到底許せたことではなかった。
狼男の件ではない。ヴァイセはあの狼男を哀れには思ってもエミリアのように同情などしないし、彼を使い捨てたブライドのやり方は気に入らなかったが、それでもここまでの殺意は抱かない。
ヴァイセの過去をあかされたことも癪に障るが、それが理由でもない。
彼をそこまで駆り立てたのは。
(エミリアを操っておいて)
あの狼男のように。利用し使い捨てるのが当然という態度をとったこと。
あの時の悲しげなエミリアの顔を思い出すだけで殺意が強まる。
違うと、そう口にできたらどんなに良かったか。だがそうすることなどヴァイセにはできなかった。
(許しはしない)
必ずヤツの息の根を止める。そして己の望みを果たすのだ。
ブライドの気配を追いながら、ヴァイセはただそれだけを考えていた。
ヴァイセのその望みは、初めからあったわけではない。
たった一人の少女に出会って彼は望みというものを知った。否、望みだけではない。今のヴァイセにある感情のほとんどをその少女が与えてくれた。
愛しさも、温かさも、優しさも――――――苦しみも、悲しさも。
人の世からはもちろん魔物からも蔑まれる日々は、実を言えばヴァイセにとってさして辛いものではなかった。
そもそも群れること自体が好かなかった。
ドラクル公爵の血を継ぐヴァイセに群がる魔物共ももちろんいたが、打算の見え透いたそれに付き合ってやる義理もない。
誰も彼も、彼の血を忌避した。
人は、彼のなかの魔物の血を。魔物は、人の血を。
それがどうした。これが自分だ。そんな簡潔な考えのもと、ヴァイセはずっと一人で生きてきた。
幸い受け継がれた血には力だけは有り余っていて、ちょっかいを出してくる輩を排除するには事欠かなかった。
正義を振りかざした剣も血を喰らおうとする牙も、全て彼の闇に呑まれて消えた。そうして近づいてくるものをのべつ幕なしに消し去っていたら、誰も近づいてこなくなった。
正直、清々した。これでやっと煩わしいものがなくなったと。
一人で生きていくことに、何の恐れも悲しみもなかった。
けれど後になって思い知る。自分はただ知らなかっただけだということを。
人でも魔物でもないその存在を、受け入れるような者に出会ったことがなかったから。だから、知らなかったのだ。
こんな想いなど。
「ヴァイセっていうの、貴方」
くったくなくそう笑った少女は、彼が彼であること以外は本当にどうでも良いようだった。そう、魔物だろうが人だろうが、その混血だろうが。
自分は魔物だぞ、と脅したこともあったが、逆に少女にきょとんと聞かれてしまった。
「じゃあ、どうして私を食べないの?」
ヴァイセは少し言葉につまった。
どうしてか? その答えは失ってから気付くのだけれど、その時は「腹が減っていない」と言い訳じみたことしか言えなかった。
拾った少女はエミリアといい、ヴァイセの所有物となった。
彼女自身がそう言ったのだ。自分は供物として捧げられていたのであり、それをヴァイセが拾ったというなら、自分はヴァイセのものだろう、と。
彼女の親は二人とも流行り病で死に、伯父に引き取られたのだが、ろくに食べ物も与えられず、あげく売られることになった、というのがエミリアのそれまでの経緯だった。
そんなことが納得できるのかと聞けば、彼女は困った顔をした。
「だって役立たずなのは本当のことだし。拒めるほど強くもないし。それに………………もう何も望まないって決めてたから」
けれどそう言う瞳はどこか揺らいで見えた。
「だから、恐くないはずだったんだけど」
そして本当に困ったように言った。
「ヴァイセに会って、贅沢になっちゃった。死にたくないの」
そして言い訳のように呟く。
「だって、すごく綺麗なんだもの」
それを聞いたヴァイセは何故だか、彼女に触れたくて堪らなかった。
そんな想いはこれまで一度たりとも感じたことはなかったというのに。
「お前は俺のものか」
ヴァイセの言葉にエミリアは頷いた。
「うん。私は貴方のもの。だから、どうしても良いよ。殺しても、食べても………生かしても。
あのね、私、役立たずだけど、いっぱい働くよ。頑張る。もちろん決めるのはヴァイセなんだけど。それでも、生かしてくれたら、ヴァイセの為だけに生きるよ」
自分の為だけに。その響きが気に入った。
だからヴァイセはにやりと笑って承諾した。
「いいだろう。俺が飽きるまで、お前を生かしておいてやる」
その瞬間、彼女は笑った。この世で一番嬉しそうな―幸せそうな―顔で。
ああ、これか。ヴァイセは少しだけ納得した。
自分がこの少女を傍に置く理由は――――もっと、この顔が見たいのだ。そう、見飽きるまで。
それがいつになるのか見当もつかないまま。ヴァイセは彼女を受け入れたのだ。
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