第三章 闇に生きるモノ共の晩餐 其の三



「逃げたか」

 煙が薄れた部屋には、もちろんヴァイセとエミリアしかいなかった。

 だがヴァイセはただ鼻を鳴らしただけで、くるりとエミリアに向き直ると何事もなかったように命じた。

「エミリア、手をだせ」

「えっ! 追わなくていいんですか!?」

 驚いて思わずそう言ったエミリアに、ヴァイセはどこか苛ついたように言い捨てた。

「かまわん。どうせヤツは逃げられない」

「え、それってどういう」

 しかし、そんなエミリアの疑問はヴァイセの低い声の前に引っ込められることになる。

「そんなことより、手をだせと言ったはずだが?」

「す、すみません!」

 じろりととてつもなく冷たい視線付きのそれに、エミリアは慌ててスカートに摑まっている手を自らの腕に移して差し出した。

 ヴァイセはその手をとり、懐から取り出した針と糸とでそれを切断したところへ丁寧に縫いつけていく。

 その皮肉を言うでもなくただ黙って作業を続ける主を、エミリアは上目遣いに窺った。

(こんなマスター、初めて見るかも)

 表情はけして豊かではないが、こんな風に無表情になることなど今まで見たこともない。

 もしやこれは、かなりのお怒りなのだろうか。

「あ、あの、マスター、すみません、操られたりなんかして」

 そう謝ってみる。

 しばらく沈黙が続いたが、ヴァイセが深い溜息をついてそれは終わりになった。

「お前の脳みそときたら、まったく進歩がないんだな。何度攫われれば気が済む」

 心底呆れたというような、でもどこかに安堵があるような、その台詞に。エミリアは、はてと内心首を傾げた。

(攫われたことなんて、今まであったかしら?)

 いやそういえば、過去に何度かモンスターやらエクソシストに捕獲されかけたことはあった。きっとそのうっかりのことを言っているのだろう。

「うぅ…………すみません」

 再度謝るとヴァイセはどこか諦めたように首を振った。

「いや、もういい。お前の学習能力には期待していないからな。もっとお前を―――――」

 そこで彼は言葉を飲み込んで、じっとエミリアを見つめた。

 エミリアがその同じ色の赤い瞳を覗き込めば、揺らめくような深い色のそれに自分の顔が映っていて。

「マスター?」

 そう聞いた彼女の視線からヴァイセはふいと目を逸らした。

「簡単な補強だ。あまり無理はするな」

 けれどその手は作業を終えてもエミリアの手を握ったまま。

(あ、あれ? 何だか、ちょっと…………)

 どきどきする、ような。こんな雰囲気なんて今までなったことなどなかったのに。

 繋いだ手の温度がひどく熱く感じられて。

「あの、マスタ――――――」

 何かを口にしようとした、その時。

 ドガァンッ! という音と共に扉が破壊され、その残骸がいっせいにヴァイセとエミリアに降り注いだ。

 そしてそれを起こした張本人のマリクは、二人を見つけて悲鳴じみた声を上げる。

「ああっ! こんなところにいた!!」

 だがそんな血相を変えているマリクを、ヴァイセは無言で蹴った。

「って、痛い。何するんだ!」

「それはこちらの台詞だ」

 淡々と言うヴァイセにマリクは「ああ、もう!」と困ったような焦り声を上げた。

「しょうがないだろ、こうでもしなきゃあ開かなかったんだから。それよりヴァイセ! 君の言っていた通りになった!」

「ああ、やはりゾンビが出てきたか」

 ヴァイセの口調はまるで天気予報でもあてたようなものだったが。

「えっ? ゾンビ!?」

 その単語はかなり恐ろしいものじゃないだろうか。

 だがヴァイセはあっさりしたものだ。

「あのイカレた博士の仕業だ。さっきヤツが言っていただろう、この町を壊滅させる、と」

 物騒な台詞をいとも簡単に言ってくれるその主に、エミリアは冷や汗が出た。

「だ、大丈夫、なんですよね?」

 そんな従者を見て。

「誰に言っている」

 ふん、と一言。その実に我が主らしい台詞にエミリアはすっと心が落ち着いた。

 そうだ、この主がいれば大丈夫。どうしてこんなにも彼が信じられるのか。それは主だからなのか、別のところからくるものなのか。

 それさえも分からない絶対の安心感に、エミリアはただヴァイセを見つめ。

「ではマスター、ご命令を」

 微笑を浮かべて、そう言った。



 時はエミリアがブライドに操られて教会を出た頃に遡る。

 走り去ったエミリアをすぐに追うかと思ったヴァイセだったが、しかしマリクに向き直った。

「今すぐあそこにいるエクソシスト共に言え。ゾンビがこの町を襲うと」

「は? ゾンビ?」

 いきなり言われた言葉が分からずオウム返しをしたマリクに、ヴァイセは眉間にしわを寄せながらも説明した。

「ああ。お前が知るはずもないが、ゾンビの研究を続けた挙句にとうとうイカレてモンスターに成果てた男がいてな。ソイツの行方がちょうど三年ほど前から分からなくなっていた」

 その三年前、という言葉にマリクは眉をひそめた。

「まさかと思うけど、その男の名前って」

 そしてその嫌な予感は当たる。

「ブライド・ディバリー。お前が町長と紹介した、あの男がそうだ」

 すべての疑問が繋がって、マリクは思わず叫んだ。

「っぁあぁあぁぁぁ、君ねぇぇえぇぇぇ! 言おうよ、そういうことはさあ! 先に!!」

 もうヴァイセの襟首をつかんでがくがく揺らしたいくらいだ。できはしないけれど。

 どうして墓から死体が消えていたのか。どうして街の住人は襲われず、旅人だけが狙われたのか。どうしてハンターがあんなにも綺麗に始末されてしまったのか。

 そして、どうしてあの狼男があんな風に狼を従えていたのか。すべてのカラクリがマリクにも分かった。全部、あの男がしたことだったのだ。

 そしてヴァイセは全てを知っていて、先ほど彼を前にした瞬間に確信したのだろう。

 そう、確信はなかった。だから彼は口にしなかった。それすらもマリクには判る。分かるけれど。

(でもさ! 言ってくれていたらさあ! もっとやりようがあったと思うんだけど!!)

 少なくとも、エミリアが操られて人質にされてしまうような事態は避けられたんじゃないか。

 そんな風に思ってしまうマリクを、しかしヴァイセは「くだらないな」と一蹴した。

「貴様が知っていようといまいと同じことが起こっていたはずだ。むしろアレを警戒させてさらに厄介なことになっていただけだろう。馬鹿の考え休むに似たり、だ。貴様は貴様のするべきことだけを考えていればいい」

「馬鹿って……………まあ、そうなのかもしれないけど」

 げんなりとそう言いながらも、マリクはもう何も言ったりはしなかった。

 何のかんの言っても、ヴァイセの言うことは正しいと知っているのだ。

「だったら目の前のことだけに集中しろ」

 そしてそんな彼が信頼に足ることも。だから。

「分かった。何をしたらいい」

 マリクは溜息と共にそう言った。



 その後、事態は見事にヴァイセが予見していたものとなり。

「で、首尾は?」

 そう聞くヴァイセにマリクは頷いた。

「ああ。町の皆は教会へ避難させて、君の言った通りに結界を閉じてきたよ。君の張った結界だ、大丈夫だろう。

 あとはダスティンとフェルマンだけど、今回ばかりは協力してくれるみたいだ。今この町の外側に結界を張ってる。これでしばらくはこの町からモンスターは出られない」

 なるほど、先ほどヴァイセが「逃げられない」と言った理由はこれだったのだ。確かにあのエクソシスト二人の張った結界を破るのは、いかにあの彼でも至難の業だろう。

 しかしだからと言ってこちらが有利というわけでもない。

「けどね! ゾンビの数がものすごく多いんだけど! どうするんだ?」

 逃げ後れた人がいないか町の様子を確認してきたマリクはものすごく渋い顔をした。

 だがヴァイセはしれっと言い放つ。

「たかだかゾンビだ。蹴散らせ」

 そんな彼にマリクはがっくりと肩を落とし、恨みがましく言った。

「簡単に言ってくれるけどね、君も見てみるといいよ」

 うぞうぞと徘徊しているゾンビは森で襲われた死体と墓から持ち出されたものだろう。その数、ゆうに五十は超えている。

 破壊された扉からひょいと覗けば、そこは館の廊下で、その向こうに見える窓からは街の様子が見える。

 それを覗き込んで、

「うわぁあぁ、ほんとにいっぱいいますねぇ」

 エミリアは頬を引きつらせた。

 街の道という道に虚ろな目をした―身体も腐敗してぐずぐずになっている―ゾンビが、うぞうぞと徘徊を続けていた。

「何でこんな事に………………」

 エミリアが呟けば、ヴァイセはふんと鼻で笑って言った。

「大方、俺の足止めだろう。初めはこの町ごと喰う気でいたのかもしれんがな」

 そのぞっとするような考えにエミリアは身体を震わせた。

「町のひとは、大丈夫…………なんですよね?」

 それを安心させるようにマリクが頷く。

「さっきも言ったけど、避難はすんでるよ。ちょっと信じてもらうのに時間がかかったけど、宿のマーテルが手伝ってくれたから」

 彼女に事情を打ち明けて避難を誘導してもらったのだ。

 初めは半信半疑だった町の人々も、ひとたびゾンビが現れれば、皆が我先にと教会へと逃げこんできた。

「それに非難している時はゾンビの数もこんなに多くなかったんだ。でもいきなり数が増えはじめてね」

「それは俺がヤツの要求を蹴ったからだな」

 ヴァイセがそうあっさり言った。

「要求?」

「たいしたことじゃない。ふざけた言い分だったからな、却下した」

「で、このゾンビの数、と」

 おそらくブライドはゾンビにヴァイセを襲撃させ、足止めをしようとしているのだろう。この町の人々を巻き込んで。

「ひどい」

 ブライドのひとを―モンスターもだが―ひととも思わない非道な態度を思い出し、エミリアは瞳を歪めて苦しそうに言う。この娘は他人の痛みをまるで自分のことのように感じてしまうところがある。

 そんなエミリアの顔を見てヴァイセは溜息を吐いた。今回、自分に落ち度がなかったとは言えない。この事態の収拾はヴァイセがつけねばならないだろう。

 それにブライドを仕留めることは彼のなかでもはや決定事項だった。

「仕方がない。力を使う。エミリア、しばらく眠っていろ」

それが何を意味するのかすぐに判った少女は、「はい、マスター」と言い、主に身体を任せて目を瞑る。そしてその身体から完全に力が抜けた。

「何をする気だい?」

 そう尋ねるマリクにヴァイセは一言だけ、「黙って見ていろ」とだけ言い捨てた。



 ヴァイセは廊下からバルコニーへと出ると、眼下に広がるゾンビの群れをただ睨んだ。

 その後姿を見ているしかないマリクだったが、すぐに異変に気がついた。

 ヴァイセは相変わらず風に吹かれようとそよとも動きはしない。だがその微動だにせずにいるはずの彼の影がゆらりと揺れている。

いやそれはもう影などではなく、闇を凝縮したような霧のように形をとって彼の足元から立ち上っていた。

 そしてその霧がさらに凝縮された、と思ったら。

「わっ!」

 膨れ上がった次の瞬間、まるで無数の鞭のようにそれらが一斉にゾンビに襲い掛かった!

 しなやかに、けれど鋭く切り裂くその影。

 ウォォォォオオォォォォオォォォォォッ!

 ゾンビ達は咆哮を上げてヴァイセに向かって前進してくる。

 けれどその足を、腕を、心臓を、影が容赦なく刺し貫いて。館の中にいるゾンビですら、彼に近づくことがかなわない。貫かれたところから身体が崩れていくからだ。

 そんな攻撃が数分間続き。町からいっさい動く気配がなくなったところで。

「さて、片付いたな」

 ヴァイセは掃除が終わったような気軽さで言った。

 その様子をもうただ唖然と見ていたマリクは、

「凄まじい力だな」

 と、改めてといったように呟いた。

 否、この魔物が破格なのは知っていた。知っていたが、これほどのものを目にするのは初めてだったのだ。

「ねえ、これをやってくれたら話は早かったんじゃない? 狼男の時も」

 思わずそう言ってしまうマリクだったがそれにヴァイセはつれなく言った。

「そうそうは使えん」

 そしてくるりとマリクに背を向けるとすたすたと行ってしまう。

 その後を追いながら、その意味をよくよく考えて、マリクは「ああ」と思いついた。

「つまりエミリアちゃんを動かしている余裕がないってことか」

 エミリアを従者として使っている力を出し切れば、こんなこともできると。逆を言えばエミリアにそれだけの力を使っているということになる。

「なるほどねぇ」

 すっと目を細めて、マリクは目の前の魔物の後姿を見る。

 そして少女の身体を抱いたその魔物に。

「ねぇ、ヴァイセ――――――」

 マリクは問いかけたようとしたが、それはかなわなかった。

 館を出たところで、実に嫌な―厄介とも言う―二人組みと出くわしてしまったからだ。

「おい、そこの悪魔!」

「今こそ、結着の時!」

「「観念しろ!」」

 太っちょ浅黒のフェルマン司教とひょろ長色白のダスティン司教が、もはやお決まりのポーズで―びしりとヴァイセに指を突きつけて―叫んだ。

「いやいやいや、君達、この状況でそれはないでしょ!? 流れ読もうよ!」

 それに思わず突っ込みを入れるマリク。

「む、しかしだな、ここでその悪魔を仕留めなければいつ機械があるというのだ」

 と、ダスティン。

「だがブラザー、そこの彼が言うことも一理あるぞ。この状況を見てみぬフリはできまい」

 と、フェルマンが言って。二人は「うぅむ」と考え込んだ。

 そんな彼らを冷ややかに見ると、ヴァイセが小馬鹿にするように言った。

「教会も落ちたものだな。民の救済より己の目的を優先させるとは」

 実に嘆かわしいものだと嗤うヴァイセに、司教の二人は苦しげに顔を歪ませる。

「「ぐぅっ!」」

 そこに追い討ちをかけるようにヴァイセはふんと鼻を鳴らした。

「よくもまあそれで神の御使いなどと名乗れるものだ」

「「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬっ!」」

 理性と感情に翻弄され凄まじい形相をしていた二人だったが。

「「次こそは貴様の最後だと思え!」」

 さすが神に仕える司教。優先順位を間違えるような愚か者ではなかった。

というか、ヴァイセの言葉はそれを見越しての辛辣ぶりなのだ。

まったく、どこまでも意地が悪い。

 悔しげな顔をしながらも人々の救済に走っていく二人と、それを面白そうに眺めているヴァイセとを見てマリクは溜息を吐き、それからおどけたように聞いた。

「で? 君は行くわけだ」

「ああ。ヤツを逃がすつもりはないからな」

 当然のように答えたヴァイセに、マリクはそっとその腕に抱かれている少女に目を向けた。

「エミリアちゃんはどうするの? 見たところ、怪我してるよね?」

 目聡くエミリアの手首の傷を見つけたのだろう、そう言うマリクにヴァイセは少しだけ立ち止まり少女に目を落とすと、一息吐いて歩き出した。

「教会においていく」

 つまり一番安全といえる場所にいさせるということだろう。

「そう。分かったよ、あとのことは任せておいて」

 教会にはまだ避難した街の人々がいる。

 しかしゾンビが全て倒された今、町に戻ったところで危険はないだろう。もちろんあのダスティンとフェルマンも協力してくれることだろうし。エミリアを安置しておけるような場は確保できるはず。

 請け負ったマリクをちょっとだけ探るように見て、

「そうか。ではきりきり働け」

 ヴァイセはいつものようにそう言うと、後はもう振り返らずに教会へと続く道へ向かっていった。











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